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「人を殺してはいけません」

  • 暇なときにでも
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お礼率 14% (46/327)

「人を殺してはいけません」 なぜですか?
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回答 (全237件)

  • 回答No.125
レベル12

ベストアンサー率 28% (155/547)

普通、人が殺されるときに抵抗するものです。あなたも、もし私があなたの目の前に現れて「あなたを殺したいけど、殺していい?」と言ったら普通は嫌と答えて私から逃げるでしょう。  もし、殺人が普通に認められたら人間という種はやっていけないでしょうね。人を殺す権利を得る代わりに、人に殺されるリスクも背負わなければならないのですから。こんな状況で、繁殖や社会生活ができますか?人を愛すること、友情を育むことも困難にな ...続きを読む
普通、人が殺されるときに抵抗するものです。あなたも、もし私があなたの目の前に現れて「あなたを殺したいけど、殺していい?」と言ったら普通は嫌と答えて私から逃げるでしょう。
 もし、殺人が普通に認められたら人間という種はやっていけないでしょうね。人を殺す権利を得る代わりに、人に殺されるリスクも背負わなければならないのですから。こんな状況で、繁殖や社会生活ができますか?人を愛すること、友情を育むことも困難になります。
 金八先生みたいで好きじゃないのですが「人」は支えあって生きているのです。殺人が横行すれところでどうして支えあえますか?
 そのような考えから人が生き延びるために作った社会的な法律だと思ってください。
 もう一つ。戦略的に考えると、人を殺す自由を得るメリットが、殺されるメリットより大きいかどうか。そりゃあ、殺したいほど嫌な奴もいるでしょう。でも、奴らを殺そうとしても返り討ちに会う可能性もあるのです。嫌いな奴を殺せたとすると、今度はその殺した奴らの縁者が敵討ちに来たり……。不毛です。早く嫌な奴らをスッキリさせたいのに、あなたは何十人、何百人もの人間と殺し合いをし続けます。殺せば殺すほど、敵討ちに現れる人が増え、何万人VS一人。殺したくもない人間に命を狙われ、さらに自分の命を狙いかねない人間が増え……。普通に考えれば、リスクが大きすぎる割にリターンが小さすぎると思いませんか?
 嫌いな奴を殺して新しくスッキリした人生を送りたいという当初の目標から完璧にずれてしまいます。戦略的にも大損なのです。
 ただ、私は死刑制度や安楽死には肯定的です。やはり、生きる望みのない人間や、更正が難しいと考えられる人間を無理やり生かすのは社会のためにもなりませんし、その人を苦しめるだけかもしれないからです。どうしても自殺したい人間に限り、社会が死を認めるのは悪くないのではないでしょうか?(ただし、どうしてもという理由が必要です。さもないと、ちょっとしたことで自殺する人間が増えかねませんから。)

 なんか、特設アンケートに持っていったほうがいい内容ですね。
  • 回答No.124
レベル9

ベストアンサー率 5% (3/54)

他人の自由を侵害する権利を個人は持っていないからではないでしょうか。 それにしてもすごい回答数ですね・・・!
他人の自由を侵害する権利を個人は持っていないからではないでしょうか。

それにしてもすごい回答数ですね・・・!
  • 回答No.123
レベル8

ベストアンサー率 31% (12/38)

すごいですね。このスレッド。 すでに誰かが指摘したかもしれませんが、ちょっと前に話題になった 藤原正彦『国家の品格』 にその質問に関する主張が見られます。 要約すると、 「駄目だから駄目」 って感じです。これだけだと何を言っているんだという感じですが、僕は著者に共感しました。時間が許すならご一読あれ。
すごいですね。このスレッド。

すでに誰かが指摘したかもしれませんが、ちょっと前に話題になった

藤原正彦『国家の品格』

にその質問に関する主張が見られます。
要約すると、

「駄目だから駄目」

って感じです。これだけだと何を言っているんだという感じですが、僕は著者に共感しました。時間が許すならご一読あれ。
  • 回答No.33
レベル10

ベストアンサー率 23% (27/113)

「人を殺してはいけない」のと同じように、自分をも殺して・・自殺ですね・・もいけないのです。 物事には全て原因と結果があります。仏教的に言えば・・因と果ですが・・全ての存在はここから生じています。その因と果の間に人間が介在できるならば、人間が宇宙を作っていることになります。しかし、そうではありませんね。 つまり、自然の法則に我々人間が介入できないのと同じく、人の死に関しても恣意的に関わることができないの ...続きを読む
「人を殺してはいけない」のと同じように、自分をも殺して・・自殺ですね・・もいけないのです。
物事には全て原因と結果があります。仏教的に言えば・・因と果ですが・・全ての存在はここから生じています。その因と果の間に人間が介在できるならば、人間が宇宙を作っていることになります。しかし、そうではありませんね。
つまり、自然の法則に我々人間が介入できないのと同じく、人の死に関しても恣意的に関わることができないのは自明の理のはずです。
お礼コメント
savaren

お礼率 14% (46/327)

