曹洞宗の道元についての質問です。 道元の晩年のこと、当初は在家出家関係なく誰にでも学びの場を提供していたのが、 出家者に限るとした理由について教えて下さい。 本では、一般の人に教える為に正法を歪めるよりも、 釈迦の
「心不可得」の巻の後半で、老婆と徳山の実際の問答が終わったあと、道元禅師がこの2人の仮想問答を行っています。 その中の老婆の言葉の意味が理解できないのです。 「和尚はただもちひの心を点ずべからずとのみ知りて、心のもち
「文字の乱れは、心の乱れ」という言葉ありますが、 出典は何かあるのでしょうか?
私の実家のことですが、曹洞宗のお仏壇の中にご本尊の釈迦如来とは別に普賢菩薩の仏像を入れています。なんでも母の干支の守り本尊だということでが、3~4年前から置いています。それとは別に親類からいただいた道元禅師の彫り物も6
「放てばみつる」ということわざ?に関して、どなたか教えていただけないでしょうか?。 実はこの諺、つい最近初めて知ったのですが、とても自分に対して、いろいろと思い当たることがあります。 この語源は、いったいどんな内容だったのでしょうか?。 も
各聖人は生きた時代が重なってる様ですが、法然聖人と日蓮聖人は重なってませんが。 各聖人たちはお互いを知ってたのでしょうか? お互いの会った事は有るのでしょうか? 特に日蓮聖人は禅は魔界に入る 浄土宗真宗は無間地獄と言って
最近坐禅を始めたものです。たまたま夜船閑話を読み内観法を試してみましたが、坐禅と同じような気持ちでとても落ち着きました。 そこで疑問に感じたのですが、坐禅と内観法は行う姿勢が異なるものの、本質は同じではないのかということです。 一般的には内