パスカル著「パンセ」に対する反論

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はじめに

 パスカルの有名な言葉に、「人は考える葦である。」と、言う言葉がある。何はともあれ、この言葉が世界中に流布し、とかく人を考える生物と、定義づけたい人々がいる。しかしこれははなはだしい間違いである。確かに唯一複雑な思考を許されているのは、人間ではあるが、人間全てが考える人で構成されているわけではない。これは経験によって分かるのだが、大抵の人々は考える事をしない。そしてひどいものになれば、本も読まない。これらを垣間見たときにはたしてパスカルは同じ事が言えただろうか?
 

STEP1

 人は自分を基準に全ての物事を図る。したがってパスカルは自分を基準にして、この格言を述べたのであろう。なんと言っても彼自身、十六歳で円錐曲線論を著し、十九歳で計算機を発明した。その後、二十三歳で真空に関する研究と論文を残している。だから彼は、「人間は考える葦である。」と思ったのかもしれない。人の考えている事を知る権利を持たない人間であるからして、私も憶測でしか、パスカルの考えた経緯を述べる事しかできない。ともあれ、彼の述べた格言は間違っているのである。それによく考える人間というものは、よく苦悩するものである。人も動物である以上、苦痛にはある程度耐えられる。だが苦悩ほど人を苦しめるものはない。なぜ、よく考える人がよく苦悩するかと言えば、それはこうなる。「未来への憂慮が激しいため。」と。いまだ経験もしない先の事や対人関係にこのような人は悩みやすい。そしてしばしば自殺を企てるのもこの人たちである。私は自殺を肯定も否定もしないが、現実に自殺を試みる傾向を調べてみると、圧倒的に考える人が多い。芥川龍之介、太宰治もこの部類に入る。けれどもよくよく考えてみれば、人生を悲観して生きていても意味はないのである。もし自殺をしたくなった人は、こう考えてみれば良い。「たとえ、自分の存在がなくなっても、せいぜい悲しむのは親族と友達ぐらい。だったら、生きて後世に残る仕事を一つでもやったら良い。」と。

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