• ベストアンサー

太平洋戦争中の艦船の動き出しについて

 太平洋戦争中を題材としたような映画や漫画、小説を読んでいると、「停止した艦船は中々動けない」ことを彷彿とさせるようなシーンがよく出てきます。 (例えば、太平洋戦争中の天候を待って、海のど真ん中で停止する指示を出した司令官に、「え?止まっちゃうの?」と参謀が驚いたり、現代から来た護衛艦を攻撃しようとした米軍機が、その動き出しの速さに驚いたり)    当時の艦船というのは、止まった状態から動き出すのに時間が掛かったものなのでしょうか?逆に現在ではそんなことは無いのですか?  以上、よろしくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • teppou
  • ベストアンサー率46% (356/766)
回答No.2

 No.1の方の回答で、基本的に正しいと思いますが、私の記憶と違うところもありますので、回答してみます。私のほうが正しいと主張するつもりではありません。  戦前の船舶用エンジンは、石炭または石油燃料のボイラーで、往復動蒸気エンジンかタービンエンジンを動かすものがほとんどで、比較的小型の軍艦では、ディーゼルエンジンもかなりありました。  軍艦では、昭和の初めのころに、石炭燃料から石油燃料にすべて切り替えられたと記憶しています。  で、起動時間ですが、ボイラーが冷え切った状態から燃焼を始めると、出港できるまで、重巡や戦艦などでは一日近くかかったと記憶しています。  これは、ボイラーが冷たい状態で、急激な燃焼をすると、熱による歪みのためにボイラーが変形し、損傷することがあるからです。ボイラーの損傷の修復は、非常に日時がかかります。(陸上用ボイラーでは、少し大型の物は数日かけて徐々に温度を上げます。)  ディーゼルエンジンは、起動時間が短いのですが、それでも、一時間ぐらいアイドリングしていたようです。  緊急出港でない場合は、出港予定時間の数時間前からアイドリングしていたようです。  駆逐艦などは、ボイラー搭載のものとディーゼルエンジン搭載のものがありましたが、ボイラー搭載のものは、比較的小型のボイラーですが、一時間で出港などと言うわけにはいかなかったと思います。  一旦温度が上がり、航行できるようになると、洋上停泊中でも、蒸気圧をぎりぎりに上げておけば、ともかくすぐに動くことはでき、十分から十五分で通常航行できるようになったようです。(大型艦は、もっと時間がかかったかもしれません。)  現在の海自の護衛艦はガスタービンエンジンを搭載しているようですが、このガスタービンでも、起動には数十分の時間がかかるようです。  護衛艦もエンジンを停止しなければ、停泊中でもかなり早く動き出せるようです。  船舶は、一旦出港すれば、目的地に入港するまで、ずっと航行しているのが常態ですので、このようなエンジンでもあまり支障がなかったのです。  

takepan_toki
質問者

お礼

遅くなりましたが、ご回答ありがとうございました。 今でも結構かかるのですね。

その他の回答 (1)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10396/32706)
回答No.1

エンジンを完全停止した状態からエンジンスタートさせて動き出せるようになるまで、第二次大戦の戦闘艦でだいたい半日がかりくらいだったそうです。そのくらい暖気運転しないと動かせる段階までいかないんですね。何かのハリウッド映画でスイッチ入れてすぐに戦艦が動き出した描写があったとか・笑。 現代の戦闘艦はジェットエンジン(ガスタービンエンジン)ですから、数時間程度で済むそうです。 ただおそらくは質問者さんが知りたいのは「戦艦て20ノットになるまでに何分くらい時間がかかるの?」ってことだと思います。 これはね、知りようがないです。だってさ、軍事機密ですからね。乗ってた人たちは当然知っているでしょうが、外に漏れることはないです。 また船は戦艦だろうが民間船だろうがブレーキはついていないので止まるのは大変です。スクリューを逆回転させることでブレーキとすることができますが、効くまでに時間がかかるのでブレーキというほどではありません。また図体が大きな船は舵を切っても方向が変わるまでには時間がかかります。 ですから船乗りの友人から聞いたのですが、大型船となると衝突するのが10分くらい前から「あーこれはぶつかる。あー無理。あー避けられない」ってわかることもあるそうです。

takepan_toki
質問者

お礼

遅くなりましたが、ご回答ありがとうございました。

関連するQ&A

  • もしイージス艦が太平洋戦争下にワープしたら?

