松下村塾の塾生ではなかった桂小五郎が、どうして高杉や久坂たちの「兄貴分」として長州藩のリーダー的存在になっていったのか不思議なのですが。しかも慎重な性格の桂は、血気にはやる高杉たちにしてみたら、何かとブレーキをかけて
個性派ぞろいで、維新に大きな役割を果たした長州藩に、興味を持っています。以前から疑問に思っていたことのなですが、松陰の兵学門下とはいえ、松下村塾の正式なメンバーでもない桂小五郎が、長州藩のリーダー的存在になった経緯が
長州藩正月恒例の新年拝賀の儀で、 家老が「今年は倒幕の機はいかに」と藩主に伺いを立てると、藩主は毎年「時期尚早」と答えるのが習わしだったという。 と、ウィキペディアに載っていましたが、これは本当の話ですか。 (他にも何
長州藩は正義派と俗論党という2つの勢力が二大政党のようにあり、八・一八政変までは正義派、つまり攘夷派が優勢だったというところまではわかりました。 ところが、八・一八政変の起きる前に長州の尊王攘夷の若手エースの吉田松陰
仕事の関係で最近明治維新について勉強しています。長州藩の桂の思想を中心に勉強していたところ,長州の割拠論と武力上洛論についていろいろ述べられていたのですが基本的なそれぞれの主張の内容がわからず混乱しています。どなたか