歴史の教科書に 魏の歴史書(『魏志』倭人伝)によれば… と書いて有るんですが、なぜ魏志倭人伝の魏志に『』がついてあるんですか? また、テストでこれを聞かれたときは、『』をつけたほうがいいですか? よろしくお願いし
魏志倭人伝に・・・ 男子は大小となく、皆鯨面文身す。古より以来、その使い中国にいたるや自ら大夫と称す。 夏后少康の子、会稽に封ぜられ、断髪文身、以て蛟龍の害を避く。 とありますが・・・ 質問1. 夏后少康の子とは
なぜ卑弥呼のことが書かれている書物が「三国志」ではなく、「魏志倭人伝」と教科書に載っているのでしょうか? もとは中国の正史「三国志」の中の「魏志(魏書)東夷伝」の「倭人の条」なのだから、「三国志」でも良いと思うのです
「邪馬台国はどこか」に興味があり、魏志倭人伝についての解説書をいろいろ読んでいるのですが、みんな日本人が書いたものばかりで。。。 倭人伝は中国人が書いたのですから、中国人はどのように解釈しているのか知りたいのです
カテを間違えたので再投稿です。 魏志倭人伝に関してなんですが、 現在比定されている末盧国から不弥国までの道を辿ると、倭人伝では「東南か東」方向ですが、実際には「ほぼ北東か東」方面に進んでいるように見えます。 そこで
卑弥呼について書かれている『魏志倭人伝』に「男弟」というのは、卑弥呼の
卑弥呼について書かれている『魏志倭人伝』に「男弟」というのは、卑弥呼の夫にあたる 「1人の男」=つまり、卑弥呼の服属者なのか?? そして、政務に携わった人という見方でいいのでしょうか??
魏志倭人伝に登場する邪馬台国の女王「卑弥呼」とは何を意味するのでしょうか。当時の日本に邪馬台国という小国があって、その領袖は女性であり、「卑弥呼」という名前だったと、素直に読むべきでしょうか。それとも、一部の歴史家が
「卑弥呼の宗女壹与年十三才なるを立て王となし、国中遂に定まる。」 魏志倭人伝には上記のように記されていますが 宗女とはどういう意味ですか?
魏志倭人伝に関してなんですが、 現在比定されている末盧国から不弥国までの道を辿ると、倭人伝では「東南か東」方向ですが、実際には「ほぼ北東か東」方面に進んでいるように見えます。 そこで、どうやって方角を計っていたんだろう