怖い教師は治外法権なんでしょうか?

このQ&Aのポイント
  • 私の学生時代に経験した怖い教師の言動について矛盾を感じました。
  • この教師は生徒に対して自身の恐怖で従わせようとする傾向がありました。
  • 私はこの教師の感覚には納得できず、彼らの行動が治外法権であるかどうか疑問です。
回答を見る
  • ベストアンサー

怖い教師は治外法権なんでしょうか?

 私は完全に体罰は否定しませんし、社会的存在にする為に罰則は必要である事  を断っておきます。  唯、あくまで私の学生時代(昭和末期頃)に居た、怖い教師の言動について矛盾に思う事  がありました  その教師はいつもパンチパーマに雪駄履きで学校に来ておりました  校則違反や非行を好き勝手させないと云う処は良かったのですが、  この教師は「理屈の正しさで従う生徒よりも」「自分が怖いから従う」と云う生徒を  好んでおりました  又、この教師が顧問をする部活動は新入部員に「自分が怖い事を示す為に」いきなり頬を叩く  「気合を入れる」と体罰とこの様な感じでした  不良生徒は自分も似た様な心理なのか受け容れておりましたが、  普通に真面目にやっている生徒にも同じ事を行っておりました、  私はその様な感覚が不可解で受け容れられませんでした  又、彼等は「今体罰がうるさいので出来ない」とか「人権とか云うのでやりにくい」とか  云いますが、私も完全に体罰は否定しませんが、この教師の様な感覚は  体罰により序列を作り、それで従う それで礼儀作法を身に付け鍛え強くさせる  と云う事だと思いますが、私はこの様な感覚には成れませんでしたし、他で失礼な事をしてまで絶対服従できませんでしたが、私の様なタイプをこの教師は「鍛えられない弱い奴」と  思っている様でした。  怖い教師は治外法権なんでしょうか?

noname#250543
noname#250543

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#224719
noname#224719
回答No.7

子どもは子どもで大人とは違った 視点で見てるんです。 どんなに見た目が恐くても 悪意のない人にはすぐ懐くでしょう。 子どもなりの感覚があるんですです。 大人になると人格が形成されてるので 見た目だけでなく立場や利害関係が生じてきて 悪気はないのに受入れることができなくなって しまうこともあります。 理解を示したり、自分から歩み寄ることも 大事だと思います。 嫌われたくないから仲良くしたり、 媚びながら好かれようしても 関係を構築することは難しいでしょう。 価値観や人を見る目は違います。 違いを理解することです。 いい悪いは他人に求めることではありません。 周りが教えてくれますから。 > この教師は「理屈の正しさで従う生徒よりも」「自分が怖いから従う」と云う生徒を  好んでおりました 子どもに理屈は通じません。 危ないから触るなといっても自分が 痛い目にあわないと分からないこともあるでしょう。 力で押さえつけろといってるのではなく、 経験させないといけないのです。

その他の回答 (8)

  • tknkk7
  • ベストアンサー率11% (378/3310)
回答No.9

権利は、頭自己中心。

  • tknkk7
  • ベストアンサー率11% (378/3310)
回答No.8

そりゃぁ・・・怖さ見せなけりゃ。働く氣がするかね

回答No.6

 教師が体罰をするのは、おのれの教育力がないことを示しているのでは。威嚇し、体罰をするのは、ヤクザと変わりません。  体罰を容認するという立場に立つと、程度問題に答えを出さねばんなりません。それって、可能なんでしょうか。そして、教育の中に威圧する、威嚇するなどの概念をどう馴染ませるのか難しいですね。  少し視点を変えた回答をしてみました。ご参考になれば、幸いです。

