有田焼に隣接する産地を知って楽しむコツ

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はじめに

Photo by catherine-z
九州の焼きものには色々ありますが、有名なのは有田焼です。 ですが、有田焼の産地のすぐ隣接する地域に焼き物の産地がまだあります。 どのように違い、なぜ隣接するのに呼び名が違うのでしょうか。

STEP1<b>【有田焼に隣接する産地】</b>

有田焼もあわせると、すぐ隣接する地域に3つも焼き物の産地があります。
その名は・・・
「有田焼」「波佐見焼」「三川内焼」です。

有田焼は佐賀県の有田町
波佐見焼は長崎県波佐見町
三川内焼は長崎県佐世保市三川内町です。

高速のインター名も「波佐見有田IC」と名付けるほど、隣接している地域なんです。

では、なぜ、このごく近い地域に3つの産地ができたのでしょうか。

STEP2<b>【有田焼の歴史と特色】</b>

豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、多くの武将が陶工を日本へと連れ帰りました。
その武将の一人が、鍋島直茂です。
鍋島直茂は、李参平という陶工を連れ帰り、有田の泉山で白磁鉱を発見し、そこに天狗谷窯を開き日本初の白磁を焼いた有田焼の祖と言われています。

鍋島直茂は、佐賀藩の藩祖です。
ですから、有田焼を始めたのは、佐賀藩(鍋島藩とも呼ぶ)ということになります。

透き通るような白磁の美しさと、繊細で色とりどりの華やかな絵付が特徴です。

STEP3<b>【波佐見焼の歴史と特色】</b>

波佐見焼は、有田焼ほど全国的に有名ではありませんが、「有田焼」として販売されているケースが多々あったそうです。

波佐見焼は有田焼の高級なイメージと違って、日用食器として愛用されてきた食器なのです。
有田焼と思って使っていた日用食器は、実は波佐見で作られていたということもあるようです。

波佐見焼は、大村藩主の大村喜前が朝鮮陶工の李祐慶を連れて帰り、登り窯を築いたのが始まりと言われています。
こちらは、大村藩ということになります。

白磁の日用食器が多い波佐見焼は、江戸当初、日本一の生産量を誇っていたそうです。
1990年代には、全国の3分の1~4分の1のシェアを誇るなど、現在も多くの焼き物を生産しています。
最近では、デザイン性に富んださまざまな焼き物の開発をしてます。

STEP4<b>【三川内焼の歴史と特色】</b>

三川内焼は、平戸藩主松浦鎮信が陶工の古巨関を連れ帰り、藩主の命を受け平戸・中野で最初の窯入れをしたのが、始まりです。
しかし、良い陶石に恵まれなかったため、平戸領内を陶石探索の旅に出て最後に落ちついた所が三川内でした。
ですので、こちらは、平戸藩ということになります。


特色は、白磁に繊細な染付をしているところや、薄さ、透かし彫りと呼ばれる細かい細工などに見られます。
染付では、「唐子(からこ)」と呼ばれる唐風の衣装を着た小さな子どもを描くところも特徴です。

STEP5<b>【3つの産地の楽しみ方】</b>

以上のように、近い地域に、藩によって3つも焼き物の産地ができたことがうかがえます。

それに、ごく近くなのに、さまざまな特色がそれぞれの産地に出てきています。
近い地域にそれだけの特色が出るということは、近くだし、短期間で見てまわることができます。
それぞれを回って、どの産地が自分の好みにあっているのか、
また、その産地の中で、どの窯元がお気に入りなのかを見て回って探すのがお勧めですよ。

まとめ

イラスト by microsoft
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