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わたしの先祖、どれくらいのレベルの家?

わたしの先祖です。上・中・下をさらに上・中・下にわけてどれくらいのレベルの家だと思いますか?わたしとしては「下の上」くらいかなと思っています。 ・場所は尾張 ・お寺や神社の記録では860年以上前から続いている家(それより古い記録はいまのところ わからない) ・その860年前のころからの本家 ・江戸時代には豪農家 ・江戸以前の身分は不明(武家出会った可能性は低いと思われる) ・市の郷土史に名前が載っている(1600年代頃、水田開発事業の筆頭) ・江戸時代には名主をしていた ・農地改革前は10丁だったか20丁だったか持っていた(うろ覚え) ・現在の家の敷地面積は100坪(決して広いとはいえない) ・明治以降は村長をしていた ・母の実家は旗本。 ・祖母の実家も武家だが武士のなかでもどれくらいの身分だったかはわからない。敷地面積200坪ほど ・父と母が結婚するときの結納金が300万(けっこう少ないんだなーと思いました) ・地元の慣習で花嫁の家は結納金の10倍返しで、母の花嫁支度(花嫁道具)は3000万 =家具、宝石、貴金属、着物など ・挙式、披露宴、新婚旅行、衣装などの資金にいくらかかったかは不明 地主だったとかいうわりには、じゃあ「小作は何件くらい抱えていたのか」という話は祖父からも祖母からも聞いたことがない。また「多額納税者だった」「家で下人・奉公人を使っていた」 「江戸時代に名字帯刀を許されていた」話を聞いたことがない。名字は代々のもので父がいうには「そんなもんこの家が始まってからずっとだわさ」と言っていました。 祖父は長男だという理由で、百姓をやらされ小学校も4年生で終わらされたと聞いています。 本当に地主の身分なら、そんな百姓なんて小作にやらせるのでは?地主の長男という身分が学校にも行けず、汗水たらして畑を耕すだの、田んぼの草むしりだのするでしょうか? また父の話では、祖父母が新婚の頃に祖父母と層祖母が一緒に畑仕事にいって、その帰りに 祖父と層祖母が重たくてひいこらいって担いでいた農具を(自分も持っているの)ひょいひょいと担いで「おっかさん、(祖父)さん、ほらシャンとしやーか!もたもたしとったらおいてくでね!」といってさっさと先に言ったのだとか。これも上記の話と同じく本当に地主だったなら畑仕事くらい小作にやらせたのでは?と思ってしまいます。 ちなみに祖母の実家は元武家といってもどれくらいの身分だったかわかりませんが 「おかいこさまのおかげで女学校に通わせてもらえた」「女工さんたちが働いてくれとる工場には脚を向けて寝れんかった(うっかり脚向けようなら、祖母の父親から叱られたそうです)」 祖母の実家は製糸工場の経営をしていました。わたしの憶測ですが規模はそれほど大きくはな勝手のでは?と思っています。またいわゆる「いいとこ」の家なら女学校くらい余裕で行かせてあげられたと思いますし、大正末期当時もっと上の学校にも行かせれたと思います。 なのでわたしの見解としては ・わたしの実家=下の上あたり ・母の実家=中の中あたり ・祖母、層祖母の実家=中の下あたり かなと思うのですが、どうでしょう

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みんなの回答

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (811/3029)
回答No.6

まず母の実家旗本家 旗本ってのは将軍の直接の家来です。大名の家老で5万石の領地をもってても、大名の家老だと将軍からみたら家臣の家臣で陪臣といわれるのです。 そういう意味では上中下で言えば明らかに上です、武士の中でも上の部類です。 ただし、武士以外の身分に嫁を出してるようですから旗本の中ではあまり扶持は多くないのでしょう。 明確に上の下と分類できるかと思います。 貴君の実家 話を聞く限りおそらく本百姓で村長(むらおさ)レベルの家柄、農民ではあるもののかなり多くの土地をもって水飲み百姓を多く抱えていたことでしょう。 江戸時代は士農工商の序列なので農なので中・農民のなかでは非常に裕福な部類なので中の上ではないでしょうか? 祖母の実家、こちらは蚕を飼うようですから武士ではあるのもの武士の中ではおそらく低い身分、旗本家と縁のある農家と縁があるとなると、おそらく蚕となると上州あたりの藩の半農の武士でしょうかね?(江戸時代末期になると豪農がお金の力で戸籍上武士の養子となり武士身分を獲得してるケースが少なくないです。) となると武士の中で一番低い身分として、上の下ではないでしょうか? なお養蚕の盛んな地域となると、娘を女学校にいかせなかったからといってあまり家の経済力が無かったとは言えないです。明治時代は蚕を紡げば紡ぐほどお金がうなって飛び込んでくる時代で、当時の日本を列強に押し上げた経済力の源泉です。そもそも女性の教育が軽視されてた時代ですし、女学校に言ってる暇があれば家業に精を出せばいくらでも儲かる時代、裕福な家だからといって女学校を重視するとは限りません。

noname#225573
noname#225573
回答No.5

旗本が中の中って事はないんじゃないですか? 武士の中でも旗本は徳川直属ですし、田舎の藩の武士よりは偉いわけです。 ただでさえ武士が偉かったわけで、旗本といったら相当偉いと思いますよ。 それが中の中とはどういう計算ですか? また明治にはすでにほとんどの武士も刀を捨てて平民となっていますから、それと工場は関係ないと思います。 先祖も大事だとは思いますが、今の時代にどう適応するかのほうが大事と思いますよ。

回答No.4

貴族的には足らなくてもいい人なんて昔も今もほとんどいないでしょう。 むしろ上に立つ人ほど、勤め人より働くものです。 おそらくあなたの実家は町一番クラスの農家として代々栄えたんでしょう。 私の母の実家も現在でも土地と預金の総額が10億円クラスの大規模農家ですが、家族総出で働きものです。土をいじってなんぼです。 ちなみにその十分資産家の家の年頃の娘さんが、条件が良すぎて嫁の貰い手がなくてかわいそうなんですよ。 私の母も嫁ぎ先の私の父は、自分の父ながら、「鬼みたいな父」としか言えない人でしてね、お嬢さんを略奪するろくでなしですよ。

noname#223961
noname#223961
回答No.3

おじいさんは村長なんですか?上でしょう。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1960/9578)
回答No.2

suzu2014 さん、こんばんは。 中の中くらいでしょうかね。おそらく900年近い家系から言って名門なんでしょうが、明治維新の近代化における進取の気概を持つ当主に恵まれなかったため、あまり栄えなかった家という大半の部類に入りそうです。 お嫁にもらった女性たちはそれよりはもっとましな家系から来ていますが、あなたが思っているほど聡明ではなかったようですね。

  • tknkk7
  • ベストアンサー率11% (378/3311)
回答No.1

☆残念ながら投稿者様の、ご推測・見立ては✖です、人間の仕事は、24時間活動です。 ☆例えば、手袋・マフラー・エリ巻・ショール・お肉料理・玉子料理・サラダ関係等々。 ☆その程度は、サッサッと、あっと言う間に”オムレツ等が、得意な料理でした。☆

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