    ジパングというアニメでありましたが 仮に現代の自衛艦(イージス艦としましょう)が太平洋戦争の真っ只中にワープしたらどうなりますか? 彼らは戦うのか? 戦争の結末はどうなるのか? 補給はどうするのか? 太平洋戦争当時 現代のイージス艦の技術は間違いなく想像を絶する超兵器のはずです 戦国自衛隊ってありましたが 戦国時代だとあまりにもかけ離れすぎていると思ったので時代を戦時中にしてみました

  • 太平洋戦争中に帝国海軍の艦船が味方の潜水艦の潜望鏡付近と接触して浸水し

    太平洋戦争中に帝国海軍の艦船が味方の潜水艦の潜望鏡付近と接触して浸水した事故について ご存知の方いらっしゃいますでしょうか。私の亡くなった祖父がこの事故の際、潜水艦に乗った ことを子供の頃に聞いたのですが、最近思い出して調べているのですが見つかりません。 ご存知の方いらっしゃいましたらよろしくお願い申し上げます。

  • 太平洋戦争と大東亜戦争

    こんにちは。 23歳の男です。太平洋戦争についてお教え下さい。 私は小中高の歴史授業において、 真珠湾攻撃に事を発する日米の戦争を「太平洋戦争」と習いました。 一方で、少しずつ社会を学び新しい情報を手にしてゆく中で、 学校では教えない歴史の事実があることを知りました。 太平洋戦争のもう一つの側面や、現在も摩擦のある日中間の諸問題など、 どれも今までの自分の常識を覆すモノばかりです。 そしてそれは、決して過去のモノと安易に目を瞑れる内容ではありません。 歴史認識とは、現代の社会を判断する上においても 非常に重要である事を学びました。 そこで質問です。 a)敗戦後、何故「大東亜戦争」から 「太平洋戦争」へと名称を変えるに至ったのか。 b)また、単なる(と言っては語弊があるかもしれませんが) 名称に過ぎないはずの戦争名を、 「大東亜戦争」と言うと右翼、あるいは軍国主義者などと呼ばれるのか。 何故このような質問をさせて頂くかと申しますと、 私自身の考えですが、 「太平洋戦争」でも「大東亜戦争」でもその戦争自体を指すのであって、 軍国主義を望むがゆえに後者を用いる訳ではないと思うからです。 それとも、それぞれの名称に隠された意味でもあるのでしょうか。 お時間の空いている時で構いません。 もし、お分かりの方がいらっしゃいましたら、是非ともお教え下さい。 よろしくお願いします。

  • 現代兵器が第二次世界大戦(太平洋戦争)へ

    超常現象によって1942年6月1日時点の日本に以下の条件が起きるとします。 [条件] 1.第1護衛隊群、第2護衛隊群、第3護衛隊群、第4護衛隊群が合同訓練を行っているときに、当時戦争中であった上記日時に時空間移動してしまった。 2.艦隊はフル装備だった。 3.合同訓練海域は東京とミッドウェイ島のちょうど間であった。(東京から2000kmくらい。) 4.なんと人工衛星も時空間移動していた。衛星と護衛艦の通信環境に問題がなかった。 これで太平洋戦争に勝てると思いますか? よろしくおねがいします。

  • 太平洋戦争は本当に避けられなかったのか?

    ハルノート時点では手遅れです。 米国は戦争をやりたくてしょうが無い状態でした から。 いくら恭順の意を示しても、何かを仕掛けて戦争に 引き吊り込まれたと思います。 旧くは、テキサス独立戦争があります。 あそこではアラモの砦が全滅して、それで国民に 火がつきました。 スペインとの戦争では、米国の艦船メイン号が 謎の沈没を遂げ、これがスペインの仕業だという ことになり、戦争のきっかけになりました。 米国は後になってあれは事故だった、と公表して いますが、怪しいですな。 フイリピンとの戦争では、米国軍配下のフイリピン人が 殺害されたのがきっかけとなり これで米国は60万のフイリピン人を殺害しています。 第一次大戦では米国船ルシタニア号がドイツの 潜水艦に沈没させられたのが、参戦の理由の一つに なっています。 第二次大戦では、真珠湾攻撃です。 31代大統領フーバーは、ルーズベルトはあの攻撃を 知っていた、という書見を残しています。 ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。 1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の哨戒艇がアメリカ海軍の 駆逐艦に2発の魚雷を発射したとされる事件です。 これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが 後になって、これが米国のやらせであったことが判明しました。 リビア爆撃 (1986年)もまだ記憶に新しいです。 1985年12月にウィーンとローマの空港で爆破事件が起こり、翌1月にアメリカは リビアが事件の背後にあるとして、リビアに対する爆撃を行いました。 そこで質問です。太平洋戦争は本当に避けられなかったと思いますか?

