情報倫理

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はじめに

 情報倫理が何故現代に必要なのか? という問いには重要な意味があります。しかしこれは現代だけではなく、過去や未来においても必要とされることです。これは文明社会においては必然的に要求されるものであり、反対に自然社会においては必要がないといえます。倫理観というものが要求される過程において、人々の手に自らの意志を助長しえる環境、すなわち文明が整っていることが前提とされます。なぜなら自然状態において人や動物は自分の目に見える直観的範囲にしか生の充足を求めないため、必然的に意志の助長は抑制されるからです。これが本来の自然法といわれるものであり、そこには我々がもったいぶって考える倫理観より優れたものがあるのです。もちろんこの自然法をもう一度再現するのが一番いいのですが、残念なことにそれはできないでしょう。大衆というものは一度安楽を覚えた地に必死に居座ろうとしますから、彼らはこういう提案をした時点で醜い本性をさらけ出して、抵抗を試みます。このような演劇を講じるのは得策でないと考えた我々天才は、本能に沿った自然法ではなく、理性に沿った倫理観を求めたのです。まあこれはむしろ大衆の中で天才が生き残っていくためにこの能力が必要だったといったほうが正しいでしょう。

STEP1

 さて前置きはここまでにして早速本題の倫理観とは何であるか?という問いにお答えしたいと思います。
これはまず時間、空間に媒介された現象界に存在するのではなく、主観的な認識の中に存在するものです。だからこれは法やマナーなどによって規定されるものではありません。法やマナーは唯人々に反対動機を提示して、認識が選び出す動機を限定するのが主な目的だからです。なるほどこれが倫理観といわれるならば、倫理観とは現象界とはかけ離れた抽象的概念のみで成り立っていることになり、そこに経験が入り込む余地はないといえます。このことからも分かるように法や教義では道徳的人物は作れません。だから法を遵守する者がいても人は彼のことを道徳的人物とは言わないのです。この詳しい段階については紙数が限られているため省きますが、参考資料を読み熟慮してくだされば分かると思います。
 しかしここでひとつの疑問が湧いてきます。道徳観というものはどうやって生まれるのか?という疑問です。ここで私は苦行、孤独、反省からそれは生まれるといいます。まず反省から説明すると、それは感情と記憶から生み出されるものであります。このような反省というのは大衆にとってほとんど皆無でありますが、これが行われるのはもっぱら肉体的刺戟がない状況であり、言い換えればそれは孤独なときであります。そこに至って人は環境になんら訴えるものがないため、自らの思慮に頼るしかありません。これはもちろん絶望に近い状況であり、苦悩でもあります。彼らはここにおいて数多性に囚われない考えを手に入れ真理を見つめるのです。もしそれが出来ないならば人はどうなるのか?と聞かれれば答えは簡単です。その人は廃人になります。よってこのことからもひとつの鍵が導けだせます。生に執着する能力が強い人ほど、苦難にあったときに道徳観に目覚めやすい。
 ずいぶん中途半端になりましたがここで説明を終わらせていただきたいと思います。

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