ところで、今回の質問は、ちょっと思いついたことなのですが、 「休まれる」よりも「休まれない」 「泳がれる」よりも「泳がれない」(以上、五段可能動詞) 「見れる」よりも「見れない」 「食べれる」よりも「食べれない」(以上ラ抜き
「ちょっとそこ『どい』て!」とかいうときの「退(ど)く」という動詞ですが、大辞林・大辞泉ともに可能動詞として「どける」を挙げています。「どく」は五段活用ですから、そうなるのは分かります。そしてその打ち消しの形は「どけ
と共に、助動詞の「れる・られる」で表わしていた。 読まれる・休まれる・泳がれる・・・A 見られる・食べられる・来られる・・・B 2. 室町時代頃から「可能動詞」が出現する。 五段活用の動詞を下一段活用の動詞に変化させたもの
「起きれる」は可能動詞だし、IMEでも一発でデフォルトで変換させてくれるのに、なぜ先生から叱られるのでしょうか?
可能動詞「動ける」の連体形に「努力」と続いた形「動ける努力」と言う言葉は 文法的には正しいと思うのですが、日本語として違和感を感じます。その訳を 具体的、理論的に教えて下さい。また、「動ける努力」と言う日本語自体が
ウイキを見ていてちょっと感じたことです。 抜粋を交えつつ質問します。 ・可能動詞(かのうどうし)とは、現代日本語(共通語)において五段活用の動詞を下一段活用の動詞に変化させたもので、可能(行為をすることができること
アメリカで日本語を教えています。現在使用しているテキストに可能動詞のあとの助詞について次のような説明があります。 Those verbs that take を can take either をor が when