哲学・倫理・宗教学

全18976件中61~80件表示
  • 仏教が好きですが、あまり経典に関心がありません。

    私はブッタのことばが好きで毎晩読書していますが、それ以外の仏教関連の本や経典、経文には全くといっていい程興味が出ません。 例え読んだとしても、読んだかどうかの記憶もありません。 信仰心は持っていると思います。 他にも儒教の本や歴史書、平安時代の古典も読みますが、そちらは記憶が早くすぐに流れを理解出来ます。 これって仏教が私にとってそんなに重要ではないからですか? なんかよくわかりません。

  • なぜイエスを子なる神として扱うのか

    こんにちは。先程誤って質問を締め切ってしまったので再投稿です。 西洋史を個人的に勉強していて、必然的にすこしキリスト教の歴史についても触れるのですが、タイトルの件がよく理解できません。 というのも、同じ一神教のユダヤ教やイスラム教の預言者とされる人たちは、神ではなくあくまで人間として扱われていると思います。実際、イスラム教ではイエスを預言者として認めているものの、あくまで人間として扱いますよね。 しかし、キリスト教の正統派においてはなぜ三位一体という直感的に理解できない理屈を採用してまで、ゴルゴダの丘で磔刑にされたナザレのイエスを神として扱うようになったのでしょうか?普通にわかりやすく、神がイエスを人間の代表として罪を背負わせるために遣わした。とかではだめだったのでしょうか? 回答に期待する内容としては、信仰心に基づいた神学的解釈というより、キリスト教の歴史として、なぜそうである必要があったかを知れるものをいただきたいです。 よろしくお願いします。

  • なぜナザレのイエスを神として扱うのか

    こんにちは。 西洋史を個人的に勉強していて、必然的にすこしキリスト教の歴史についても触れるのですが、タイトルの件がよく理解できません。 というのも、同じ一神教のユダヤ教やイスラム教の預言者とされる人たちは、神ではなくあくまで人間として扱われていると思います。実際、イスラム教ではイエスを預言者として認めているものの、あくまで人間として扱いますよね。 しかし、キリスト教の正統派においてはなぜ三位一体という直感的に理解できない理屈を採用してまで、ゴルゴダの丘で磔刑にされたナザレのイエスを神として扱うようになったのでしょうか?普通にわかりやすく、神がイエスを人間の代表として罪を背負わせるために遣わした。とかではだめだったのでしょうか? 回答に期待する内容としては、信仰心に基づいた神学的解釈というより、キリスト教の歴史として、なぜそうである必要があったかを知れるものをいただきたいです。 よろしくお願いします。

  • フランシスコ・ザビエルの手紙の一文を解読して下さい

    フランシスコ・ザビエルが書いた手紙の中で、以下の文章の意味が分かりませんでした。これは一体どういう意味でしょうか?親切な方、どなたか教えて下さいますと幸いです 『なぜなら、他の人びとの霊的な助けとなる代わりに自分自身が滅びてしまうからです。』 これは要するに、即身仏のように、自分が死ぬことによって人を精神的に助けるという意味でしょうか? ご回答お待ちしております。 ちなみに、手紙全文はこちらです。 ↓ フランシスコ・ザビエルからの手紙(7)  この手紙では、日本で宣教するイエズス会員にザビエルが求める資質が示されています。 「〔日本では〕さまざまな苦労に〔耐えてゆかねばならない〕ので、年老いた人に適した土地ではありませんし、また〔実社会で〕大いに経験を積んだ者でない限り、若い人には不向きです。なぜなら、他の人びとの霊的な助けとなる代わりに自分自身が滅びてしまうからです。日本の地にはさまざまな罪があって、それに陥る危険があります。〔日本人の行為を〕とがめる〔神父を〕日本人はよく観察していますので、〔神父の〕ごくわずかな〔欠点〕がつまずきとなります。私はこれらのことについてシモン神父、もしも彼が不在の時にはコインブラの院長にあてて詳しく書きます。  もしもあなたがコインブラへ命令して、日本へ派遣を希望する会員たちはまずローマに行って〔あなたに会わ〕なければならないと決めてくださるならば、私にとって大きな喜びとなるでしょう。スペイン語かポルトガル語を知っているフランドル人やドイツ人は日本へ〔派遣するのに〕適していると思います。なぜなら、彼らは身体的ないろいろな苦労に耐えることができますし、また坂東の酷寒をも耐え忍べるからです。スペインやイタリアの学院にはこのような人達がたくさんいると思いますし、またスペインやイタリアで説教するためには言葉が不充分であっても、日本へ行けばたくさんの成果を挙げることができます。」 (特集-聖フランシスコ・ザビエル 7 2006/4/21)

  • いつも「愛」を選択できるようになれば?