死の話しになると、よく宗教的な解釈がでてきますが、宗教的解釈はイマイチ釈然としないことが多いです。確かにまっとうなことを言っていると思いますし、理路整然とはしているのですが、どうもその宗教のなかでの内輪の理論という気がしてしまいます。
投稿日時 - 2001-07-01 14:52:45
  • 回答No.126
レベル4

ベストアンサー率 0% (0/3)

あくまで自分の考えですけれども、その人に人生があるから。 人間は平等であるべきだからその人生を奪うべきでもない。 それにも関らず人を殺してしまった者はもはや人間ではなくなる。 人間ではないから「人を殺してはいけません」は適用されず、法律という手段の下で処罰する。 強引なのかもしれませんが、こう考える人もいるということでご参考までに。
あくまで自分の考えですけれども、その人に人生があるから。
人間は平等であるべきだからその人生を奪うべきでもない。
それにも関らず人を殺してしまった者はもはや人間ではなくなる。
人間ではないから「人を殺してはいけません」は適用されず、法律という手段の下で処罰する。

強引なのかもしれませんが、こう考える人もいるということでご参考までに。
  • 回答No.127
レベル11

ベストアンサー率 45% (86/190)

私も「人を殺してはいけません」と言われたら「なぜ?」と返すでしょう。 その理由は、殺人という行為が必ずしもいけない事とは思わないからです。 例えば、正当防衛です。犯罪等から自分や身内を守る為に抵抗ができなくなります。 これは、戦争にも当てはまります。もし、日本が侵略されても戦ってはいけない事になります。 また交通事故等の死者の数は、事件で殺される人よりもずっと多いです。 事故と殺人は違う ...続きを読む
私も「人を殺してはいけません」と言われたら「なぜ?」と返すでしょう。
その理由は、殺人という行為が必ずしもいけない事とは思わないからです。

例えば、正当防衛です。犯罪等から自分や身内を守る為に抵抗ができなくなります。
これは、戦争にも当てはまります。もし、日本が侵略されても戦ってはいけない事になります。

また交通事故等の死者の数は、事件で殺される人よりもずっと多いです。
事故と殺人は違うと言う人もいると思いますが、自動車等に乗った時点で人の命を奪うリスクが必ず発生しますし、乗らないという選択肢もあり、生きていく為の必需品でもありません。
つまり、死亡事故も殺人という行為になるのです。

私は、正当防衛を認めますし自動車にも乗ります、死刑制度だって賛成です。「人を殺してはいけません」に反した考えと行動をしているのです。

しかし、人を殺して良いと考えているわけではないです。

私の考え方は、「人を殺して良いか?」と聞かれれば「時と場合による」と答え、「人を殺してはいけません」と言われれば「○○の場合、○○な理由、ならば」と答えます。
  • 回答No.32
レベル10

ベストアンサー率 33% (43/128)

>>自分が殺されないために。だから、人を殺してはいけません。 >(中略) >人を殺してはいけないと初めて思うのは子供のころです。 >その時にはこのような考えを思いつくほど僕は頭よく無かったです(笑) はは(笑)、頭というより、子供の頃は「自分も誰かから殺される可能性が ある」なんて想像もしてませんでしたものね。 (戦時下で生まれ育っている子供たちは違うかもしれませんが。) 自分の ...続きを読む
>>自分が殺されないために。だから、人を殺してはいけません。
>(中略)
>人を殺してはいけないと初めて思うのは子供のころです。
>その時にはこのような考えを思いつくほど僕は頭よく無かったです(笑)

はは(笑)、頭というより、子供の頃は「自分も誰かから殺される可能性が
ある」なんて想像もしてませんでしたものね。
(戦時下で生まれ育っている子供たちは違うかもしれませんが。)

自分の子供の頃を思い起こしてみると、
「人=殺してはいけないもの」との判断は、
倫理などというより、家族・親類や隣近所など身近なところで起きた、
死別による「残された者の悲しみ」を目撃することで、
「人が死ぬ(いなくなる)のはよくないこと」という価値観(?)が形成されて、
そこから派生した考えだったように思います。

(ていうか、実のところ「人を殺してはいけないんだな」な~んて
 はっきりと考えた憶えありませんけど(笑))

savarenさんが、子供にどう教えれないいかわからなくて、このご質問を
されたとは思っていませんが、
「殺人はいけないことかどうか」を考えることも含めて、
もし子供に「人の命の重み」を伝えたいならば、
「あなたがいなくなると、わたし(たち、みんな)はさみしい」ということ、
すなわち、自分の命(存在)の重さをしっかり覚らせる(さとらせる)ことで、
自ずと、社会に協調的な方向へ向かっていくんじゃないかと思っています。
(矯正不能なほど逸れてしまった成人相手では通用しないかもしれないけど。
 それから、殺人はいけないと"わかって"いても、実行するかしないかはまた別のハナシ。)

>>人が死ぬとそれを悲しむ人が必ずいる。だから、人を殺してはいけません。
>それもあるかと思いました。しかし、実際にそういう状況になった時にそこまで
>考えた上で自分を抑えるのかと思うとやはりそうではない気がしました。

