ずっと史料を読んできて、どうしても読み下すことができない部分がありました。 史料というのは「盛岡藩雑書」という家老の執務日誌なのです。 内容は下のとおりです。 「延宝五年正月三日 一、行信公今日愛宕山方へ、明之依為
岩手県にあった藩は 『南部藩』とも呼ばれていますが 自分は『盛岡藩』と論文の中で使用しています。 それは、あくまでも南部っていうのがそこの藩主の苗字でしかないとか 記録として『盛岡藩』という名前を使うようになったっていう
我々が歴史を勉強するとき「○○藩」と呼ぶ「藩」ですけれど、これは後世の学者がそう名づけたとのことで、江戸時代には「藩」と呼ばれていなかったと聞きました。 それでは江戸時代には藩のことを何と呼んでいたのでしょうか
話の分かる中国人は、自国の恥と思われる所に触れられると、よく「民度が低い」と恥入っています。 それは自国に、他の先進国に比べて又常識や道理に照らしても決して正常と思えない対応や行動規範があり、それをさして民度と言っているものと私は捉えてい