    いつも「愛」を選択できるようになれば、地球での転生を卒業できるんでしょうか?

  • 仏教の本の正しい読み方を教えて。

    現在、ブッタのことばを読んでおり最初は意味不明な内容でしたが、毎晩ノートに書き写したり、暗誦したり辞書で調べたりして徐々に理解出来るようになってきました。 仏教の本って正しい読み方とかあるんでしょうか?

  • ビッグバンで最初からやり直し

    2100年および1万年以降を迎えてもビッグバンを起こすと全てがやり直しになります。 そうなると創世記(人類が誕生する前)からやり直しになりますか?

  • 「悪魔」のモチーフとなった動物

    質問です。 キリスト教において、ざっくりうろ覚えですけど、ヤギが切り立った山の斜面を登るところを見てキリスト教の信者たちは「神に反逆する動物」つまり「悪魔」として知れ渡るようになったじゃないですか。 そういった山羊や蝿の他にも、キリスト教において「悪魔」と呼ばれるようになった動物などいましたら教えてください。 よろしくお願いします。

  • 【宗教・イスラム教の嘘】イスラム教の教えに矛盾を見

    【宗教・イスラム教の嘘】イスラム教の教えに矛盾を見つけてしまいました。 イスラム教の教祖はムハンマドで、ムハンマドこそがこの世の唯一の神である。地球の人間の誕生であるアダムとイブの直系の子孫で、兄弟の子孫にユダヤ教の教祖であるモーゼがいますが、モーゼの兄弟の子孫がイエスであり、キリスト教はイスラム教が誕生して、数世紀後にユダヤ教が生まれて、ユダヤ教の数世紀後にキリスト教が誕生したはずなのにイスラム教の教典のクルアーンにはキリスト教が登場します。 イスラム教の教祖のムハンマドが生きていた時代にはキリスト教は存在しなかったはずです。 いまイスラム教徒が信じて信仰している教えはムハンマドの教えではないのでは?

  • 妖精さんの物語「序章」

    序章。 私は多感な中学校2年生の時に部活動で基礎体力を作る郊外の走り込みで、広い敷地の公園を走った時に、公園の区画として未整備な原野で突然立ち止まった。 そして得も言われぬ好奇心で、未整備区画の原野に足を踏み入れた。。。 足元に湿原が広がるその原野で、正体がわからない強い精神の動揺を感じて、これは失神するかもしれないという恐怖感から我を忘れて逃げ去り、走り込みをしていた道路にたどり着いた。 その動揺は何だったのだろう? しばし子供の私には理解できない日が続いた。 おとなになってから、似たような経験を繰り返したこともあり、当時の経験が何だったのか理解できた。 公園の未整備の原野は、農耕用の貯水池に隣接して、貯水池から水があふれたので湿地になっていた。 日本では水源地の管理には、管理者を困らせる噂が発生しやすい。 水源地というのは、自然界の精気が濃厚なので、霊感のある人たちは私が当時経験したように、自然の精気に感化されて、漠然とした神秘体験を味わう。 なぜそれが管理者を困惑させる噂になるかというと、「死体が埋まっている」「幽霊が出る」とかの噂になりやすいからだ。 実際にその貯水池には「死体が埋まっている」といううわさが数十年にわたって語り継がれ、地元の子供たちを怖がらせていた。 私が中学生の時に経験した漠然とした心の動揺はとは、木霊の精霊が私に話しかけてきた声だったのだ。 はいはい。ここまでは自分の個人的な体験を文学にした内容。 その他にこの質問掲示板で公的な水源地の管理者が、水源地によくわからない祠のようなのがあるが、公共の場なので撤去したほうがいいのではないかと質問したことがある。 その時も、私のこの経験を持ち出して丹念な回答をして、水源地というのはそこらに転がっている丁度いい岩にしめ縄をまくとか、よくわからんけども祠みたいなのを置くとかしないと、近隣の住人が不安感から噂話を始めるもので、むしろそういう気休めを積極的に行って不安を取り除くのは、水源の管理手法で巧妙な事だと説明した。 今回はそういう話題で、哲学の暇人が新着入荷として寄ってたかってこねくり回す学問の研究会が意図です。 話し合いたいというよりも、私も助言から新着入荷の新しい着想を獲得して、またしても黙々と自分で考えたいだけです。

  • 天国も輪廻?

    生前に良い行いをして死後、天国に行っても永遠に暮らす事が出来ず、いつかは輪廻転生しなくてはなりません。 これは輪廻転生から解脱しない限り、永遠に生まれ、死んで、また生まれ、また死ぬを繰り返す事になります。 もしかして天国も輪廻の1つですか?

