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死刑制度、裁判について

このカテゴリーで良いか迷ったのですが・・・ 歴史的に死刑制度や裁判といったものが出来上がってきた背景を知りたいと思っています。 今、殺人事件ものの小説を読んでいて、ふと思ったのですが、どういう流れがあって裁判が始まったんだろうと。色々考え込んでしまって、私なりには復讐なのかな?と。自分で復讐してしまうと収拾がつかないから、だから社会が代わって復讐するのかなと思いました。「目には目を歯には歯を」で。でもそうすると全ての殺人者は死刑ですよね?でも今の裁判じゃあ人殺しをしても死刑にならない人も大勢います。実際、殺害されてしまった人は、どう転んでも生きる(生き返る)ことはできません。でも人の命を奪った人は生きていられる、そういう判決がどうして出るようになったんでしょうか? 確かに、情状酌量される例もあると思うんです。例えば長期に渡って難病で苦しんでいる身内が「お願いだからラクにしてほしい」と懇願していて自分も介護で疲れきって・・・など・・・。そういう事例における判決が前例になって、今のような死刑にならない殺人者の判決がおりるようになったのかなぁ・・・などと色々考えるのですが。 法律的な難しい事ではなく、もし裁判や死刑などが太古の昔からある習慣(?)なら、そういう裁判や制度の発生から、現代のように移り変わってきた流れなどを知りたいと思っています。 どなたかご存知の方、よろしくお願いします。

noname#4100
noname#4100
  • 歴史
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  • ベストアンサー
  • bazarakm
  • ベストアンサー率46% (65/141)
回答No.5

刑法の考え方により結論が変わってきます 懲役刑  犯した犯罪に対して懲らしめとその責任を取らせる目的で罰を決める 教育刑  過ちを認めさせ更正を諮り、教育し社会人として復帰させることを目的に拘束する 日本の法律家の多くは教育刑論です そのため殺人を犯しても無期懲役で済ませることが多くなります 今、犯罪が凶悪になり多発傾向にあるため死刑のあり方が再び議論になってきています 上記の二つの理論のどちらを基本の考え方として採用していくかで結果が大きく変わってきます 世界で一番古い法律書といわれるメソポタミアのハムラピ法典には他人に怪我をさせたときは同程度の怪我を、殺したときは死が与えられると書かれているそうです 先の回答にある「歯には歯を、目には目を」の語源です この考え方は古典的であるようですがオーソドックスでもあるようです 現在、少数派ですが、昔の「敵討ちを認めよ、」という意見も出ています これは言うまでもなく家族による復讐権を主張するものです この意見が出てきた背景は、質問者の言う、殺人犯が社会復帰できて被害者とその家族に対してなんら配慮しなかった法律家の教育刑論に対する反論としてでした 死刑反対派と承認派との妥協点を探るにはまだ遠いような気がします

noname#4100
質問者

お礼

お返事ありがとうございました。 懲役刑、教育刑、そいういう論があるんですね、初めて知りました。そして日本が「教育刑論」であることも。 「歯には歯を、目には目を」の論理(?)も、メソポタミアから始まっていたんですね・・・。 日本の多くの法律家が教育刑論というのも興味深いです。やっぱり国民性とかあるんでしょうか?私自身は何とか「社会復帰」ができるものなら更正させたい、という気持ちは、自分が当事者ではないから言える事だと感じます・・・ 日本の法律家は今まで、被害者の気持ちを考えないでこの論を唱えていたのでしょうか?そうでないと言えないと思うのですが・・・ 日本には、そういう流れがあるんだという事を知ることができて嬉しいです。 確かに何が正しくて正しくないのか、というのは誰にも分からないくて、皆が意見を出し合って、その中で妥協していくしかないんですね。

その他の回答 (4)

  • hozanna
  • ベストアンサー率13% (7/51)
回答No.4

ある本に、普通の懲役はそのひとを更正させるためにあるが、 死刑や無期懲役(特に死刑)はどんなにそのひとが直ろうともうそれを 活かせるチャンスがない。死刑には一種の復讐の感じがある。 その個人への復讐を国家がするのはおかしい。 とありました。 最近はおおくの国が死刑を止め、いま先進国でつづけているのは、 日本とアメリカだけらしいです。 裁判、とよべるかわかりませんが、日本にもむかし「くがたち(くかたち?)」 というものがあたそうです。 死刑も刑というかわかりませんがふるくからあったようです。

noname#4100
質問者

お礼

お返事ありがとうございました。 命の尊さだけでなく「個人の復讐を国家がするのはおかしい」という理由もあったんですね。 私は復讐のために刑罰があるのではないかと思っていたので、とても新鮮なフレーズに聞こえます。 でも思うのですが、殺されてしまった人は何のチャンスももらえないのに、どうして殺してしまった人にはチャンスを与えないとダメなんだろうか?と。