  • Dr_Hyper
  • ベストアンサー率41% (2482/6031)
回答No.5

怖い人がいる。怖いことがあるという動物的な感覚を植え付けるのは,躾の面で悪いことばかりではありません。人間は動物的な本能の上に人間的な感情を被せて生きています。 暴力のみがいいとは思いませんが,これはやってはだめだから,こうしなくては。 と意識がもうろうとしたときに考えて判断するよりは,なんだかわからないけど,しない。というほうが結局は良かった。って場合もあるという指導方法です。 部活などでも,ああもうあきらめてしまう。いやここであきらめるわけには行かない。 と冷静に考えられる選手はいいですが,多くの場合そんな事考えられずに体が停止してしまうわけです。それを顧問が怖いという本能があって立ち止まれない。もうすこしやろう。となるほうが余計な時間を使わずに前に進ませる効果があることはトップアスリートなら多くの人が知っていることです。大阪のとある高校で体罰から自殺があり問題になりましたよね。あれは確かに悲しいことでしたが,その高校のさまざまなクラブの顧問をかばう高校生がアクションを起こしましたが,それを教育学者は洗脳だとか異常な体質だと行っていましたが,あのレベルの高校生が全国への道を切り開くためには,選手である彼らは感覚的にそれが必要だと分かっていたわけです。恐怖を与えるほど真剣に指導することも,本気の一つだと言うことですね。 この先生の場合はそのレベルではないかもしれませんが,治外法権といったわけではなく,昔ながらの方法をなんとく良い面はわかっているけど説明できない。という能力の先生だと思います。体罰推進派にも論理はありますが,世論がそれを否定していますので表に出ないだけです。バランス良く本能と,論理どちらにも刺激をあたえ肉体と精神を鍛えていくことが一番論理的でスマートです。ただ教える方にそれだけの論理体系や能力がなければどちらかしか選べず,今は体罰の方は選べないので,かなり偏った選手が育ってきているのだと思います。

  • akauntook
  • ベストアンサー率19% (295/1481)
回答No.4

学校は少なくとも隠蔽体質でしょうから、おかしなことも蔓延しますね。 犯罪行為があっても事件にしないのは、そう言う通例があるのかもしれませんが、法的にそう決まっているのかはわかりません。 教師だろうが、生徒だろうが、不法行為があるなら弁護士出したら良いと思いますね。 その前の、法整備の方が間に合っていないような気がしますけど。 法治国家なので治外法権と言うことはないですね。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10371/32628)
回答No.3

そうですね、あの頃は今よりずっと子供の数が多くて、いちいちそれぞれの面倒なんて見ていられませんでした。私はもっともピークに近い世代ですが、私らの世代は落ちこぼれなんて落ちこぼれるやつが悪いんであって誰も拾ってなんてくれませんでした。 だからもう力で支配するのもある程度は仕方がなかったと思います。「スクール・ウォーズ」ってドラマのオープニングで学校の中を暴走族のバイクが走り回るシーンがありましたが、あの頃は荒れてる学校だったらああいうことは起こりましたからね。 ちなみに我が中学校ではそれに感化された先輩が口で「ブンブンブブブン!」と叫びながら自転車で廊下を疾走して大騒ぎになりました・笑。我が中学校は周辺の学校の教師から羨ましがられるくらい品行方正な学校だったのでそんな可愛い程度で大騒ぎでしたが、荒れていることで有名な隣の中学校は暴走族に入った子が暴走族仕様のバイクで校庭に入ったなんて事件もあったそうですよ。 今そんなのが起きたらテレビニュースになる大騒ぎですよ。あの頃は「すげー。凸凹中ってこえー」で終わりでした。

  • meido2010
  • ベストアンサー率15% (68/448)
回答No.2

刑務所の理論ですね。人間は悪である。とう性悪説からこういう思想が 広まったのですが。結局、こういう人間には尊敬に値する人は育てられ ません。 元巨人で大リーグ経験者の桑田真澄さんやフィギアスケートの羽生弦さん を育てることなど不可能です。 なぜか、それは全て拘束する相手は傅いてなんぼですから、自由な思想は 育つことはないのです。 こんな刑務所の理論では実際に再犯率は減るかと言えば減りません。 悪い奴はいつまで経っても悪いし、良い奴はそんなに拘束しなくても更生 します。つまり、意味が無いということです。 こういう理論で頭が硬直していたら、結局怖いという感情しか残りません。 しかし、この教師もヤクザ屋さんには叶いませんから、小便垂らして許しを 請うことになりますよ。

  • maiko0333
  • ベストアンサー率19% (840/4403)
回答No.1

警察は基本、学校には立ち入らないようになっています。 なので、恐喝、脅迫、傷害などは「いじめ」という形を取っています。 盗難は紛失になり、犯罪にはなりません。

関連するQ&A

  • 怖い教師は治外法権なんでしょうか2?

