人を殺すゲームの害とは?

このQ&Aのポイント
  • 人を殺すゲームの影響について考える
  • 若年層に与える悪影響を注意すべき
  • 不条理な殺人を推奨するようなゲームが増えている
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人を殺すゲームの害

世の中に沢山の人殺しゲームがありますが、特に、 1、 オンラインゲームのような外部世界との接続が濃密なもの 2、 戦争ゲーム等ではなく、日常的状況下で殺人をするゲーム 3、 シナリオや常識的に明白な動機のある殺人ではなく、利己的・独善的な動機によって殺人するゲーム これらは若年層に多大な悪影響を及ぼします。 昔の日本のゲームは殺すにしても害虫とかモンスターとかを対象にしていたり、人を殺すにしても条理的な理由を設定した上での殺人ゲームが殆どだったと思いますが、インターネットの普及時から殊に韓国のネットゲームがやたら不条理な殺人を推奨するようになり、その影響が世界中に拡散して今では不条理殺人が当たり前のゲームばかりになってます。 私は以前からその種のゲームの規制が必要と考えてました。 質問ですが、 1、 規制が必要だ。 2、 必要ない。 「誰でもいいから人を殺してみたい」だとか「通りがかりの見ず知らずの人を理由はないけど殺した」とか、そんな変な事件が多すぎます。それら犯人は多くが若い人であり、これは上記のような殺人ゲームの影響が大きいんじゃありませんかね?

質問者が選んだベストアンサー

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  • moritaroh
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回答No.11

>私は以前からその種のゲームの規制が必要と考えてました。 >質問ですが、 >1、 規制が必要だ。 >2、 必要ない。 私は「1、 規制が必要だ。」と思います。 ですが、暴力や殺人などへの倫理観の教育をもう少し早めつつもっと深めるべきだと思います。 たとえば、小学校などの道徳倫理に関する教育は「生命」や「愛・友情」などを重視しますが、「死」や「憎悪」への理解や教育はほとんど行われません。 生命の誕生や尊さへの知識や理解はそれだけでは進まず、死の概念も丁寧に説明しないと十分な意味が伝わらないと考えます。それは愛や友情も一緒で、憎悪を遠ざけても愛や友情の大切さは十分には理解できません。 小中学校などでの道徳教育で「いじめ」も問題視されていますが、実際に教育の現場における優等生的な回答は大半が紋切り型の「いじめは心を傷つける暴力だからダメだ」を占めます。 これには笑いが止まりません。そのような優等生的回答を出す子供に「なぜ心を傷つけるのはダメなの?」と聞き返すと答えに窮してしまうのです。 しかし、一部のしっかりと考えている子供は「いじめってだいたいは自分と違うタイプの人を認められないから起きる」とか「仲間にはならない人を嫌がる気持ちがある」などを例に挙げ、『お互いの価値観の違いや人間性の違いを認められないことがいじめの発端で、他人との違いは自分の個性、個性を認めてもらえないことは悲しい』などと答えてくれます。 心を傷つけるのがダメなら、そもそも心を持たなければいいのです。 しかし、いじめを行う人の大半は、相手が嫌だと思ったり悲しいと感じる感情への反応が麻痺しています。 「いじめは心を傷つける暴力だからダメだ」と言うのは、結論、いじめられる側の心理だけが抽出された考えであり、いじめる側の心理には想像が働いていないのです。ですから、なんらかの理由でいじめる側が「心を持たない」ようにしていることを見逃してしまうのです。 質問者さまの挙げる類のゲームに私は興味がありませんが、それらは感情が働かない機械的な殺人を楽しむようなゲームではないか、と推測します。 そのようなものにもはやゲームとしての価値はありません。しかしゲームであるからこそ存在できるとも思います。 そのゲームの内容を現実の行動に移し替えてしまうかどうかは、ゲームの是非ではなく、ゲームに興じる以前の道徳倫理の問題だと思います。 要するに、ゲームを憎悪して罰してもしょうがないのです。 罰するべきは、架空の世界であるゲーム(それは小説や漫画やアニメも含め)で完結していればいいものを、現実へと移してしまう「個人」です。 そしてそのような「個人」を生み出してしまっている背景には、理由の説明もなく『不条理』に、暴力や憎悪をただ遠ざけようとしている社会道徳にあると思います。 ですから、倫理観や道徳観が備わるまでは、機械的に殺人を楽しむだけのゲームは規制すべきでしょう。 しかし大人になったら倫理観や道徳観が備わるのでしょうか? 「『誰でもいいから人を殺してみたい』だとか『通りがかりの見ず知らずの人を理由はないけど殺した』とか、そんな変な事件~犯人は多くが若い人」とおっしゃっていますが、それを仮定したとしても、痴情のもつれや金銭がらみなど「殺すほどの理由とは考えられない」些細な憎悪で殺人を犯す人は、若い人に限らないでしょう。 殺人事件の全体を見れば、はっきり言えば「理由が特定できない殺人」よりも「理由が特定できる(しかしそれは殺人を犯すほどの理由ではない)殺人」の方が圧倒的多数を占めるでしょう。 殺人ゲームを規制したとしても、殺人そのものの是非を丁寧に考えて幼少期に教育を施さないと、結果は変わりません。 むしろ殺人をただ日常から遠ざけて隠蔽してしまえば、「人を殺すことに興味が湧いた」などという理由で小・中学生や若者、それこそ高齢者に至るまでの老若男女が殺人を犯すかもしれません。 プレイヤーである自分が殺人者になれるゲームであろうが、ただ対岸の火事をながめるだけの殺人事件報道もテレビドラマの中の殺人も残酷なアニメや映画の殺人も、質としての違いはあれど、情報としての要素には何ら違いはありません。 質問者さまの言説は、ゲームの中での殺人や、無差別かつ理解不能な理由での殺人をダメ、としていますが、殺人事件の報道などは質の違いとして是認してしまうものだと思います。 これは、極論的には「殺人の是非」について「場合によっては是」としてしまっているのです。 要するにそれって、ゲームの中のみでの殺人であればOKよ、と考えて、殺戮ゲームを開発する側の意識と一緒ですよ。 先日起きた神奈川県相模原市の障害者施設での事件は、戦後最悪の大量殺傷事件、などと言われていますが、大量殺傷が含まれる猟奇的な事件の多くは「ゲームが生まれる」以前に集中し、犯行理由の多くは「倫理観の欠如」もしくは「偏った倫理観」で、その原因は教育の欠如でもあります。 しかし倫理教育さえ徹底していれば、そのような殺人が起きなかった、と言えます。 現在に至るまで、主に学校教育を中心に殺人が非であるとする教育を徹底的に行ってきましたが、それゆえに大量の無差別殺人は行われていなかったとも考えられます。 しかし、私は『臭いものに蓋』的に、ただ殺人を遠ざける倫理教育の仕方であったのではないか、と思います。ゆえに、殺人を架空の空間で楽しめるゲームや漫画が流行するのでしょう。 結論、個人の倫理観を鑑みて、殺人ゲームや殺戮ゲームは規制すべきでしょうけれど、根本的な倫理教育の行い方や社会道徳が変わらない限りは、殺人は今後も行われ続けていくでしょう。 ですから、ゲームを不可解な殺人の理由として規制することもまたナンセンスな発想だと思います。 なお、韓国のネットゲームは私はやったことないですが、ゲーム業界では90年代頃に、人件費の安さ(に反しての教育水準の高さ)から、ゲーム開発、特にグラフィック分野で韓国のスタッフが大量に起用されていました。今はマレーシアやベトナムなどにそれは移っていますが。 韓国のネットゲームに殺人ゲームが多いと仮定したとしても、そもそもそのゲームをつくるだけの技術や資金力を間接的に韓国に提供したのは、他でもない日本、またはアメリカなどです。ですから、仮に韓国のネットゲームを「殊に」と抽出して非難したところで仕方がありませんし、そもそも意味もありません。

