古典で、同じ文章でも送り仮名意識の違いがみられます 例えば、「思」なら「思」のみで送り仮名がないもの 「於毛ひ」のように送り仮名があるものがあります この違いは一体何なのでしょうか? 特にハ行四段活用の送り仮名について
五段活用のことをそう呼ぶのを拒み、四段活用ということにこだわるかたもいらっしゃいます。そうした方の理論的根拠はなんなのでしょうか? 「行く」という動詞の活用の例だと、行かない、行きます、行く、行けば、行こう、とやはり五
日本語の歴史についての授業のテストがあるのですが、試験用紙に自分で説明できるほど理解ができていません。 動詞の四段活用が五段活用にどのようにしてなったのか教えてください。
古文を創めようと 富井健二の『古文文法をはじめからていねいに』という参考書を使用しました そこに行くの未然形は 『行かず』 『行けず』どっち?っていう内容がったのですが 活用するときは、可能の意味を持つのは間違いだと
四段活用と下二段活用の両方を兼ねそろえた動詞を教えてください。僕が探した中では、「たのむ」「たつ」「やむ」「なぐさむ」「かいつく」「苦しむ」「やすむ」です。訳し方が変わってきますから、ちゃんと抑えといたほうがいいですよ
古典のこの問題教えてください! 問い)次の文中から四段活用の動詞を三つ抜き出しそれぞれの活用形もあわせて答えよ。 芋粥すすりて舌打ちをして、「あはれ、いかで芋粥に飽かむ」といひければ、 これがわからないので教え
「忘る」という動詞は、古語辞典を引くとラ行四段とラ行下二段の二つがあると出てきました。 四段活用の終止形と連体形、下二段活用の終止形で「忘る」の形になりますよね? この場合、文中に「忘る」の形で出てきたら四段活用と
です。 >>通用する「満ちる」に対して、四段活用の「満つ」にも、慣用的用法として、<定員に満たない><意に満たぬやつ><一歳に満たない子>などの用途がある。 ここの一句の文意が読み取れません。<定員に満たない><意に満たぬ
古典の質問です。 まろ、この歌の返しせむ。 この「せ」って何ですか? 「返す」はサ行四段活用で、「む」が意志なのはわかるんですが…。
ず の、「歌は思えど」(歌おうと思ったけれど)という部分です。 「歌は」の部分が「歌(名詞)」+「は(助詞)」なのか、それとも文語ハ行四段活用動詞「歌ふ」の未然形なのか、判断に苦しんでいます。もし後者だとして、未然形に