     保守的な感覚では (野々村直通氏等)部活動等体罰でやる気を出させ、ここ一番と云う事で  強くさせる、強豪校ではこのようなギリギリの処で行っている、教育で体罰はいけないと云う事であるが 体罰を肯定される方の感覚も踏まえて上で私が矛盾に感じた事を質問させて戴きます  私の中学時代 とある部活動の顧問は仮入部で断った生徒にも体罰  入部して勉強する時間がないと退部する生徒にも体罰を行っておりました  強くさせる と云う事で続けた部員は鍛えられ強くなったのかもしれませんが、  彼等の素行の悪さ(顧問 先輩からの体罰を鍛えてやっていると部外者に苛めまがいの事を  行う)を見て、「強く成る事も鍛える事も良いが 他で失礼な事をしてまで特定の人間に  服従するのは、異常」と私は思いました、  が、彼等は「いじめ」も相手に大怪我をさせたりすると、顧問から殴られておりました、  だから、顧問からすると彼らの方が「自分の思いで強く鍛えられ」「いじめ非行も度を越えない程度に抑えられ」「目指す処には叶っている」生徒に成るのでしょうか?  この様な体制が御上の批判は行わず、鍛えられ強くさせ、そのはけ口として度を越えない  弱い者苛めを容認される、これで日本が伸び調子の時代は上手くいっていたのでしょうか?  又この様な人間の方がエネルギーがあるので使えると云う事なのでしょうか?  某体育大学で別に非道はせず、やることはやるが、暴力的な雰囲気についていけず  退学別の大学に入り直した者も居りました。  この顧問も自分の大学の寮の武勇伝等を語っておりましたが、  この方達は非道はしていなくても「暴力嫌い」な人間を「鍛えられない弱い奴」と思い  嫌っている様でした、  いじめの問題もここの部員が部外者や仮入部の者に苛めを行っても  この顧問は「お前の気持ちはわかるだけどやり過ぎると俺が許さない」と云い体罰を加えており部員はこれで感情がコントロールされている様でした。  又この顧問は「拳」を抑えないといけない事が難しい、だからそれを合法的に出来る  警察か刑務官か体育教師を選んだとも云って居りました  私は完全に体罰を否定しませんが、別に暴れて見たい気持ちは無く、  基本的な処は聞いておりましたが、その様な人間を軟弱者と云う風にに見られます  この顧問と部員にはそこで鍛える強く成る又優しさもあると思いますが、  非道はしていなくても「暴力 いじめ 嫌い」と云う人間を駄目な奴と云い  切り捨てていく処がありました  彼等は私達を非道はしていなくても認めたくないようでした。  それで強く成る、ある人にはこのやり方も良いのかもしれませんが、  その反面素行の悪さやついてこれない人間を見下し、馬鹿にしてる節がありましたが、  この様な教師は不良や血の気の多い人間にとって必要で治外法権なんでしょうか?  ご回答お願いいたします。

  • 治外法権

    北朝鮮の亡命問題がニュースで賑わっていますが、お恥ずかしい話ですが、 今まで「ちがいほうけん」という言葉を、「ちがいほうけ」と勝手に記憶して、 「違い方家」と解釈し、なんとなく言葉と実際が私の中でマッチしておりました。(恥 会社の近くには、大使館の寮なるものがあり、そこは治外法権(私の中では、違い方家!)です。 今回、こういった事件で「治外法権」という言葉を改めて認識した次第です。 何となく記憶した言葉が、自分の中で勝手に理解して、それをず~っとそのままで過ごしている事って、 結構ありそうな気がしますが、みなさんは、いかがでしょうか。

  • 日本の部活動は治外法権的な感覚なのでしょうか?

