よろしくお願いします。 ちょくちょく“仏性”というのを耳にしたり目にします。法話とかで「誰でも仏の子で、仏性を持っている」というふうに使われていると思うんですが、これって具体的にいうとどういうものなんでしょうか
お世話になります。 一闡提という人は仏性がないそうです。悪人ということはわかりましたが、具体的にいうとどういう悪人のことでしょうか。それから一闡提に仏性がないことと、信心との関係がわかれば教えてください。信心しないから
。 それは 仏性をそのまま出すと ヱ゛ーダにおける《アートマン(我)》と紛らわしくなるからだ。 (β)の見解: 《仏性ないし如来蔵》は ブッダの説ではない。 (γ):その他(?) * もし(β)の見解を採る場合
仏性は 人間の境地か? 【問い3】 ブッダがもし神であり人間の境地であると捉えられたとすれば それは――表現の問題を問わないとして―― ブラフマン(梵)でありアートマン(我)であるということではないのか? 【問い
仏教では山川草木悉皆成仏と説いていますが これが難解で分かりません。 感情のあるものを有情、そうでないものを非情と 捉えて、人は有情ではあるが髪とか爪など感情の ないところの非情と一体になっている。 人に仏性があるの
お世話になります。 仏性にはいろいろな考え方があるようですが、大乗の涅槃経という経典には誰でも仏性があるという思想が説かれているそうです。 誰にもあるけれど誰でもそれに気がつくわけではありません。そこをこの経典はどう
初期仏教の無我論、無所有という考え方では、自己すら自己のものではなく、個人の存在は五蘊の集合にすぎないということ。というふうに理解しているのですがこれは正しいですか?その通りだとして、一体自己とは何なのでしょう?自分のものではないのに「自己
「凡そ妙法蓮華経とは我等衆生の仏性と梵王帝釈等の仏性と舎利弗目連等の仏性と文殊弥勒等の仏性と三世の諸仏の解の妙法と一体不二なる理を妙法蓮華経と名けたるなり、故に一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏一切の法一切の菩薩一切の
精神において理念や美を描こうとしたその想像世界です。 (ζ) 《仏性》ほど 唱えていながら それにもかかわらず はっきりさせないものはないのではないでしょうか。絶対普遍のことなら そうだと言うべきでしょう。そうでなけれ