どの死を支持するのか

このQ&Aのポイント
  • 尊厳死、家族による延命中止、自殺幇助などの選択肢がありますが、日本ではまだ法制化されていません。
  • 医療倫理ルールのもとでは尊厳死が行われており、がん末期患者には緩和ケアとしての最終セデーションが行われています。
  • 植物状態での長期間の介助や意識低下による生活の困難を避けるために、尊厳死や家族による延命中止は必要と考える人もいます。
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どの死を支持するのか

A)尊厳死;本人意思による延命治療の拒否      自然死ともいわれる      緩和ケアは行われる B)安楽死;第三者による延命治療の停止      家族による場合を含めるケースもあり      消極的安楽死ともいう      医師による薬物投与、致死もある      家族要請がほとんど      積極的安楽死という C)自殺幇助;      余命いくばくもないメイナードさんが      オレゴン州に移住し、命を絶ったことで      有名。      苦痛を伴わない死は、医師からの方法の      伝授による。 オレゴン州はABC全てあり。スイスのCは有名。 本人意思不明ななか、家族による延命中止(尊厳死、 自然死)は相当の国で法制化。 が日本では尊厳死さえ法制化されていない。   しかしながら、判例と医療倫理ルールのもと   尊厳死は行われている   がん末期患者には希望により、     「最終セデーション」   と言われる、二度と覚めることのない   処置が行われている    (医療界はこれは「緩和ケア」だとしている) これが実情です。 遷延性意識障害(いわゆる植物状態)での長期間の 大変な全介助の回避。 意識低下による老醜(ベッドの上で口を大きく開けた 虚ろな視線での生きながら)の回避。 これらは必要では? 皆さんはA、B、Cのどこまでを望み、また支持しますか?   

質問者が選んだベストアンサー

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  • 2012tth
  • ベストアンサー率20% (1888/9435)
回答No.7

50代♂ 個人的な感想… シは?如何なる場合も無意味です。 従って、A、B、C、総て支持しません。 生きて苦しむ事が人の本分です。

whaihansei
質問者

お礼

皆さま、ご回答ありがとうございます。 この場を借りて感謝申し上げます。 がん疾患は痛みを伴い、このため緩和ケアが 施されます。 がん立法のおかげです。 一方、非がん疾患は法制化されていないため、 健康保険が適用されず、このため痛い思いを しつつ亡くなるケースが多いとのこと。 膣息死などです。 最期に「苦しい~」という経験をせず、「眠る ように逝く」ほうがベターではないでしょうか。 今後とも議論を深めていきたいものです。

その他の回答 (6)

回答No.6

Bの消極的安楽死でしょうか。家族の苦悩もありますよね

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1959/9572)
回答No.5

whaihansei さん、こんばんは。 今のところ、私の固い頭ではAのみが可です。BやCというのは家族の同意が必要で、家族がいったん決めてもまた揉める可能性が強く、果ては裁判沙汰にもなりかねないからです。

  • dhiabate
  • ベストアンサー率9% (27/276)
回答No.4

家族の負担が大きい場合はBもやむなしかと

  • sakura-333
  • ベストアンサー率10% (931/8767)
回答No.3

Aが無難だけど、病気によっては他も否定できない気がする。 周囲のショックは計り知れないけど。 第三者の選択はその人の負担が大きくて正直なところ難しいけど、それ以上に精神面や金銭面での負担が大きくて悩む人もいるわけで・・

  • ferixx
  • ベストアンサー率11% (32/278)
回答No.2

Aがいいのではと思います。他人が後で悔いることのないように

  • mshr1962
  • ベストアンサー率39% (7418/18948)
回答No.1

本人の意思という条件なら、自分の場合はAだけど。。。 どれを選ぶにしても残された家族や、支援してくれた人物への心のケアが大切だと思う。 死んだ人にとっては生きてることが苦しみだと思うけど、 周囲からすれば、死なせてしまったことが苦しみになることが多いと思うからです。 少なくとも死を選んだ時の事情と気持ちを、何らかの形で伝える方法を考えてからでないと選べませんね。

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