     40代後半男性です。  学生時代、私は不器用で運動神経がありませんでしたので、  その様な組織は  ついていけないと思い入りませんでした。    学生の時も生徒会やボランティア 運動会の応援団に入り、  その様な早朝の掃除や練習等に行く事はさほど嫌ではありませんで  したし、学校でも当時丸刈りなどの校則はありましたが、その様な 事はそう苦にする事はありませんでした。  数年前に大阪桜宮高校のバスケットボール部で部員が自殺  日本大学アメリカンフットボール部悪質タックルの指示、  監督からコーチへの暴力が行われていたという問題等を見て、  なれ合いでは駄目、時には「モチベーションを上げる」と云う事  も必要かとも思えますが、部活動とは治外法権的なものが  あるのでしょうか?  例えば、私の中学時代強豪部活動の顧問だった先生は  新入部員に此処は厳しい事を示す為   士気を高める為に体罰(暴力)  見学や仮入部で辞退する生徒にも中々退部を認めてくれず、  体罰(暴力)  その様な感覚でついて行ける人は良いがついていけない人も  多数生み出していたと思いますが、この世代の人達がこの様なやり 方しか知らなかったという事が弊害を生み出しているのかとも思えます。  多分、大半の教員の人も顧問や部長を割り当てられても時間外であっても、普通に立ち合い、練習して、引率してと云う位ならば出来ると思いますが、「強くさせたい」故に「厳しく」「モチベーションを上げる」「その結果が認められる」という土壌が生まれ、それに付いていけない人は「根性がない」と云うのがあるのだと思いますが、 それで大成したいという人はその様なやり方が望ましいのでしょうか?(高校の強豪校等に行くとある程度実力者でそのレベルの者が入るという形で、専属の指導者が居る、これはその通りですが、 公立の中学等で「強くしたい」「部活命」の教師がおり、たまたまその地域に居て、その中学校に入る、その教師の思いを押し付けられ、 応えられない副顧問の教師や 部員は犠牲に成ると云う事なのでしょうか?)  上記の教師 テスト1週間前の部活中止に文句を云ったり、  それで来ない部員の家に無理矢理迎えに行かせ、連れて行って  いたそうです。それが部を強くする為に自分は良くやっていると  思って居たそうです。この教師自分の親族が亡くなった時も  部を休まなかったそうです。が、この教師から見れば、この様に  出来ない人は「やる気が無い」と云う事に成るのでしょうか?  そうして、部員(全てがそうではありませんが)が苛めや暴力を  行っても、強く主力ならば加害者でも庇うという様な感覚でした。  当時から授業やクラスそして部活動とバランス良くやる教師や生徒にはこの様なやり方は引いてしまいますし、可笑しいとも思えたのですが、(現在ではこの様なやり方は見直されつつありますが) 「勝つ」「強豪」と云うのではこの様な形の部活動が主で、顧問も この様なタイプが多かったのでしょうか? 先述の顧問である教師も「部を強くしたい」それだけで居た様でした。その為には苛めも暴力よりも「超えられる精神」を要する生徒が可愛く、そうでない生徒は非道をしていなくても「嫌う」という感じでした。(偶然にも前述の生徒が部の主力メンバーだったので) 他の教師は違いますが、この教師は部活をやる為に教師に成り、 強豪にしたい、それが意義があるということでそれはそれで良いのですが、この教師の言動がどうしても此方の考えとは矛盾を起こしているとも思え、他の教員も「ついていけない」と思う人は多かったと思います。がやはり強豪にすると云うとこの教師の様なモチベーションにしないといけないという処があるのでしょうか? (実際実力もみえていて勉強する時間もないと退部した生徒にも 暴力、一切口を聞かないという態度を取ったそうです。)     

  • 運動部は治外法権なんでしょうか?

