大乗仏教の経典類の大部分は、直接釈迦の言行を記録したものでないのは明らかだと思うのですが、どういう成り立ちであるという建前で流通していたのでしょうか? あるいは著者や編纂者、編纂年月日が明記された大乗経典というものも
創価学会の法華経経典の存在、位置づけ。 南無妙法蓮華経の題目で、妙法蓮華経(法華経)を南無(帰依、信心)するわけですが、 どうして、法華経を実際学ばないのでしょうか?(学ばせないのでしょうか?) 「南無御書」のような気
は(彼らは)「キャンディキャンディ(アニメ)」のことを「经典动漫 小甜甜」と言うそうです この場合「経典」は日本語の「古典」(古典アニメ、古典漫画)と同じ意味だとみなしてよいのでしょうか
スッタニパータは釈迦の直説の経典という意見がありますが、これは正しいのですか。自分は、経典は全部釈迦の没後にできたものと理解していましたが。ウィキペディアをみてみても、古いとは確かに書いてあっても直説とは書いてないよう
平安時代に北宋に渡った、天台僧の成尋は日本に600巻余りの経典を送り届けましたが、それらは現存するのでしょうか?現存するのならどこに所蔵されているのでしょうか?また、そのうち北宋の密教に関するものがあるのならば、読み
お釈迦様は抽象論について無記という態度をとって、これを説かなかったとされていますが、この「無記」の内容を具体的に教えて頂きたいと思います。 また、数多くある大乗の経典にはかなり抽象的な内容のものもあるようですが、無記の
導入は全ての疑問を封じて上意下達を図る特効薬なのだと思います。本当のことは知りません。 さて、翻って仏教です。 仏教徒たらんとする者にも、 ・「如是我聞」などという言わば伝聞だが噂話だかを集めた経典の記述内容を信じてよい
は経典を持たない」 とあります。 色々と調べてみて、wikipediaには、 「聖典(せいてん)とは、神や神的存在、聖人の言行が書かれたもの、または教説がつづられたものの内、それぞれの宗教内で、特に権威ある書物をいう
、これは上座部仏教でも言われることで経典にも根拠を求められるそうですが、空即是色、これが事実無根の創作だろうということです。 いろいろな角度からのご意見お待ちしてます。 返事は遅れると思いますが、どうぞ宜しく。