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アメリカの黒人奴隷について

アメリカ大陸へ奴隷として連れて行かれたほとんどのアフリカ人の出身地はどこですか?(西部以外であったら教えてください。)それとなぜかれらはアメリカ南部で有能な農業労働者となりえたのか教えてください。長々しくてすいません。テストの試験範囲なのであせっています。よろしくお願いします。

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noname#58431
noname#58431
回答No.2

○アメリカでの黒人奴隷制度は1705年のヴァージニア奴隷法により確立されました。 「海路または陸路によって、本植民地に輸入されたサーヴァントであり、その出身地での非キリスト教徒はすべて奴隷とされる。彼らは以後キリスト教徒に改宗しても売買の対象とする」 また、その子供は「奴隷の子どもの身分が自由か不自由かは、その母親の身分に従うもの」 とされました。つまり、黒人奴隷間に産まれた子供は奴隷(親を所有しているプランターの所有物)、更にに白人男が黒人女に産ませた子供も奴隷としました(勿論白人と黒人の結婚は禁止されていました)。 ○19世紀半ば頃まで、黒人の出生率は非常に高かったが、これは奴隷の増加はプランターの財産の増加となったためです。利益のあがらないプランターは、この余剰奴隷を売却して利益をあげていたのです。1830~60年の間にヴァージニアから30万人の奴隷が綿花地帯の南部に売却されました。 ○死ぬまで強制労働させるため、売買されたのが奴隷です。労働能力の劣るものには死が待ち、頑健な奴隷の子は高く売買されたのです。 ○米国南部綿花地帯奴隷の実態はストウ夫人著「アンクルトムの小屋」をお読みになることを進めます。

6116
質問者

お礼

たくさん説明ありがとうございます。奴隷に関してのテストが出るので参考にさせていただきます。

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  • ayumu-k
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回答No.3

南北戦争以前の人種関係や奴隷制の専門家ではありませんが…。 奴隷にされた人々の多くは西アフリカ出身でしょうね。 もし黒人奴隷が「有能な農業労働力」だったとして、それは彼らが「黒人だった」からではありません。むしろ、綿花プランテーションという生産形態にとって奴隷制が都合のよい生産様式であったからです。プランテーションによる原料生産は粗放的な農業であり、賃金によって労働者のモチベーションを高める必要がありませんでした(育った綿花を全部採取してしまえば、それで生産は終わる)。そうした場合は、奴隷を脅して、あるいは、時にはアメを与えて、無理やり働かせる方が、コストの面で有益だったのです。   これは、当時の北部で勃興しつつあった工業が、より効率的な生産性を求めて自由労働(契約による賃金労働制)を採用したのとは対照的でした。そのため、とりわけ共和党に結集した当時の北部資本家たちが展開する奴隷制批判議論の主軸は、「奴隷制は生産効率性に反する、堕落の制度である」というものでした(自然権的な発想からの反奴隷制議論は、必ずしも北部世論の主流とまではいえませんでした)。   アメリカ南部で奴隷制を堅持して綿花を生産したのは、イギリス等に輸出するためでした。当時の世界経済は、イギリスを頂点とした工業生産を主軸とする資本制によって編制されており、その枠組みの中で各地域はしかるべき生産を担いました。それゆえ、アメリカ南部は一見すると古代のような奴隷制を採用し、東ドイツでは穀物を生産してイギリスに輸出するために再版農奴制を採用するなど、(マルクス主義の発展段階論のような観点からすれば)時計を「逆回し」にするような事態が、世界経済に統合された各地で見られたのです。 なお、南部が奴隷制にこだわったのは、生産性という理由だけではなく、文化的な理由もあると思われます。南部の白人プランターたちにとって、パターナリスト的な支配を黒人奴隷に及ぼすことは、アメリカの支配層としての自分たちのアイデンティティにとって枢要なものでした。ですから、彼らは奴隷制がコストの面からあまり割に合わなかったとしても、自分たちの支配層としてのステータスを維持するために奴隷制を守ろうとした可能性は高かったと思われます。 奴隷貿易が禁止されていく中で、奴隷の再生産は奴隷の出産によって行われるようになりましたが、白人プランターは家畜を種付け・交配するような感覚で黒人奴隷に子を産ませていたこと、特に「混血は肌の色が薄いゆえに純粋な黒人より高く売れる」という価値観から、プランターが黒人女性奴隷をレイプし(これは「奴隷は人ではない」がゆえに犯罪とすらされなかった)て産ませるという事態が頻繁に見られたことは忘れられてはならないでしょう。 ちなみに黒人が従順であったか…という問題については、彼らが(卑屈で従順な黒人というステレオタイプの「サンボ」像として知られるような)白人奴隷主に隷従することをよしとする人々ではなかったことは明らかです。   奴隷たちはたびたび反乱を起こしていました。その代表例が、ナット・ターナーの乱です。それほど大規模なものでなくても、小さな暴動は起こっていましたし、黒人奴隷にとって奴隷主に対する最大の抵抗手段はサボタージュと逃亡でした(逃亡については、北部の奴隷制廃止論者たちによって組織された「地価鉄道」という団体が、奴隷の北部、そしてカナダへの逃亡を手助けしていたことがよく知られています)。   彼らは奴隷にされた状況下の中で、できるかぎりの抵抗を行っていました。インディアンの場合は、そもそもアメリカ合衆国という政体の外に排除された存在であった、つまり文脈やおかれた状況が黒人奴隷とは異なるので、必然的に抵抗の手段も黒人奴隷とは異なります。

6116
質問者

お礼

詳しい説明をたくさんありがとうございました。すごく参考になり助かりました。黒人の歴史はやはり、奥が深いと思いました。明日試験なので参考にさせていただきます。本当にありがとうございました。

noname#68662
noname#68662
回答No.1

こういうこと言っちゃ差別的かも知れませんが 黒人はとても従順で奴隷として使うには最適だった ようです。 インディアンはプライドがあるから奴隷には 向かなかったようです。 出身地はアメリカに近い大西洋側ということもあって やはりほとんどが西部です。 1970年頃まで(今でも?)中東では奴隷売買が 行われているそうです。

6116
質問者

お礼

私も、その通りだと思いました。本当にひどい話ですよね。明日のテストで参考にさせていただきます。ありがとうございました。

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