ローマ帝国の版図が、北はScotland、南はカルタゴ、東は東地中海まで広がり、「ラテン語」が軍事・行政用語として、各地で通用しました。 東西分裂(AD395)以降の、東ローマ帝国(1453のオスマントルコ占領まで
世界史を学んでいてる受験生です。 教科書をみてて疑問に思ったのですが、「コンスタンティヌス帝がコンスタンティノープルへ遷都し、巨大な官僚体制を築いた。官吏の力は強大となり、皇帝が官吏を使って帝国を支配する体制が出来上がった。ローマは官僚制
などは理解しているつもりです。 又、ゲルマン人の国家によって西ローマ帝国が滅びたこと、 東ローマの皇帝に対抗するべく、教皇がフランク王国を支持したこと (カール大帝の戴冠による「西ローマ帝国の復活」) なども知ってはいるの
世界史の質問なのですが、フランスの王権伸長について勉強していたところ、ふと神聖ローマ帝国についてわからなくなってしまいました(汗 「イタリア戦争」ですが、これはイタリアが戦争に加わっているわけではなくて、イタリアの
みなさん、ローマ帝国の政治について教えてください。 「共和政」、「元首政」、「帝政」の違いを教えてほしいです。 無知なので、よろしくお願いします。 それと、いつから東ローマ帝国のことを ビザンチン帝国と呼ぶようになった
以前、同じ質問をさせて頂きましたが、 調べるにつれて再び質問が出ましたので、お尋ねします。 レポートの作成をしています。 レポート課題は「メロヴィング期のフランク王国とローマ帝国の関係を述べよ」(以前はカロリング期
何年か前から塩野七生さんが書いた本を読み始めて ローマ帝国のことをもっと知りたくなりました。 今、「ローマ人の物語~ローマ世界の終焉~」を読んでいます。 ローマ人の物語シリーズの最終巻まで読んでいながら 学問としては
神聖ローマ帝国に大空位時代というのがありますが、国をまとめる一人者が長年いなかったにもかかわらず、国が崩壊しなかったのはなぜでしょうか?
キリスト教とローマ帝国との関係ですが、ローマというのはイタリアにありますが、これとは違うんでしょうか? また簡単でよいのですが、ローマ帝国はキリスト教にどう関係するのでしょうか? すみません、教えてください。