  • 妖精さんの物語「狂気と厄災の犠牲」

    妖精さんの物語「狂気と厄災の犠牲」 ご挨拶として、私は脳内に妖精さんが生息しているという奇病を患っている。 それで気晴らしに自己の心象風景を漫画やアニメのネタ帳の体裁で書き溜めることを、これ系のテーマにしている。 さてと、 唐傘お化けというのは、原始精霊を忠実に再現して、サイボーグ的に人格神のひな型にした、日本のシャーマニズムなんだ。 式神というのは、シャーマンの神託を口伝に先んじて地上に流布する目的の精霊を神世より劣化を伴いつつ、同等に使役するので、西洋の使い魔よりはましだろうが、あまり役に立たない。江戸時代に埋没した卓越した霊能力者が、より原型に近い「唐傘お化け」を発明したのに埋もれた。 妖精さんの聖麗美は日本の神々から許可を取り付けて「からかさおばけ」域外に派遣した。 唐傘お化けも観念世界の住人だ。 観念世界においては、殺害は重大な呪いをもたらし、殺害者は消えない呵責に狂うんだ。 それが形容するならば、天使が悪魔に堕落した状態だ。 唐傘お化けは、過去の惨劇で天界と言いながらも、中身がほとんど地獄という域外に、主に救援目的で派遣された。 世麗美の当初からの方針はシンプルで「正気を取り戻してもらわないと、実に困ったことが起きる。」という思惑で、正気に立ち返し内部から自浄作用を発揮させるための使者として唐傘お化けを派遣していた。 唐傘お化けは渡航先で「殺意の暴風雨」にさらされながら、自己を守り、生存者を救出し、事態の正常化を果たす使命に懸命だった。 かなり後になってから、該当区域の住民は唐傘お化けの意図にようやく気が付いた。 そして、こう言った。 「我々は殺すつもりまでは抱いていなかった」と、 それ自体は、ある程度は理解が回復したからこその心からの言葉であろう。 しかし何が起きるかというと、唐傘お化けは闘争に参加することが使命を果たすことであったから、その使命が転んで一方的虐殺者に「我々は殺すつもりまでは抱いていなかった」という言葉が本心であるほどに転落して狂気に汚染されてしまうんだ。 人によってはつぶやくこともある「神様何故ですか~~~」という言葉がもたらす汚染と似たところがある。 現地では、正気を失いつつある唐傘お化けの弱体化した精神は洗脳が出来ることに気が付いた。 そして囲い込むと、「デーモン」と定義できる強大な兵器として活用が出来る。 ほとんど中身が地獄という天界の住人は。唐傘お化けをデーモンに仕立てて戦争を起こすことを思いついた。 地上は天界が司る。 天界で争いが苛烈だと、事前に収束しないで、地獄の業火として地上に降り注ぐこともできる。 彼らはそれを計画的に準備していた。 唐傘お化けの渡航地域は、議会制もしくは連合制の発達した統率者が分散した天界で、一部統率者の危険な思惑に世麗美は、平和を好む統率者たちとだけ、和平協定と事態打開の協力を取り付け、唐傘お化けに呪術として付与した戦闘能力の解体に踏み切った。 そうすると戦争を寡作する統率者たちは「宣戦布告しておいて戦力不在」が現象する。 唐傘お化けをデーモン化させようとする、悪の統率者たちは唐傘お化けの戦闘能力を回復させるために、牢獄に閉じ込めた唐傘お化けに残酷極まりない拷問を繰り返し加えて、唐傘お化けにデーモンとしての戦闘力を取り戻し魔性の力を与えようと寡作する。 それが「狂気と厄災の犠牲」であり、唐傘お化けのことだ。 さてと、マニアックな人にはたまらない濃い設定の漫画やアニメのネタ帳です。 やや暗い話でとっつきにくいでしょうけども、何か読書感想文でもお聞かせください。

  • あなたはなぜ人間として産まれたんですか?

