昔は名前を問われた方から名を名乗るのが作法だったのでしょうか。 「私が先に問われた。だから私が先に名乗ろう。」 下記サイトによれば、一言主の大神は雄略天皇にこのように言ったとあります。 http://tokyo.
Wikiによると第26代継体天皇の在位期間は、 507年3月3日 - 531年3月10日 となっています。 一方で、倭の五王の「武」が第21代雄略天皇に比定されています。 477年 武 興没し、弟の武立つ 502年 梁
雄略天皇について質問があります。応仁天皇から始まる王朝は、雄略天皇で絶頂を迎えたようにおもいます。吉備の反乱を鎮圧したり、関東の埼玉古墳からの剣の出土を考えてもこのことは裏付けられます。 しかし、雄略天皇の死後急速に
歴史の事実の比定を目指しているのではなく 歴史の真実を捉えられないかという目的のもとにあります。 いわば古事記のように そして古事記を基礎として読むと 物語としての歴史にとっては 継体ヲホド天皇に 関心の一つがあります。 河内ワケ政権にと
日本は自殺大国?ですが、歴史上最初の自殺はいつでしょうか? 643年蘇我入鹿が山背大兄王を襲撃したときに、山背大兄王は一度逃げますが覚悟を決め生駒山を下り斑鳩寺に入り、妃妾など一族もろともに首をくくって自害したそうです。 これより古い記述は
役小角は伊豆に流罪になりますが、 それは 「韓国連広足の讒訴」 「一言主神の託宣」 どちらがより説得力のある説なのでしょうか? 役小角が葛城・賀茂につながる人物であるとしたら、 「一言主神の託宣」というのは少し疑問もあります。 よろ
日本書紀によると、第十四代「仲哀天皇」の後に『神功皇后』の章があり、第十五代「応神天皇」と続きます。ところが扶桑略記によると、「仲哀天皇」、『神功天皇』、「応神天皇」となっています。 『神功皇后』と『神功天皇』の、どちらが正しいのでしょう
最近女性天皇の話題がかなり出ていますが、ふと思い出しました。 もうずいぶん前の高校の歴史の授業中に 「男子直系といわれる天皇家は実はこの時代にはつながっていないので、本当は男子直系じゃないと言う学説がある」 と言うような事を歴史のこぼれ話