個人差があるのかもしれませんが、
論理・理性による咄嗟の判断とかじゃなく、
反射的に自制してしまうほど潜在的に、
「人が死ぬ(自分が手を下すにしろそうでないにしろ)=よくないこと」という
「感情」がすり込まれていれば、充分なブレーキになり得ると
わたしは思いますよ。


蛇足ですが、
「自分がされてイヤだと思うことは人にしてはいけない」というのは
決して間違った考え方ではないと思うのですが、「教え」としては
有効かどうかわからないなと思います。
痛い思いをするのこそ避けたいと思っていても、
自分の命そのものはあまり重くない(わたしはいつ死んでもいい)、
という人間(子供)は決して少なくはないと思います。
自殺願望とはまた異なるのですが、
一瞬で死ねて痛くないんなら別に殺されたってかまわない、
って人(子供)、いますよね。
お礼コメント
savaren

お礼率 14% (46/327)

>自分の命(存在)の重さをしっかり覚らせる(さとらせる)

これは大事ですよね。このことがインプットされているといないのとではかなり大きな違いがありますから。自分のことを大切に思ってくれている他人の存在を感じることは非常に重要だと思います。

>「人が死ぬ(自分が手を下すにしろそうでないにしろ)=よくないこと」という
>「感情」がすり込まれていれば、充分なブレーキになり得る

つまり、ルールが存在する理由として「感情」というものがあるということですね。瞬間的に「この人が死ぬと悲しむ人がいる」と考えるのではなくて、あらかじめそういったことを考えたことがあって、そのことによって、ルールができていて、それがブレーキになると。そう考えるのならば納得できます。
 この「感情」と先ほどの「自分の存在の重要性の自覚」とあと僕は「痛みを知ること」が大切だと思っているのですが、これらのことがあれば、現代的な殺人はかなり減少するかと思います。

懇切丁寧な回答ありがとうございました。
投稿日時 - 2001-07-01 14:43:04
  • 回答No.129
レベル11

ベストアンサー率 31% (102/324)

受身で考えたら自ずと分かるのでは・・。 5年もたったならそろそろ結論付きましたか?
受身で考えたら自ずと分かるのでは・・。
5年もたったならそろそろ結論付きましたか?
  • 回答No.128

この世で、誰もが平等に与えられたものが、命だからです。 命を無駄にしてはいけません、
この世で、誰もが平等に与えられたものが、命だからです。
命を無駄にしてはいけません、
  • 回答No.34
レベル13

ベストアンサー率 23% (256/1092)

うーむ。レスが多すぎて全部見るのがたいへん。 小学生にもわからせる、というのは難しいですね。 (後に見る回答者の方は、14番の補足を御覧下さい) 今回は自分の意見を難しめに述べてみます。 まず、今までの回答を整理してみましょう。 中途報告のようになりますが。 なお、括弧内は回答数です。分類は僕の勝手な忖度によります。 ●1●自分が殺されるのがいやだから(8)→応用が16番さん。 ● ...続きを読む
うーむ。レスが多すぎて全部見るのがたいへん。

小学生にもわからせる、というのは難しいですね。
(後に見る回答者の方は、14番の補足を御覧下さい)
今回は自分の意見を難しめに述べてみます。

まず、今までの回答を整理してみましょう。
中途報告のようになりますが。
なお、括弧内は回答数です。分類は僕の勝手な忖度によります。
●1●自分が殺されるのがいやだから(8)→応用が16番さん。
●2●社会を安定させ、またそれにより種の保存を確実にするため(9)
●3●殺された相手の今後の人生を奪ってしまう(1)
●4●他人を悲しませるから(3)
●5●他人なしでは生きていかれないから(1)
●6●リセットが利かないから(1)
●7●ただの社会の洗脳と人の損得勘定(2)
●8●自然の摂理(1)
・註・
17番さん、18番さん、19番さんの回答に向き合わない意見も含めません。
21番さん、28番さんの参考URLだけのものも含みませんでした。
26番さんのアドバイスも含めませんでした。
30番さんの意見も含めませんでした。

さて、やっとナビゲート部分が終わり、自分の意見に入ります。
上にこう整理してみたものは、別に多数決で正しいか否かをきめるものではないです。
昔はどんな生き物の殺生でも許されていませんでして。でも、食べなくては生きていかれないから、肉を食らい、魚を食す。鑑賞用の熱帯魚をかわいがるまなざしで見ながら焼き魚のサンマをうまそうに食べる、というのは奇妙な話です。
でも、食べなくては生きていかれない。これなんですよ。

(いや、精進料理なんてものもあるし、菜食主義者もいるけれど、それより前に人間の味覚は肉の旨さを知ってしまった。だから、食べるんです。これは快楽殺生ですね。)

そうすると、生きていくために人間を食べた例があるか、というと、あるんですよこれが。雪山で遭難した集団の物語が。
しかし、生きていくために人を殺すということは滅多にありません。憎いから殺してやる、などと思っても、殺す以外の方法で結構解決できるものじゃないですか。

生きるために最低限の殺生が必要ならば、それは許されるとして、その最低限を超えた殺生をするのは許されない、ということです。
最低限、の基準が曖昧なのですが。
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