    人間として産まれる確率は1%よりももっと小さいと思いますがミジンコとかではなくなぜ人間としてあなたは産まれたと思いますか?(哲学)

  • 創価学会の会員の方に質問です。

    創価学会の会員の方に質問なのですが、創価学会の会員の方は、佐藤優(キリスト信者、学会の事には理解があるとか聞きました)のダンテの神曲の解説の本(本の内容はキリスト教的な内容)や大川隆法の二十歳に還りたいの本等を読む事は他の宗教なので駄目なのでしょうか? また、それらを興味があるからといって創価学会の方が読む事は罰を受ける事にあたりますか? 僕自身、学会二世で今まで学会の世界のルールにはのってきたので、罰と教えられてきたのですが、他の宗教がどういう教えか、最近、興味本位で読みたいですが、絶対学会の先輩に質問すると、指導を受け絶対それはやめろと言われそうなので、もっとはば、広く世の学会の方の意見をお聞きしたいですがいかがですが、 お叱り多いに歓迎です 辛口多いに歓迎です なのでよろしくお願いします

  • 永遠に生きて永遠に死に続ける

    あの世ってあるのかい? あると仮定します。 で、天国だとか地獄とかもあると仮定します。 死んだら天国か地獄に行くとして、そこにいるのは魂ではあるんだろうけど、透明で何にも触れられずに透けちゃうみたいな存在ではないと思う。 魂という存在ではありつつも、現世の人間そのものがそこかしこにいると思う。 で、その天国や地獄においては無敵で不老不死で絶対にもう死なないなんて事もない気がする。 天国や地獄においても怪我もすれば病気にもなるし最悪死ぬ事もある。 で、そこで死んだら、また別のあの世だとか天国だとか地獄に行く… もうさ、ずっとこの無限ループだったとしたら、死ぬのも悪くないから、とりあえず生きていられる内はこの瞬間を生きませんか?

  • ゲームをすることにどういう意味があるのか

    例えば勉強を12時間する、例えば学生がプロのスポーツ選手を目指して長時間練習することには意味がありますが その意味で言えば、ゲームを12時間やり続けて何か意味あるのでしょうか?

  • 「論語」を学ぶのにお薦めの本

    あらためて、論語を深めたいと思っています。 関連図書で渋沢栄一さんの論語と算盤は読んだことがあるのですが、論語そのものを深めたいと思った時に、発刊されている書籍が多くどこから読もうか悩んでいます。 みなさまおすすめの書籍を教えていただけますでしょうか。

  • 【宗教、哲学】私が避難所が嫌いな理由は、自分が地震

    【宗教、哲学】私が避難所が嫌いな理由は、自分が地震対策で前もって準備してきた準備万端の簡易キャンピングベッドと断熱シートと極寒にも耐えられる寝袋に着る毛布と冬の災害にも耐えられるように準備してきたアリなのに、避難所に行ったら、座布団を掛け布団にしている高齢者がいるわけです。 着る毛布に寝袋に断熱シートにキャンピングベッドで寝ている横で、おばあさんが寒さに震えながら座布団を布団代わりに寝ていて、折角準備万端の避難道具で快適な避難生活を始めようというときに周りの大人たちから、おばあさんが寒そうなので毛布を1枚上げたら?とか簡易ベッドで寝ているんだから断熱シートをおばあさんに上げたら?と言われて追い剥ぎにあった気分になって、嫌ですと言うと、2、3日すると国から毛布が支給されて、そこから完全に村八分になって無視されて食料の支給もわざと飛ばされたり嫌がらせを受けるわけです。 じゃあ、2、3日国から毛布が届くまでアリはなんの準備もして来なかったキリギリスに毛布を上げたら、逆にこっちが寒い夜を過ごすことになります。2、3日で国から毛布が届くという情報はなかったし、2、3日で毛布が届こうが2、3日は寒さに震えて過ごすことになっていたわけです。 どちらにしろ地獄の道しか選択肢がなかったと思いますが、この場合はどうするのが正確だったのでしょう? ちなみに食料が支給されるのは避難所なので避難所にいないと食料支給日時はわかりません。

  • 寺の住職の筋の通らなさに関してです

    寺の住職の修行の護摩行と断食などって単なるドMプレイですよね。 本当の修行って世間の荒波にもまれて人から何の非がないのにも関わらず侮辱され、家族までいじめられても尚人に対する慈悲を持つことなのではないでしょうか? 収入の大半がお葬式と何回忌といった人が死ぬ、つまり人命をなくすことを喜ぶ商売ですよね。 法律上は駐車場の費用は税金を納めることになっていますが、実際は宗教上関係があるといって免税されているのが実情なのでは。 よくこういうことを言うと小さい寺は一家離散しないといけないと言いますが、すればいいのでは。それが修行ですし、本来のあるべき姿では。 なんで、浅はか人間があれ程偉そうなのがまかり通るのでしょうか。宗教法人から法人税をとれば貧しい人にも助けになるはずですし、寄付したなんて話聞いたことないです。 瀬戸内寂聴も愛に生きたとか言いますが、略奪愛ですよね。相手の方の愛は蔑ろでしょうか? 日本が宗教国家ならわかりますが、基本無宗教国家なのに優遇されるのでしょうか。

  • 創造の力で建物を建てられる?

    全知全能の神様が持つ創造の力で建物を建てられますか?