むかしの中学校、高校についてよく分からないことがあるので、教えて下さい。 旧制中学校で(または、旧制高校でも)、『 風紀委員 』 というのは、今の中学校の『 学級委員 』 と同じと考えてよいのでしょうか? つまり
1946年(昭和21年)に、東京帝国大学をはじめ、旧制帝国大学が一斉に、男女共学になりましたが、その際、女性の受験希望者は、高等女学校を卒業しただけでも受験資格を有したのでしょうか? それとも、森山真弓さんや、中根千枝
第2次世界大戦後に出来た新制中学校はどうやって作られたのでしょうか? 校舎などの設備や教師(そもそも教師免許はどうしたのでしょう?)、生徒などどういう経緯があったのかが分からないので教えてください。 (戦前の旧制中学校
が定員を上回る人気大学・学科以外は無試験で大学に入れたため、旧制高校の入試が現在の大学入試の位置づけであったと聞いています。 ところで、戦前の官立大学には、帝国大学以外のものがいくつかあります。大正期に大学に昇格した
呼ばれていたのは中等学校でしょうか?では、現在の中学校は何と呼ばれていたのでしょう? 現在では 小学校(6年)→中学校(3年)→高等学校(3年)→大学(4年) ですが、 旧制だと、 「???」→ 中等学校(4年
旧制女学校について調べています。 いままで十分な学資と本人の意志さえあれば、だれでも進学は可能なのだと思っていました。 しかし母の知り合いに伺った所、「入試がむずかしくて入れなかった。周囲にもそういった方が何人かいる
戦前には、教員を養成する師範学校がありましたが、師範学校は、旧制中学校を卒業した後に入学したのでしょうか。
戦前の旧制中学では卒業時点(18歳前後)で英単語は1万1千くらいは要求されたらしいじゃないですか? 戦前の英語教科書の単語数が通算それくらいだそうですが。 今は3千以下ですか?あまりにも少なすぎじゃないですか? 3千
東日本に公立で○○第一高校が多い理由はなんでしょうか。 (私立:例桐生第一は除く) 盛岡第一高、仙台第一高、水戸第一高などです。多くは戦前の旧制中学校の流れで、地元で一番の進学校だと思います。しかし、西日本では「第一