  • zawayoshi
  • ベストアンサー率31% (302/946)
回答No.3

 そもそも犯罪ってのは「違法行為」ですから、「法」がなければ存在しない概念ですよね?  ですから、古代の統治者は自己の権力を維持させるために秩序と言うものが必要となり、その為に「法」を作ったと思います。  ですから、基本は「法を破ったら死刑」だったと思います。  中国古代の法三条「殺したもの死罪、傷つけたもの死罪、盗んだもの死罪」(ちょっち自信なし^^;) なんか、その典型的なものです。  ま、あとの流れはgokuhさんのとおりだと思います。

noname#4100
質問者

お礼

ありがとうございます。 私も今回の質問をする時に、タイトルに法律ができた経緯も知りたい旨を書こうかどうか迷っていました。 やっぱりそれが先にありますよね。 私は今までこういう事は考えたことがなくって・・・ 私も今まで色んな事件が起こって、それに対しての判決なども見聞きしてきましたが、今こういう疑問を持つようになったのも「もし、あれが自分の家族だったら・・・」と考えたからでした。今のような裁判や判決じゃあ、決して納得できないんじゃないかって思った時に、どうしてこういうシステムになったんだろう?と。 みなさんの意見を拝見していて、刑罰の根本的な意味から全然分かっていなかったんだなって知りました。 現代においても、判決は「被害者の代わって罪人に刑罰を加える」ものではなく、「国としてどう思うか」という事の結果なんですよね。 でも、ちょっとイジワルな言い方かも知れないけれど「別に被害者(側)がどう思ってるのかは知らないけど、国としては○○なんだよね」というイメージです。

  • gokuh_
  • ベストアンサー率39% (89/226)
回答No.2

「目には目を歯には歯を」は合理的であるような感もありますが、実は合理的ではありません。 犯罪ばかり繰り返した人間が強盗に入り主を殺したとして、強盗の命を奪ったとて一家を支える主の重みがその強盗に比例するでしょうか? 罪は償う。 それが大前提で判決が生まれてきたのだと思います。 古代によっては労働や兵役。或いは農奴となって。 それに死んでしまったら、それっきりです。 「罪の償い」という意味の判決以外にも「長期の苦痛による贖罪」とうのもありました。 奴隷が良い例ですね。 追放という場合もあります。 人間社会に入ってくるなと。 特に上流階級の社会にいきる人たちには下層階級の貧困生活は地獄にも落とされたよいうに感じた事でしょう。 ですから「例え罪人であっても人の命は尊い」というのは近代の考えであって 昔は命を軽視したからこそ命を奪わなかったこともあるのでしょう。 古代の死刑の有無と現代の死刑の賛否は別物に考えた方が良いかもしれませんね。  また日本は、ある意味死刑廃止先進国だったのです。  平安時代の物語によく出てくるように罪人は追放されるのが常でした。  死罪というのは数百年に及んで行われなかったと思います。  但し、それは歴史に残る上層階級に限られたことで下層民の記録は残ってません から、それらの事例はわかりませんが。 あと余談ですが。  yuunojiさん  >業務中に交通事故で人を死なせたら罪は軽くなります。業務上過失ですが  通常の過失致死より業務上過失致死の方が罪は重いのでないのでしょうか?  また運転中は全て業務上過失致死となるのではなかったでしょうか?  ちょっと自身はないのですが。

noname#4100
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 昔の色んなお話など、とても分かり易かったです。 「罪は償うもの」 あー、そうなんだぁ・・・と何だか納得してしまいます。 昔の例の「奴隷」や「追放」などは、gokuh_さんが言われる「長期の苦痛による贖罪」は、きっと死刑になるよりつらい事になるんでしょうね。 けれど現代の判決は罰金と懲役と死刑ぐらいしかないですよね?それは「罪の償い」や「長期の苦痛による贖罪」として当てはまるのだろうか?と感じてしまいます。もし私の家族が殺されたりして、その犯人が20年の服役後は普通に暮して生きているんだ、なんて絶対に許せないと思います。もし罪は償うものなのだったら、殺した人は一生戻らないのだから、一生償わなければいけないと感じるのですが。 そういう昔の「奴隷」として労働したり「追放」となったりしていた贖罪が、どうして今のような形になったのかは分かりませんか?

noname#4100
質問者

補足

『「例え罪人であっても人の命は尊い」というのは近代の考え』 というお話をして頂いていたのに、再度質問するようなお礼をしてしまって、すみません。 余談ですが・・・やっぱり疑問です・・・ 「例え罪人であっても人の命は尊い」、でもだからこそ今のような裁判や判決になるのであれば、やっぱり被害者を無視してるような気がします。口悪く平たく言えば「もう死んでしまった人の"尊い命"より、生きてる罪人の"尊い命"を大事にしましょうよ」と、自分の家族が殺された経験もない人達が言っているように感じて仕方ないです・・・。 #1の方のお礼にも書いたのですが、やっぱり裁判って被害者のためのものじゃないんですよね。

noname#1890
noname#1890
回答No.1

市中引き回したり、死刑を公開して見せしめにしなければ、罪人はお上を怖がったりしないし、のぼせ上がるだけです。文明社会が成り立ちません。 今の日本はたくさんの外国人と同居する社会になりつつあります。死刑そのものをなくすれば日本は大変なことになります。 業務中に交通事故で人を死なせたら罪は軽くなります。業務上過失ですが、外国人には適用できません。 それでも酒気帯び業務上は後を絶ちません。これはお上が怖がられていない証拠です。今の社会はまさに主権は国民にあり罪は償うものが当然の社会がお上が国民の世話をする社会になってきています。

noname#4100
質問者

お礼

昔の引き回したりする死刑などは私も聞いた事があります。 でも本来の死刑というのは被害者側の「復讐」というものとは全然違うんですね。私はてっきり復讐だとばかり思っていたのですが、秩序ある社会と維持するためのもののようですね。私、ちょっと思うんです。例えば家族が殺されたりしたら・・・って。その時どんな気持ちになるのかなんて分からないけれど「社会の秩序」のために長い裁判があったり、死刑にならない人もいたり・・・ 結局、刑罰って「国のため」のものであって「被害者側のため」のものではなかったのですね、昔から。 ありがとうございました。

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