関ヶ原では、吉川広家の内通によって毛利家は静観する羽目になりましたが、広家の内通についてどう評価してますか? 防長二国・三十六万石でも御家を維持した忠臣でしょうか?家康が所領安堵を反故にした為に広家の思惑通りにならな
羽柴秀吉と戦って、鳥取城に篭城した後自害した方の経家です。 広家は実父元春と長兄元長が死んだ後に 「次兄は他家の養子になっているから」という理由で 吉川宗家を継いでいるはずなのにおかしいな、と思ったんです。 この養子
毛利輝元について3つの「もしも」について予想を聞かせてください
で指揮していたら西軍は勝利していたでしょうか。 3)関ヶ原の後、史実では従兄弟の吉川広家の進言に沿って、大坂城を退去しましたが、もしも同じく従兄弟で養子となった毛利秀元の進言に沿って大坂城に居座っていたら毛利家は安泰
良かれと思ってしたことが裏目に出ても自分の非を認めないのでしょうか
うか? 例えば、関が原の戦いでは毛利家のために毛利・安国寺軍の進路を阻んだ吉川広家は結果的に毛利家を転落させましたし、福島正則のように豊臣家のためを思って徳川方に味方したのに、結果的に豊臣家を滅亡に導いてしまいましたが
毛利秀元は智勇に秀でた武将だったようですが、関ヶ原の際、いくら下にいる吉川広家が内通していて動かないからといって、輝元の名代として毛利本体を率いる秀元が本気で動こうと思えば吉川も抗しきれずに動けて勝敗も変わったのでは
宮山の軍勢の伊勢街道への迂回について 南宮山の毛利秀元・長宗我部盛親・長束正家・安国寺恵瓊らは、徳川家と内応済みの吉川広家に道を阻まれて参戦できなかったとされていますが、南宮山の南側にまわって伊勢街道を進み、東軍の側面を
若い頃は覚えていた筈なのに、最近記憶力が落ちてしまいまして…。うろ覚えの記憶では下記のうちたしか2人だったと思うのですが…。なお、吉川は下の名前が出てきません。よろしくお願い致します。 (1)吉川 (2)小早川秀秋 (3)宇喜田秀家
文禄・慶長の役の2つの役の間に 多くの大名が虎狩を行ったと聞いております。 理由は虎の肉が不老不死の薬になると聞いた秀吉が諸大名に虎の肉を送るようにと指示したからだと聞いております。 そこで、この虎狩について (1)どの程度の虎が日本にお
ちなみに僕は 1織田信長:天才的で何にもとらわれない発想は突出している。 2蒲生氏郷:部下思いの武将。秀吉に暗殺されたという噂あり。 3豊臣秀吉:農民から天下へ。大変前向きで明るい。晩年は独裁的。 4北条早雲:謎多い人物。農民の税金を軽くす