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江戸っ子はなぜ「ひ」を発音できないのでしょうか?

私の友人は3代続いた江戸っ子です。 彼女自身は「ひ」と「し」の発音は区別できるのですが、 彼女のお父さんは区別ができません。 「ひがし」が「しがし」となってしまうのです。 話を聞くと、その上の代、つまり彼女のおじいさんの世代も 「ひ」と「し」の発音が区別できなかったそうです。 世代(時代)の問題なのか、はたまた遺伝の問題なのか? 言語学的にどうなのか、また江戸っ子の生態に詳しい方、 ぜひ教えてください。

みんなの回答

  • 867fleet
  • ベストアンサー率24% (19/78)
回答No.12

あまり関係ないのですが 「七」に関しては関西でも「ひち」と読むそうですので、もしかしたら江戸っ子以外にもあるかも・・・

  • ojasve
  • ベストアンサー率20% (96/469)
回答No.11

私は江戸っ子でなく二、三代は関東在住ですが「ひ」と「し」が混乱している言葉がありました。 布団を敷く(ひく) 人(しと) 七(ひち) などと言っていました。 たまたま大人になって気付いたものは直しましたが、 海外旅行で知り合った関西人に「人(しと)」という言葉を使ったところ、「江戸っ子ですか?」 と聞かれたときは、人と書いて(ヒト)と振り仮名を振って(シト)と読むのは全国共通で、関西人だけ違うだろうに、まったく関西人は自分達が標準だと思っている、とさえ思いました。 その後注意して周りを聞いてみると、皆「ヒト」と発音しているではないですか。大学生の頃の出来事でした。 私の場合、「ひ」と「し」の違いは分かりますが、単語単語で混ざっています。今でも間違っているものはあるのでしょう。習慣化してしまったものは、他人が「ヒト」と発音しても「シト」と脳内変換してしまっているのです。 最近は、敷物(これはシキモノと言っていた)はひくのでなく、しくのだと強く意識するあまり、ピアノをしく、車にしかれる、とか言ってしまうこともあり、混乱している自分がおります。 大人になってから気付いたものは、毎日「布団を敷く」という言葉を発するとき、必ず意識して(どっちだっけ)と考えてからになってます。 祖母は、山形出身でしたが、いつも「お昼(おしる)」食べなさいと言っていました。 祖母も「お昼」と書いて(おひる)と振り仮名を振って(おしる)と発音する、と思っていたのではないかと推測します。

  • 69db
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.10

早口で喋れば誰だって「ひ」と「し」はときに紛らわしく聞こえるものです。おそらく、敢えて過度にそういう喋り方をする事で「自分は生粋の江戸っ子である」事をアピールしている側面が多分にあると思います。実際には「ひ」をきちんと発音しようと思えば出来ると思います。

  • switcho
  • ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.9

浅田次郎さんの本に、そんなことが良く書いてあったと思います。 たとえば、『朝日新聞』を『アサシシンブン』というのはニセモノの江戸っ子で、『シ』が重なったら、、『アサッシンブン」と、詰まって発音するのが正しいそうな。

  • nuoh
  • ベストアンサー率18% (18/98)
回答No.8

ずばり、ズーズー弁のなごりです。 奈良時代は関東全域でズーズーと(?)しゃべっていました。 口の開け具合がゆるゆるでしゃべることが多く、 「う」の発音も、上方ではしっかりとuの口をするのですが、 東ではw(←uを2つくっつけたような発音記号です)の口です。 標準語は上方式のuで発音するようになっていますが、 東京以外の関東では、まだまだwでしゃべっていることが多いでしょう。 「ひ」と「し」の違いも、 上方では[hi]声門摩擦音、東では[ci]硬口蓋歯茎摩擦音で、 異なっています。 奈良時代には、上方でハ行はファに近い発音でした。 現在の発音も、1000年2000年という単位で変わっているのです。 京と江戸の言葉の違いは、だいたい1000年ほど違っていると考えられます。 1000年前に京で生まれた言葉が、いまの江戸で使われているのです。 文化的に京から遠かった島根県の出雲では、 東日本と同じ「いる」「だ」「ずーずー」を話す、 山陰のズーズー弁とも言われます。 つまり、東日本の特色とも言えるしゃべり方は、 古い日本のしゃべり方なのです。 交通機関もなかった頃は、周りの人のしゃべる言葉を聞いて人は成長しますので、 方言色が強かったのでしょう。 遺伝と言うよりは、風習、文化、癖だと思います。 上方の人は、口をはっきりと開けてしゃべりますけど、 東の人はあまり開けていないでしょ?