  • 太平洋戦争のフィリピン・マニラでの戦について

     ビデオ「名将たちの戦場13マッカーサー対山下大将」の中で次のことがいわれていました。 1.米軍がマニラに迫ったとき、山下奉文は部下を守り、かつマニラの大規模な破壊を防ぐため、機を見てすぐに撤退をするように命じた。しかし守備隊司令官は命にそむいて、2万名を率いてマニラに踏みとどまった。 2.その結果マニラは戦場となり、10万人を超す市民が犠牲となった。そのほとんどは日本兵の虐待によるものだった。 3.米軍は当初重要な建物の砲弾攻撃を避けていたが、立てこもる日本兵のためそれもかなわなくなり、最終的にはほとんどの建物が破壊された。  上官の命令にそむくことは重大な軍規違反となるのに、何故あえてそむいたのでしょうか?  日本兵がマニラ市民を虐待したの理由はなにでしょうか?市民がゲリラとなって立ち向かってきたのでしょうか。  そもそもマニラ市民はどうして疎開しなかったのでしょう?戦いは1ケ月続いたので時間はあったはず。  映像では建物を破壊しているのは米軍のように見えます。米軍によって殺害された市民も多かったのではないでしょうか?  太平洋戦争、日中戦争でマニラに匹敵するような激しい市街戦が行われた場所はありますか?  

  • 現代の戦争

    現代の戦争について知っている日本人はあまりいません。 「沈黙の艦隊」や「ジパング」などを読んで、実際の兵器の運用を絵で見た 方は知っていらっしゃると思いますが。 まぁ、往々にして知ることはありません。 トマホークと聞いて「ガンダムに出てくるザクのヒートホークに似たものか」 と答えた若者がいるくらいです。 トマホークとは水上艦、特にイージス艦やミサイル巡洋艦、駆逐艦に装備され ている巡航ミサイルのことです。これ一発で空母は撃沈されてしまいます。 またSLBMは潜水艦から発射される核弾頭ミサイルのことです。 つまり、現代の戦争とはレーダーの効かない遠地からミサイルを発射して敵の 艦船や陸上基地を叩くというものです。 はたして第三次世界大戦になったら、日本はどのような戦略を立てて挑むので しょうか。分かる方はご意見をお願いします。 私はF15戦闘機による対地、対空、対艦攻撃に徹すると踏んでいますが。 まぁ、戦争は殺し合いですからやらないのが一番良いのです。しかし、攻めて こられて何もしないのはもっと悪です。国民から税金を取って防衛をしないのは 怠慢ですからね。

  • 太平洋戦争中における米軍のパイロット・船員の育成

    太平洋戦争中における米軍が日本軍よりも大量にパイロット・船員を育成量できた原因はどのへんにあるのでしょうか。歴史に詳しい方教えてください。 開戦時には、日米の飛行機や艦船数の差はそれほど大きなものではなかったと思われます。(だからこそ勝ち目があると考える人がいた) これが終戦時には米軍は日本軍の10倍、20倍となる飛行機や艦船を運用しています。 工業力に優れる米軍が、日本軍の10倍、20倍となる飛行機や艦船というハードを作る事が可能であった事は理解できますが、ソフトとなる 飛行機の搭乗員や船員を育成するには相当の時間が必要と思われます。 単純な人口比で言えば、米国は日本の2倍程度ですので日本軍と同様の育成システムであれば、ハードはどんどんつくっても、動かす人(ソフト)が足りずにせいぜい、日本軍の2倍程度の飛行機や艦船が運用可能となると思うのですが。 中盤以降、日本軍はどんどん消耗していくので相対的な倍率は差がついてしまうとは思いますが、米軍の飛行機や艦船数の膨張率も相当と思いますので、これに追いつく育成方法があったのでないかと思うのです。

  • 太平洋戦争当時の米軍は八月十五日に日本が降伏しなければ

    太平洋戦争当時の米軍は八月十五日に日本が降伏しなければ 日本本土に上陸作戦を行うつもりだったと聞いています。 これによる犠牲者は米軍だけでも100万人と想定され 日本でも民間人2000万人が亡くなるとされていましたが 上陸してくる米軍が現代の最新鋭の装備をしていたら(歩兵の兵器や戦車、艦艇、艦上機も現代) だったらどんな戦いになりますか? また、犠牲をどのくらい減らせますか? 教えてください。

  • 日本帝国海軍で身を挺して僚艦をかばった…

    太平洋戦争で、敵の攻撃(魚雷?)が当たりそうになる味方の主要艦船を守るために、あえて敵の玉を自分が喰らいに行き、犠牲となった勇敢な駆逐艦(?)がいたような気がします。 ひょっとすると、帝国海軍では無かったかも知れませんし、どうも記憶が曖昧です。 戦争に詳しい方、何かご存じありませんか? また、軍艦以外にも、あえて敵の攻撃を自分から受けに行って味方を守った事例などありませんか?