質問のカテゴリが違っていたらすみません。 手塚治虫さんのマンガ、「ブッダ」を読んで思ったことがあります。 ブッダは、とてもすばらしい人であることは分かりました。しかし、奥さんとわが子を捨てて、修行の旅に出るという考え
) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆【資料2:その後の悲劇】 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 瀬戸内寂聴『釈迦と女とこの世の苦』によると。マーガンディヤーが ヴァンサ国王の第三夫人となったあと すでにブッダに帰依していた第二夫人の
どのくらいいらっしゃるでしょうか。 人数が知りたいのではなく どのようにその状態を捉えておられるのかをおしえてください。たとえば 実際であるかどうかを措くのですが ブッダは次のように語ったとされています。この境地
絶対(または絶対者)として想定していて 信仰の対象ですか。 きわめて単純に また 類型的に言って 人間 = 絶対(絶対者=神) ↓ ゴータマ=ブッダ イエス =キリスト
仏性というのでしょうか それは 絶対の境地なのでしょうか。 それとも 人間であるかぎり ゴータマ・ブッダとて 絶対だとは言えないでしょうか。 あるいは 生命だとか慈悲というのでしょうか そのような普遍的な力とその
あらためて問いたいと思います。 【定義1】 神とは ひとり満ち足りている存在を言う。 * (わざと この舌足らずのまま・あいまいなままとします)。 【問い1】 ブッダは 神か? 【問い2】 ブッダないし
連想します。主人公ソクラテスは、即ち著者のプラトンはブッダが説く「五蘊皆空」と同じ認識にあるやに読めます。ブッダは此処から「色即是空」を導き、プラトンは最終的に「イデア」を導きました(?)。言わば同じ認識から一方は「無」を