などは理解しているつもりです。 又、ゲルマン人の国家によって西ローマ帝国が滅びたこと、 東ローマの皇帝に対抗するべく、教皇がフランク王国を支持したこと (カール大帝の戴冠による「西ローマ帝国の復活」) なども知ってはいるの
フランク王国が3つに分裂して、西フランク王国(フランスのおこり)、東フランク王国(ドイツのおこり)、イタリア王国の3国になったという記述をインタネットで見たんですが、 (http://members.jcom.home
以前、同じ質問をさせて頂きましたが、 調べるにつれて再び質問が出ましたので、お尋ねします。 レポートの作成をしています。 レポート課題は「メロヴィング期のフランク王国とローマ帝国の関係を述べよ」(以前はカロリング期
フランク王国の発展についてかきたいんですが、カロリング帝国のことを関連ずけて書きたいのですがうまいことまとめることができません…誰かうまくまとめていただけるかたいらっしゃいませんか??
フランク王国の信仰が 自然神→ほんの少しアリウス派→アタナシウス派 と移り変わったと授業で習いました。 なぜ「ほんの少しアリウス」なんですか?もっとがっつりアリウスではないのはどうしてですか?
ゲルマン人の大移動によるフランク王国の形成過程と、その発展、衰退、崩壊について政治面のことを教えて下さい。
の支配化にあった理由から、セルビアは正教会を取り入れ独自の国家セルビア王国を築いたと思います。 一方でクロアチアもまた、西ローマ帝国の影響でカトリックが入ってきて、独自の国家クロアチア王国ができたと思います。 ココで
フランク王国のカールマルテルが何故、王位につかなかったのか?このことに詳しい方、どうか教えてください。よろしくお願いいたします。
世界史の質問です。 中世初頭のヨーロッパ史です。 フランク王国がカール大帝の死後にヴェルダン条約、メルセン条約で3つに 分割します。 そのうちロタールという王様が帝号というものを引き継いだらしいのですが、 帝号とは