自虐史観という言葉について友人とちょっとした論争になりました。 自虐史観の定義および、誰が言い始めた言葉なのか教えて下さい。
ことが犯罪になる(平和に対する罪)”という東京裁判史観は、いまだに国際法上の定説となっていません。 だから、世界では、戦後、数十回の戦争が起きたけれど、ひとりも、戦争犯罪人として、裁かれていません。 あのイラクのサダム
当初は、東京裁判史観やコミンテルン暗黒史観ではない、自由な議論を通じた新しい史観をめざすといってました。「新しい歴史教科書」問題などを見ていると、 結局、自由主義史観は大東亜戦争肯定史観になったようです。皆さんはどう
A級戦犯に関する議論の中で、 「サンフランシスコ条約により、裁判は受諾した、しかし判決は受諾していない」などという論理展開をしばしば見かけます。しかしよく意味が分かりません。 この理論をご理解されている方に質問します
愛する祖国、四季折々の自然と豊かな風景、優しく慎ましい日本人。 その勤勉さ・和の精神・創意工夫の柔軟さには、誇りと畏敬の念を持ちます・・・・ その中で、敢えて聞きます→「日本・日本人、ここがキライ」な所は? 私は、 ◇政治家の優柔不断と大
すべて間違っている。」ということではないでしょうか? 所詮、泥棒には良いも悪いもないのです。全て悪いのです。 ですから、泥棒が泥棒を裁いた東京裁判史観など我々日本人が受け入れる必要性はないと思います。 皆さんは、どう思います
タイトル通りです。よろしければその理由もお願いします。
近現代史において、敗戦責任は問われないというのは普通なのでしょうか。 ここでいう敗戦責任とは、国民が戦争指導者(政府、軍部)の責任を追及するというものです。 太平洋戦争では、東京裁判は別物なので、結局敗戦に対する責任の
日本人は自国の近現代史を知らなすぎる。小学校からいわゆる「自虐史観」「東京裁判史観」にしばられて、大人になれば「日本は悪い子としたんだな」という記憶しか残らない教育は変えよう。高校教科書でさえも東京裁判に関する本文記述
敗戦の日が近づいてまいりました。 連合国によって軍事裁判は行われましたが、自らの手で裁判は行っていません。 戦後の国際、社会問題の全てはここにあるのではないでしょうか。 また、自ら総括もせず、ダラダラとここまで来てい