最近平泉の中尊寺の近くを偶然通りました。 それでなんとなく平泉の藤原氏について 興味が湧いています。 何かお勧めの解説本などないでしょうか? 大きな歴史の本ではなく、主にこの 平泉、藤原氏、中尊寺に関して分かり
はじめまして。ちょっと疑問があります。 奥州藤原氏は、東北らへんに住んでいたんですよね。でも、藤原道長は京都で摂政をしていたってことは、藤原一族は京都から東北地方まで移り住んだってことですか??徒歩で?!@@ それとも
来月、東北方面に旅行に行きます。平泉中尊寺にも観光で寄る予定なのですがいままでいったことがないので観光の所要時間が解かりません。それなりに少しのんびりと中尊寺周辺を観光したらどれ位の時間が必要なのでしょうか?あと、この
中臣鎌足の子孫である藤原家と、義経をかくまったので有名な奥州藤原氏(三代目の藤原秀衡など)は、どういった関係なんでしょうか?
奥州藤原氏のことでお聞きします。 藤原秀衡は源義経を受け入れ、大軍を擁して源頼朝に対抗しようとしましたが、藤原秀衡の死後どうしてあっけなく滅ぼされてしまったのでしょうか。 源義経が自害においこまれ、藤原秀衡が病死した
なぜ奥州藤原氏は滅亡したのでしょうか? 藤原氏の武力は奥州17万騎といわれていましたが、これほどの軍勢がなぜ抵抗らしい抵抗をせずにあっさり敗れ去ったのしょうか? 後三年の役より約100年。 戦の仕方を忘れてしまった奥州
奥州藤原氏のことを調べ始めたばかりなのですが、 鎌倉勢が攻めてきてた時や泰衡が討たれた後、 一族はどこかへ(酒田湊以外)落ち延びていったと言うことはあるのでしょうか。
当時奥州藤原氏は京に負けないような華麗な文化を誇っていたといわれていますが、日常の言葉は現在の東北弁に似たものだったのでしょうか、それとも京都弁のようなものだったのでしょうか?
源義経が頼朝から逃げているとき、新潟にも行ったのですか? 新潟の『新飯田村』というのは義経が付けた村の名前だというのをご存知の方、いますか?