     最初に質問させて戴く組織について、  批判非難するつもりではないと云う事を断っておきます     やたら権利ばかり主張し、義務を果たさない者とか、皆忙しくしているのに、   残業が嫌とかその様な事は可笑しいと思いますし、   学校でも明らかに生徒が悪い場合や、口で云っても聞かない場合までも   体罰と云う事は可笑しいと思いますし、や立たせる事や走らせる位事までも体罰   と云うのは可笑しいと思いますし、体罰が禁止ならそれに代わる罰則は有っても   良いと云うのが私の考えです。   唯、かなり誇張されているかと思いますが、昔どおくまんと云う方の  漫画「嗚呼花の応援団」と云う漫画が有りましたが、あのような世界が現実ならば   私はとてもついていけないと思いました。   そこにはそこの優しさや意義があると思いますが、   小学校から大学まで体育会系に居られた方の話では、   「真面目にやるが絶対服従等出来ない人間が一番扱いにくい    理屈の正しさで判断するから」   「普通に云っても聞かない人間の方が この人と思うと聞くので    統制され鍛えられるので強く成れる それを今人権 体罰とか云ったから    おかしくなった」と云っておられました   私は、元来運動音痴と云う事と暴力が日常の組織は引いてしまうので入りませんでしたが  別に基本的な事は聞いており、非行などの問題も起こしませんでしたが、超えられない軟  弱者なんですね?  そう思う時点で駄目なんですね?   正しいとは思いませんが、 「普通に云っても聞かない人間の方が この人と思うと聞く  ので、統制され鍛えられる」と云う同級生は部外者や後輩に「鍛えてやっている」   と同じことを行っておりました。   桜宮高校始め体罰の問題も正しくは無いが、この様な感覚だと顧問は非難されず、   表面上は纏まると云う事なんでしょうか?   彼は怖い教師や先輩から「最近たるんどる」と殴られると「嗚呼、俺を鍛えて下さって   なんと有難いお方だろう」と思い 普通の教師の当たり前の叱責に反抗したり、   弱い者苛めを行ったりしても、怖い教師の存在があるので大荒れにはならず、纏まり、   忍耐と処世術を身に着けたと云う事だったのです   (全てがこうだとはもうしません    唯組織によって彼らの様な気質の者が多くなるとそれが主流に成っている様に思えます。  彼が居た組織も運動能力に優れているものは偶然にもその様な気質の者が多かったので、  そうでない者は退部するか幽霊部員状態に成っておりました   この様な組織では彼らの様な気質が主流で 私の様なタイプは本質的に欠落した者とみな  されるのでしょうか?)        

  • 怖い教師は真面目な生徒を嫌う?

     40代男性です  この教師も私の同級生の中には影響を与えたり、不良と云われる生徒の心理を理解したり  又部活動で優秀な成績を収めたりした事は評価したいと思いますが、  私は別に非行と云う問題は起こした事は無く、基本的な事は聞いておりましたが、  この教師は私を含め真面目な生徒を嫌っている様でした。  この教師は「罰則」と云う事を超えて「鍛える」とか「気合を入れる」と云う事で  体罰を奨励している様でした。  又、大学の寮の先輩絶対服従という体制や、同級生に喧嘩を売りそこで番長に成ったとかと  云う武勇伝を生徒に語り、その様な人間関係を絶対と思っている様でした。    この教師の言い分としては不良生徒の方が「この人は叶わないと思うと、云う事を聞く  そして、諦めないで行うので良い」真面目な生徒は「理屈の正しさで判断するので打たれ弱い」と云っておりました。  非行防止は建前であり、非行等の暴れる精神をそのまま競技に持っていける、だから不良(偶然にも運動神経抜群の者だった)の方が自分の目に叶っていると云っておりました。  この部員の多くはこの教師に叶わないと思い、この教師の云う事に従い、この教師の理不尽な  言動(「気合を入れる」と体罰 教師が「自分の車を部員に洗わせる」等)も受け容れておりました。  部員は部外者に適当に弱いもの苛めなどをするが、  この教師に「トロイ奴を苛めたくなる気持ちは良く解るが、やり過ぎると俺が許さない」と  いう感じで、この部員は「あの先生が居たから大荒れにならずに済んだ だから感謝している」と云う事でした。    私は余り暴れてみたい気もなく、基本的な事はどの教師の云う事も聞いておりましたが、  絶対服従は出来ませんでした。  が、この教師は私を含めこの様な生徒を「打たれ弱い 超えられない軟弱者」と云っておりました。  私はその様な気質の生徒ではありませんでしたが普通に言っても聞かない生徒を何とか枠組みに入れ この教師の「鍛える」名目に当たるのが不良生徒と云う事に成るのでしょうか?  ご回答お願いいたします

