『昔高麗の城陥りし時、主将敵のために討たれ軍ぬ、家臣遁れ出て落人となりこの地へ来たれリ。彼の者力を合わせて家をつくり、今その子孫分かれて住せり」と新編武蔵風土記に』 http://www.asahi-net.or.jp
遠い昔、日本に攻めてきた元寇の話、特にその元寇の中における高麗の立場についてお聞きしたいことがあります。 戦前と戦後では高麗の評価(元寇にどう関与したか、加害者なのか被害者なのか)が違うと聞きましたが、なにがどう
日本書紀や続日本書紀などに新羅、高句麗などからの渡来人を 東国に移住させたとあります。 もしそうなら彼らの信仰した神などを祀った痕跡があるとおもうのですが、 それは何でしょうか? 埼玉県に高麗神社があり、開祖である高麗
理解を正さねばいけません。 とりあえずWikiで元寇を調べ、朝鮮の関与を見てみました。 『高麗史』によると1272年に、高麗の王世子の椹(後の忠烈王)が、元国のクビライ皇帝に「惟んみるに、日本は未だに聖化を蒙らず。故に詔
元寇に関する高麗史の記述なのですが、同じような内容で、違う記述が良く出てくるのですが、以下の2つの記述は、出典が違うのでしょうか。 ・「(十一月)己亥(二十七日)東征師還還合浦、遣同知枢密院事張鎰労之軍、不還者無慮
元冦一回目(1274)で、撤退理由については様々な意見がありますが納得
元冦一回目(1274)で、撤退理由については様々な意見がありますが納得できない点があります。それは占領した対馬壱岐を放棄したことです。また攻める意思はあったはずですし高麗に間接統治させてもデメリットは元にありません
「宗主国」と仰ぐ「属国」コリアと言う関係した*だと出ています。 ここで属国という意味がどんな関係なのか理解ができないですよ。 コリア(韓国)は中国の一部だったら高麗や李氏朝鮮という国名はどうしてあることですか? 現代国の
シンハラ人のスリランカ政府では、なにか紛争で闘うことを正当化するために仏教の教義を使用していますか? 前線の兵士にはどのような殺生に対する言い訳を用意しているのでしょうか? 他に、仏教が戦争や殺戮・暴力行為の正当化に使われた例などありまし
中国の諸王朝は何度も膨張し、隣接地域を併呑しました。 しかし、朝鮮の諸王朝は呑み込まれないまま存続し続けました。 どうして併呑されず存続し続けたのでしょうか。 各時代で理由は違うと思いますが、教えて下さい。 お願いします。