白村江の戦い時の航海能力と、その後の遣唐使での航海能力ではかなりの差を感じます。 白村江の戦いでは42,000人、800隻の大軍を送り込める航海能力があったのに、 遣唐使では、10年に1回、4隻送って1隻着けばいい的な
天武・持統期に遣唐使を派遣していない理由って何なのでしょうか?
遣唐使には莫大な費用がかかるといわれていますが、一体どれくらいのものだったのでしょうか。参考になるもの(書籍、サイトなど)を教えていただくと助かります。
悪名高い2ちゃんねるですが結構笑えるのも多いようで 有名なコピペに下記の遣唐使廃止に対する唐の立場からのものがあるます 現代の若者言葉にデフォルメされていて、とても心が和んでお気に入りなんですが これには原文があるの
昔の日本は中国に遣唐使などとして留学をしましたが、滞在中の中国での生活費というのはどうやって捻出したのでしょうか?最初の1.2年程度ならば持参した金品でなんとかなりそうですが、数年も立てばそのお金も枯渇してくると思い
「白紙(894年)にもどそう遣唐使」で知られる894年の遣唐使の廃止ですが、実際、どうやって(何をもって)正式に廃止となったのですか? 歴史の教科書では「菅原道真の提案で廃止」「航海が危険だし、唐からは学ぶものは
青いポスターに書かれていたキャッチフレーズが思い出せません。 「おかえり」 のほかになにが書いてあったでしょうか? あのポスターを初めて電車で見かけた時は、 滂沱の涙に襲われるくらい感動してしまいました。 なのに忘れるなんて…。 チラ