哲学のカテで質問したこともあり、 少し哲学のところを覗いていたら ヒンドゥー教=大乗仏教なる投稿がありました。 考えてみれば仏教はヒンドゥー教の影響は受けていると思います。 しかし、=で結ぶのはいささか無理がある
大乗仏教の精神は、利他行だと思います。しかし南無阿弥陀仏、南無妙法連華経などは、自分自身が、浄土とか天国へ行く手段だと思います。自己中心的な行動だと思います。 鎌倉仏教は大乗仏教の精神に相反するのでは?
“大乗仏教”ということばの、“乗”いう字とことばは、どういういみなのでしょうか? 検索や本では当たり前のようになっていて、判らないので、どうかお教えを賜りたくお願いします。
」なのはどういうことですか? あくまで大乗仏教で、「解脱」「悟り」や「如来」や「羅漢」という存在があるという仮定でお答え下さい。乱文失礼しました
いわゆる大乗仏教全般が自己の救済の放棄につながらないのは何故ですか。
を救うことを諦めきれたことはありません。 多分人間の本性として誰もがそうだろうと思います。 そうすると大乗仏教でよく使われる「仏の慈悲にすがる」と言うのがそれだけでは納得できないのではないかと考えました。 仏教の経典と
ジャンルがここでいいのか分からないのですが・・・ 小乗仏教から大乗仏教が生まれた経緯は、解説本を読んで大体理解しているつもりですが(過去の質問も目を通しました)、どうも根本的に納得できないというか、腑におちません