日露戦争での旅順要塞は本当なら第一次総攻撃で取れていた、という説は本当ですか? 取れていたの意味は完全占領ではなく、要塞の死命を制するに十分な戦果を上げ得たという意味かもしれません。
長文です。6月12日から大連に3人で3泊旅行に行きます。その間、日帰りで旅順にも行こうと思い、現地ツアーに参加したいです。日本人向けというより、英語ガイドの外国人全般向けのオプショナルツアーを希望しています。また大連と
旅順203高地の戦いでは、機関銃に対して正面攻撃を繰り返したたため 死体の山が築かれました。 その数は半端ではなかったと思います。 この死体はどう処理していたのでしょうか? 日本軍は近づけませんから、ロシア軍が処理(
これまで一部地区を除き、厳しく制限されていた中国の旅順口区の外国人立ち入りが、 今年6月からほぼ全面的に開放されたという情報が入りました。 しかし、ネットで調べると正式決定ではないというものもあり、かなり曖昧です
日露戦争の旅順要塞戦等で使用された28サンチ砲の設置について
日露戦争の旅順要塞戦等で使用された28サンチ砲の設置について 28サンチ砲は元々が要塞砲でありコンクリートの強固な土台に設置されるこ とが前提の砲でありますが、日露戦争では結構短期間で砲撃可能となっています。 これ
時代的にも近く(もちろん軍事的発展期であるということはありますが、10年ほどの差で)戦場の広さとしてもあまり違わない2つの攻防戦における死傷者の数が一桁違います(日露7万ほどヴェルダン80万ほどと思われます)この圧倒的な差はどういうところか
旅順攻囲戦 http://ja.wikipedia.org/wiki/旅順攻囲戦 日本軍が長期間にわたり、何度も攻撃し、とうとう陥落させたという印象があります。 ロシアのほうが近代的な武器を揃えていたのなら、どうして
日露戦争開戦前、日本は日清戦争の勝利の結果、旅順の司令部設置、満州の利権の確保、など歴史的には、ごく標準的な過程(日本の一方的なやり方)により中国に利権を確保したのは理解できますが、同じ時期にロシアは旅順に極東艦隊を
日露戦争203高地の質問です。 ロシアは、203高地が陥落する直前に、旅順港から旅順艦隊が外洋に出してしまえば、203高地を陥落させた事自体が無意味となります。 ロシアは203高地を必死で守っていた(戦術的意味を知って