  • vicR
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.7

江戸っ子の生態に関連して 私の祖父は下町それも本当の下町=日本橋でしたので、ヒとシは混同しっぱなし、私は祖父母にそだてられましたおかげで私も大人になってもヒとシを混同していた言葉もいくつかあります(布団を敷くを布団を引くと思っていました)。また私の高校(下町の高校)時代のクラスメートにも全く区別できない男もいました。本当に区別できない人の発音を思い起こしてみると、シとヒはほぼ同じ発音であると思います。私の場合、はなす聞くともきちんと区別できますが、他の地方の人よりはシとヒの発音がにかよっているように感じます。

  • vicR
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.6

No.4の回答にあるように、は行の頭子音は p >φ >hと変化したと見られています。つまり唇の破裂音から唇の摩擦音、さらに弱くなって唇もつかわない摩擦音へと変化しています。最後のhになった段階で、ヒとフは地方によって違いがあるようです。東京方言ないし共通語ではヒはドイツ語のichのch、発音記号ではcの下に,がついたフランス語のcセディックという字であらされる発音にちかい音に東京・共通語ではなります(hiという地域もあるとおもいます)これはk(破裂音)の同じ発音位置での摩擦音(tに対するsの関係)の口蓋化(sに対する英語のshの関係が口蓋化)した音です。これとシ、ヘボン式でshiと表記されるようにこの子音はsの口蓋化した音です。この2つが近い発音であることがヒとシを混同する原因でしょう。(内容を省略していますので、必要ならメールください)

noname#181872
noname#181872
回答No.5

日本人は日本語にない外国語の発音が苦手だったりしますよね。 例えばrとかthとかfとかドイツ語のウムラウトとか。 ネイティブの人の口の動きを見るとか、こうするんだよ、という 指導を受けなければできないものなのでは?と思います。 で、周囲の人が「ひ」と「し」の発音の区別をつけない環境に いれば、自分も「ひ」と「し」の発音の区別をつけるという 発想がないので、しょうがないのでは?と思います。 まあ、下の皆さんがおっしゃっているように、今ではTVの おかげで標準語が入ってくるとは思いますが。

picklesjam
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 区別をつける環境ではその区別が身に付き、 区別をつけない環境では当然区別がつかないようになる。 やっぱり環境って大事なんですね。 英語の発音がなかなかうまくいかないのと一緒、 というのはとてもよく実感できます。

noname#118466
noname#118466
回答No.4

発音は時代と共に変ってきています。方言には昔の音が残っているわけです。そのよい証拠が五十音図です。五十音といいますが現代人は五十音は発音出来ません。区別できなくなってしまった音は: おとを いとゐ えとゑ 及び現代の五十音図では文字が一緒になっているヤ行のいとえワ行のうがあり、 これらを差し引くと五十音図の音は45になってしまいます。 九州北部でサ行をシャ行として発音するのは中世の音が温存されているからです。 他にもハ行の音は400年ぐらい前まではファ行でした。さらに500年溯るとパ行の 音だったというのはよく知られる例です。 ハハ(母)→ファファ→パパ 織田信長はたぶんファファウエ(母上)といい聖徳太子はパパウエ(母上)と言っていたと思われます。 関東の一部地域とNHKが保存に努めてきた鼻濁音のガも消え去る運命にあります。 NHKのアナウンサーで常にガを鼻濁音として正しく発音している人は少なくなったような気がします。(私は発音出来ません) 江戸弁のシとヒのような例が外国にもあります。スペイン語とポルトガル語は大変似た姉妹語ですが、次のようなHとFの入れ替わりがみられます。 鉄  hierro(ス) ferro(ポ) 傷つける herir(ス)ferir(ポ) 話す  hablar(ス) falar(ポ) 日本語同様、エフ(F)が古い音です。

picklesjam
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ハ行の話は知りませんでした! 大変勉強になります。 パパウエか・・・なんだかまぬけに聞こえますね(笑)。 鼻濁音の「が」は、その昔、発音教室に通ったときに、 教えられた覚えがあります。 でも日常生活では特に気にしていませんね。 ちなみに五十音図が今の状態になったのはいつのことでしょう? 戦後でしょうか? 「いろは」から「あいうえお」になったのは、 明治以降でしょうか?

  • polnareff
  • ベストアンサー率52% (119/225)
回答No.3

 picklesjamさん、こんにちは。    江戸っ子が「ひ」と「し」の区別を苦手とするのは、遺伝的なものとかではなくて、地域的なものです。私も5代続く江戸っ子で、私は「ひ」と「し」の区別がつきますが、わたしの父(50代後半)の世代になると、「ひるめし」が「しるめし」になったり、「ひこうき」が「しこうき」になったりします。それを周りでからかうと混乱するようで、本来「し」で発音しなければならない語を「ひ」で発音してしまうような現象も見られます。「質屋(しちや)」が「ひちや」になったり。  これは本来日本語において「ひ」と「し」の発音が、発音の方法や音声的に極めて近いものとして認識されてきたという結果によるものです。逆に大阪や名古屋などでは「し」と発音するべきものを「ひ」と発音する傾向が年配層の方々の間で見られます。  このような現象は様々な言語で確認できます。韓国人や広東人は「N」と「L」の区別が極めて曖昧だったりします。広東語で「あなた、君」を表わす「Nei」という語を「Lei」と発音する広東人が多くいます。  小さな頃から慣れ親しんできた音を矯正するのは極めて困難なことです。私達が外国語を勉強しても意識せずにいるとどうしても日本語風の発音になってしまうように。日常生活に支障がない「音の入れ替わり」はひとつの文化です。  では、失礼いたします。

picklesjam
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そういえば「ひ」「し」はローマ字で書くと、 「hi」「shi」。 どちらもベースの音は同じなんですね。 曖昧な発音もひとつの文化、と考えると、 言葉って奥深いものだな~と実感。 標準語の「標準」ってどういう意味なんだろう? とも思います。

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