• ベストアンサー

飲酒は神経症的な行動か?

自由律俳句の一方の雄・山頭火の泥酔は 強迫神経症 のエピファニーであるとする研究書があります。 また、どこかで 飲酒は神経症的な行動である、とする記述を 目にしたことがありました。 楽しむため、コミュニケーションのための 飲酒は、特に神経症的行動とは 思えません。如何なものでしょう?

noname#8908
noname#8908

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Eivis
  • ベストアンサー率29% (1122/3749)
回答No.2

自分を自虐的にやり切れなくなるまで飲んだり、そうすることによってしか自己を表現できなかったり、山頭火でなくても 戦後日本の文壇には、いわゆる無頼派といわれる方は多いように思います。 (坂口安吾、織田作之助など) 当時は一般庶民も、似たような飲み方をしていて「浴びるほど・・・」「トコトン呑む」の連中が多かったと思いますが、このほうは 表面的に気取っただけで「強迫神経症」とは程遠いものかもしれません。 家庭もかえりみず、クリスマスの晩は意味もなく盛り場で酔いつぶれる妙な奴とか、、、今70才以上の戦後の虚無感を味わった 世代の男には経験者も多いと思います。。。私はまだ冷ややかな目で見ていた餓鬼でしたが!

noname#8908
質問者

お礼

ご回答有難う御座いました。 林忠彦さんの「カストリ時代」を時々引っ張り出して 見ることがあります。 アンゴさんと、オダサクの写真も載っています。 キタネー恰好ですネ。 あれが、ダンディスム だったのでしょうネ。…… その頃の 東京オリンピック以降、クレジット社会になって 乖離した、もの言いになってしまって ごめんなさい! ダンディスム が消えて、一様になったのかナ とも思えます。

その他の回答 (2)

  • shibako74
  • ベストアンサー率18% (163/876)
回答No.3

私の彼はよくお酒を飲むのですが、最近気づいたのは仕事が次の日にあると量が多くなるということです。ずっと週末じゃなくて日曜日に飲むのはやめたら、って言っていたんですが、やめられないみたいです。もちろん楽しんで飲む時もありますが。彼の友達も仕事が始まる前に現実逃避で深酒をすると言ってました。 だからお酒を飲む心理状態によるのではないかと思います。

noname#8908
質問者

お礼

昔、ある男が結婚しました。 お姑さんは、お嫁さんに一言だけ言いました。 「飲ませてあげてくださいね」 ある男とは、現・東京都知事の弟です。 自分が本当にヤリタイ仕事であれば 前日のセレモニーは必要ないのでしょうネ…… サラリーマンを辞めてから クリエーターの人たちとの付き合いができました。 その女性たちに絶句しました。 時間なんて無いようなもの 26時を過ぎているのに サァ、これから飲みに行きましょうか バンバン煙草を吸って、 バンバン焼酎の、何とか割りを……

  • everyone
  • ベストアンサー率27% (23/83)
回答No.1

>飲酒は、特に神経症的行動とは思えません。 私もそう思います。飲酒自体にカテゴリーというか枠をはめるのはナンセンスですし、嗜好品をとやかくいうのは思想の強制ともいえるかもしれません。 どの文献から読まれたのかにもよるのですが、ある人物や団体を指して、その人達の飲酒が神経症的な行動と書かれていたのではないでしょうか。

noname#8908
質問者

お礼

ご回答誠に有難うございました。 一般人向けの医学事典だったように記憶しています。 その時一瞬、どうしようか?と考えましたが、 現在まで呑み助を続けております。 ただし、 限界を越えて飲んだ日などには、やはり、我乍ら異常とも思えます。

関連するQ&A

  • 自由律俳句と字余り字足らず。

    初めまして。こんにちは。 私は今、俳句について色々と調べているのですが、 自由律俳句と字余り字足らずの定義がしっくりきません。 ある程度の定型感が保てていれば、定型俳句の字余り、字足らずになるのでしょうか。 そもそも自由律俳句は碧梧桐が提唱し、 更に井泉水が徹底していったものですが、 自由律俳句で有名なのは、山頭火と放哉だと思います。 例を挙げれば、 【夕立やお地蔵さんもわたしもずぶぬれ】 山頭火 【こんなよいつきを一人で見て寝る】 放哉 などは、自由律俳句の典型かと思いますが、 では、 【赤い椿白い椿と落ちにけり】 璧梧桐 の詩は、自由律俳句なのでしょうか。 それとも字余りの詩なのでしょうか。 定型感を保っていれば、定型詩だとしても、 ある程度の基準などがあるのだと思います。 そういった基準や、どういうものなら自由律なのか、 どなたがご教授ください。 宜しくお願い致します。