  • 強面の教師は不良生徒の方を好む

    昨年11月の「テレビタックル」で「体罰について語る」で野々村直通氏の危険を知らない子にストーブの火を熱さを解らせる事は賛同できます、 又、授業妨害や反抗など明らかに生徒が悪場合も体罰完全悪と云うのは問題があるとおもいますし、、それに代わる罰則はあっても良いと思います。 たまたま私の学生時代も経験からですが、強面の教師は悪い事をして罰則にとどまらず、鍛えるとか気合をいれるとかと云う名目でも体罰を奨励しているような気がするし、いじめや反抗をしない生徒より、いじめ予備軍的な生徒を好んでいるように思います (その少し前にも「体罰」についての番組があり、「鍛える為に体罰は必要」と云っておられた方と「もしそこまでして強く成っっても負の部分が生じるので、疑問」と云った方が居られましたが、前者の考えなら強く鍛えるその為には多少理不尽でも仕方がないと云う事でした) 自分の怖さで従い、理不尽さも受け入れ、部外者に苛めを行うが、自分が居るので最小限に抑えられ、自分たちの横暴さには逆らうなと云う体制が好きそうであります (私は完全な体罰否定派ではありませんが、怖い暴力的な教師が顧問をする部の雰囲気はその様な感じであった そこにはそこの優しさや意義があると思うが、私は他で失礼な事をしてまで特定の人間に絶対服従等はできまえんでしたが、意味もなく暴れ怖さで枠組みに入り、その恩義を感じていく生徒はその顧問に感謝していると云う事でありました。 顧問側からすれば、私の様な生徒は害はないが超える精神を持たない軟弱者、後者の彼の様な形が鍛えられ強くでき、いじめ非行も最小限に抑えられるので望むべく生徒となるのでしょうか)

  • 血の気が少ない時点で欠陥なんでしょうか?

     私は完全な体罰否定派ではありませんし、  生徒が私語や授業妨害をする事等は言語道断で、体罰が駄目ならば、  それに代わる罰則があっても良いと思えるのです。  私は学生時代も基本的な事は聞いており、(と云っても規則の上にあったのでそれを  なくすといけないですが)非行や校則違反等の問題も起こしませんでした  唯、怖い教師(あくまで私の学校に居られた先生ですが)はその様な生徒より、  不良予備軍的な生徒を好み、体罰も罰則ではなく鍛える為に使うと云う事をモットーと  しておりました。  私の同級生に 「喧嘩で強く成れ」と父親から体罰の日常で育ち、  「喧嘩で負けると」父親から更に体罰を受けていた方が居りました  彼は普通の教師の私語や提出物を出していない、掃除をやらないと云う事には暴れ、  先述の教師が「気合を入れる」と殴ったり、「白でも黒と云え」と云うと  受け容れておりました  彼からすれば、「叶わない 強いから従う」(そこには愛情もあると思いますが)  先述の教師の側からすれば、「鍛えがいがある生徒」と云う事に成るのでしょうか?  彼とその教師の関係はそれで良かったのですが、先述の教師は全くタイプの違う生徒にも  同じように接しておりました  組織によっては、非道をしなくても、「血の気が少ない」と  云う時点で欠陥になるのでしょうか?  (保守的な感覚で体罰肯定を説く方等の意見はその様な感覚の方が多くおられます   学校には色々な生徒がおり、彼らを躾、個性を引き出すと云う役割は担っていると   思えるのですが、   怖い教師は普通に基本的な事を聞くが絶対服従等は出来ない生徒が一番扱い難いと   云う意見や   「不良生徒を圧倒的な力で従わせる」と云う事も不良には必要ですが   「普通に云う事を聞く 他で失礼な事をしてまで特定の人間に絶対服従できない」   と云う人間が嫌われる傾向にあります)   (田母神俊雄氏や戸塚宏氏の「強く逞しい人間を育てる」のは彼等が第一であり、    「理屈の正しさ」で行う人間は鍛えられないので駄目なんですね?)   この辺りの事をご回答いただきたいと思います    

  • 怖い体育教師の言動について

    ここで挙げられている 怖い体育教師の方を非難するつもりはありません この様な体制も意義があり そこにはそこの優しさがあると思いますと云う事を断っておきます 怖い体育教師の中に生徒には校則違反をすると厳しく叱るが 自らの服装はパンチパーマに雪駄履きで見るからに暴力団風の方がおります 生徒には正しくと云いながら矛盾している思いますが これは 1生徒を従わせる為には威圧感が必要なので 行っているのでしょうか? 2 あくまで私の学校にいた方ですが別に問題は起こさないが絶対服従出来ない生徒より 正しさより強さでしたがい理不尽さも受け入れる生徒の方を好んでいる気風があります この点についてご回答お願い致します

  • 怖い教師は真面目な生徒には用がない?

