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adelaideの回答

  • adelaide
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回答No.7

こんばんは! 硬派の(?)adelaide、再登場です! 今夜帰宅時、夜道を歩きながら、masatoshi-mさんのご質問を改めて考えてみました。 ブラッド・ピット主演の、「セブン」はご覧になりましたか?わたし個人の感想としては、何とも後味の悪い映画で、2回目以降の鑑賞では、最後の荒野でのシーンは、どうにも観続ける事ができません。 もしまだご覧になっていないなら、種明かし的になってしまうので詳しくは書きませんが、ご覧になってみて下さい。わたしがもしブラッド・ピットの立場だったら、同じ事をしていたように思えます。もし、犯人を逮捕したとしても、長引く裁判、それに伴う、悲劇の後の被害者の遺族の精神的な苦痛と疲労の癒されない日々、そして死刑廃止制度による最悪でも終身刑という刑罰の軽さから考えると、ブラッド・ピットが行った行為を誰に罰する権利があるというのでしょうか? もう一方で、拍手喝采さえしたくなるような「リップ・スティック」というアメリカ映画があります。作家ヘミングウェイの孫娘、マーゴ・ヘミングウェイ主演の映画ですが、こちらは女性としての気持ちから「やったー!!!」と爽快感すら感じる映画です。もしまだご覧になっていなければ、週末にでもレンタルビデオ店へ行かれる事をおすすめ致します。 そういった観点から考えると、善が悪に勝つのは日本映画やテレビドラマは、せいぜい水戸黄門や必殺○○シリーズ程度でしょうかね?犯罪や刑罰に対する日本人とアメリカ人の取り組む意識の違いでしょう。 できれば、日本でも、ああいった、人々に何かを訴えかける社会派の映画などを作って欲しいですね。 こだわりの話題となってしまいますが、今回の大阪・池田での被害者のご遺族の方々や、心に傷を負った子供達のありのままの現状を、死刑制度反対論者に実際に現地に赴き、時間をかけて見つめて欲しいですね。それでも死刑制度反対を唱えるようでしたら、そういう人は恐らく、人の立場に立ってものごとを考えられない想像力と感性の欠落した人間だとしか思えません。 しかし、インターネットは、こう言うときに色々な方々の意見を拝見できて、本当に素晴らしいと思えます。できれば、法律の専門家の方や、死刑制度廃止論者の方のご意見も伺いたいところですが・・・。 そうそう、先程の回答で、「出張名目で成田空港を出てから成田空港に帰ってくるまで一度も自分のお財布を開かなかった」というのは、経営破綻した某・銀行の行員の実話です。 人を殺めずとも、罪を犯して、何ら罰を受けていない人間は、世の中に溢れかえっているということですね。 あ、「硬派」(苦笑)といえども、わたしは清き水の中に住む魚ではありません。 念の為。 蛇足ですが、adelaideは実在したお姫様の名前で、現在は南オーストラリアの美しい首都の名前でもあります。 だはは・・・、名前負け。

masatoshi-m
質問者

お礼

これはこれは硬派のadelaideさん(笑)、再登場有難うございます。 やはり女性の方でしたか。いえいえ決して名前負けということなど ありません。そんなご謙遜を…。 今仕事が立て込んでおりまして、 お礼を書くのが遅くなってしまいました。m(__)m adelaideさんはよく映画をご覧になっていらっしゃいますね~。 adelaideさんの挙げられた映画は 2本とも観たことないのですよ、恥ずかしながら…。(^_^;) 今週末にでもレンタルしてきて観てみますね。その後にまた 感想でも書き込みたいのですが、皆さん、それまでこのスレッドを 閉じなくてもよろしいでしょうか? 恐れ入ります。m(__)m 私、恥ついでに申し上げますと、 「必殺シリーズ」も1度も見たことないのです。(^_^;)  水戸黄門も子供の時に辛うじて何回か…(^_^;) 水戸黄門は典型的な「勧善懲悪」仕立てのストーリーですよね、私の 記憶が確かなら・・・。この番組、亡き祖母が大好きで、孫の私も 祖母の横にちょこんと坐って何回か見ていた記憶があります。 今の黄門さんは確か石坂浩二さん…。 せっかくのadelaideさんのお問いかけなのですが、 残念ながら今の所は何のご返答もできません。(^_^;) 週末に必ず観てみます(今週末は何だか忙しくなりそうな(^_^;))。 >それでも死刑制度反対を唱えるようでしたら、そういう人は恐らく、人の立場に立ってものごとを考えられない想像力と感性の欠落した人間だとしか思えません。 いや、恐らくそれでも彼らは「死刑制度反対」を唱えるでしょうね(笑)。 何か頑迷強固なる誤った信念が彼らに取りついてしまっているようです。 まぁ、彼らには永遠に「死刑制度反対」を唱えておいてもらいましょう(笑)。 >人を殺めずとも、罪を犯して、何ら罰を受けていない人間は、世の中に溢れかえっているということですね。 「巨悪は眠る」ということでしょうか。 政治家、官僚、そして「国が保護しとんのじゃないか」 とすら思いたくなるようなトップ企業の役員…。 彼らの中に出来の悪いヤツがいたとしても、 人間社会をトータルに眺めてみるなら、それはある意味で 無理からぬことなのかもしれません。 特に政治家は民度の反映みたいなものです。 何だか話が逸れてきたようです。(^_^;) >あ、「硬派」(苦笑)といえども、わたしは清き水の中に住む魚ではありません。念の為。 ええ、ええ、adelaideさんのご文章を読めばそれぐらい分かりますとも。 どうぞご安心を(笑)。 映画の感想は補足の欄をお借りして書き込みたいと存じます。 adelaideさん、2度にわたるご回答有難うございました。

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