  • 自由律俳句・・・

    ●自由律俳句を学校で習いましたか?(種田山頭火が有名らしいですね・・・)

  • 1行詩をお寄せください。9音以下で、お教えください。

    作例: せきをしてもひとり    〔by 尾崎放哉〕9音の自由律俳句 おとはしぐれか     〔by 種田山頭火〕7音の自由律俳句 源流夏を釣る    〔by 質問者〕9音の自由律俳句 ※真摯なスタンスの作品をお待ちしております。 ★作例は(2句1章の)自由律俳句ですが1行詩も歓迎します。

  • 尾崎放哉のような俳句を作りたい

    表題の通り、尾崎放哉や種田山頭火のような自由律俳句を作りたいです。 僕は不思議にそんな俳句に心打たれます。 作る時のポイントを教えてください。 「なんにもない机の引き出しをあけて見る」 因みに僕の好きな俳句はこれです。でも、これに季語が含まれてるんでしょうか? これもあわせて教えてください。 よろしくお願いします。

  • 山頭火のあるけばかつこうの「かつこう」は季語?

    種田山頭火の「あるけばかつこういそげばかつこう」という俳句ですが、国語の資料集では無季俳句となっていますが、それ以外のネットの俳句データベースや、別の参考書では「季語かつこう、季節夏」とあります。自由律俳句は、無季がメインと聞いたのですが…どちらの方が正しいか教えていただきたいです。解釈の違いでしょうか?

  • 俳句の季語について

    こんにちは。今回は俳句の季語について質問させていただきます。 教科書に「分け入っても分け入っても青い山-種田山頭火」 とあり、この俳句の季語について教科書ガイドで調べてみました。 すると、 「季語・・なし。無季自由律俳句。「青い山」は夏の季語ともとれるが、ここでは無季とする」とありました。 何故、「青い山」を無季とするのでしょうか? ご解答、宜しく御願いします。

  • アナタの好きな自由律俳句の作品をお教えください。

    アナタの好きな、尾崎放哉・山頭火、あるいは別の自由律俳句作家の作品をお教えください。 その作品の、どこに魅かれるかを書いていただければ幸いでございます。 その作品の掲載書名・作品ができた年月 or 年 を添えてください。 ※自由律短歌作家の作品も歓迎します。 ※ネットで検索した作品は、ご遠慮ください。 以上、なにとぞ宜しくお願い申しあげます。

  • これから俳句を始めたい人に勧めたい句集は、どなたのもの?

    <新○○ラギ>のサイトに「これから短歌を始めたい」という人に啄木の『一握の砂』『悲しき玩具』を勧めている指導者がおられ「ほんまかいな!」とチト吃驚したのですが、啄木の作品は小学生クラスでも鑑賞できそうですので、一つの考え方だとおもいます。 他、「これから始めたい」人に参考になりそうなのは自由律俳句では山頭火の句集でしょうが俳句では誰の作品集が該当するでしょうか?  MKさんなど心あたりがないわけではないのですが、アナタ様がこれから俳句を始めたい人にお勧めしたいのは、どなたの句集でしょうか。お教えいただければ幸いでございます。 (アナタさまの俳句歴を添えていただけますと実感として参考になります)。

  • アナタの好きな、山頭火の作品をお教えください。

    私が好きな作品は: ・いつ死ぬる木の実は播いておく ・けさもよい日の星一つ ・風の明暗をたどる ・ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない ・よいおみのりのさやさやお月さま ※山頭火さんの作品は、一部 青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/ で 《種田山頭火句集 『草木塔』》が見られます。 ※1句~5句くらいまでで、お寄せください。 ※『草木塔』以外の作品も歓迎します。 ※以前、皆さまお好みの自由律俳句作品をお寄せいただく質問をさせていただきました。今回は、山頭火さんに限定します。

  • 自由律俳人の俳句の中に定型、あるいは若干の破調のみの

    自由律俳人の俳句の中に定型、あるいは若干の破調のみの 句が散見されますが、これらはどう解釈したら良いの でしょう。自由律俳人にとっては定型も自由律のうち なのでしょうか。 ふるさとはみかんのはなのにほふとき 霧島や霧にかくれて赤とんぼ ふるさとの土の底から鉦たたき ちんぽこもおそそも湧いてあふるる湯 よい道がよい建物へ、焼場です 以上5句、種田山頭火 気をつけの姿勢で目刺になっている(中八) もうひとこと言えば壊れる春の宵(上六) 待たされてまだ待たされている鰯雲(上七) まっさらの消しゴムの角撫でてみる 花火の輪に入れぬ夜の窓開ける(上六) 以上5句、きむらけんじ