     別に怖い教師を批判非難するつもりは無い事を断っておきます  風貌や言動がヤクザ的な教師がおり、その様な教師は治安維持の為に必要である事は  頷ける話でありますが (教師に限らず 警察 自衛隊 刑務所等もその様な処はあると思いますが)  この様な教師は  1 どの教師の云う事も平均的に聞く教師よりも    普通に云っても云う事を聞かず、強いから怖いからと云う事で云う事を    聞く生徒を好んであるのでしょうか?  2 不良生徒に合わせる為にこの様な言動をしているのでしょうか?    それとも自分自身も不良生徒と同じ様な心理だったのでしょうか?     私の中学(昭和時代 結構荒れていた)の頃  怖い教師は顧問をする部で見学に来たり、入部を断っただけで  体罰を加えたり、部員にもいきなり気合をいれる 従わせる為に体罰をしておりました。  結局最後まで続けたのは、不良や血の気の多い人間で   彼らは「あの先生はどの子にも同じ様に接するから良い」と云い怖い強いだけでなく  そこには愛情もあると思いますが、拳で語り序列を造り鍛えられ強く成り、顧問から見れば  叶うべき生徒と成るのだと思います。  が、別にいじめや反抗もしない、基本的な事はどの教師の云う事も聞くと云う生徒も  この教師から「気合を入れる」事や「入部を断る」事で同じ様に体罰を加えられないといけないのでしょうか?  この教師は私も含め後述の生徒を非道はしなくても「鍛えられない弱い奴」と思っている様でした。    1強く鍛える為には不良生徒を服従させる方が良い  2この教師にはまっていたものは服従し、この教師を批判せず、   文化部の生徒等大人しい生徒等に適度に弱い者苛めをしていたが、   やり過ぎると顧問から殴られ、適度な弱い者苛めは容認して貰っている様でした。  やはり、非道はしなくても大人しい人間は怖い教師から見ると「鍛えられない軟弱者」で  用のない人間と成るのでしょうか?  ご回答おねがい致します  

  • 不良の方が強くなり鍛えられるので良いのでしょうか?

     中学生や高校生の不良の心理は  普通の教師が席に座れと云ったり、  宿題の提出の有無を聞いたりするだけで  暴れる生徒も居たし、  酷いのになると、「理由は無い、だけどイライラする」  「あの教師を見ていると何か腹が立つ」等と云って暴れる者も居た、  彼等は体罰を否定しない、自分達も物事の善悪よりも、強弱でしか  判断できないから、私も彼等のような心理だったら、体罰の問題なども  おこらなかったのですね。  不良は怖い教師の力で始めて枠に入り、それが無くなると無法状態に成る。  怖い教師は「叱ってくれる有難い人」、自分よりも強く、叶わない人間なら、  理不尽な暴言や体罰も受け容れていた、  確かにこの様な教師は必要だと思いますが、  部活動等に成ると、怖い教師に絶対服従し、  適度に弱い者苛め(後輩、同級生、普通の教師)を行う、  この様な生徒の方が好まれる傾向に有ります。  私は学校の為と思い受け容れるべきだったのでしょうか?       この様な組織でしかやっていけない者も居るので、  有る程度は必要かと思いますが、  私自身、怖い教師でも普通の教師でも基本的な事は従う、  しかし、これ以上は従えないこの様な感覚でした。  しかし、戸塚宏氏や高校野球の強豪校の監督や大学の運動部等の人間関係に  於いては、私の様な感覚は問題児扱いされます。  私は体罰完全悪とも人権をスローガンとする人間でも有りませんが、  理不尽な体罰は可笑しくなります。しかし、それで、無法状態に成る人間も  居ります。彼等の様な心理ならば良かったのでしょうか