jipin
質問者

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その他の回答 (12)

回答No.13

我が子が小学生だから、その友達らと公園で遊んでたら、サッカーしてるだけなのに、「殺すぞ(ボールをよこせ、の意?)」というセリフを連発する少年が居た。 一体、何の影響なんだ。 まぁ、単にひとつ覚えを連発する時期かも知れませんが。 「ウゼえ」ばかり連発する少年も居るし。 でも、「殺すぞ」はやめろよ、と。

jipin
質問者

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noname#225432
noname#225432
回答No.12

逆だろうね。殺しに興味がある奴もその手のゲームを買っている可能性はある。殺人ゲームの影響で人を殺したという話は実際にはあまり聞かない。

jipin
質問者

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noname#225485
noname#225485
回答No.10

小説なんてもっと凄いですよ。 名作と言われるものにも狂気的な惨殺シーンなどよくあります。 そもそも現実と架空を混同してしまう精神状態自体がおかしいのだと自分は思います。 まっとうな人間なら子供だってわかることです。 むしろそれを理解させるのが親の責任でしょう。 問題となる論点が異なると思います。 それより怖いのは「本物」ガネットで見られることです。 ISしかり、見ようと思えば残虐な本物動画などは簡単に見られる。 これらは本物ですから…こちらの影響を考えた方が良いと思います。

jipin
質問者

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  • Dr_Hyper
  • ベストアンサー率41% (2482/6031)
回答No.9

ゲームによる殺人の啓蒙というのでしょうか?それによる衝動の誘発や,むしろ繰り返すことによる教育みたいな物を問題にされていると思うのですが,あってますでしょうか? 一番今の日本の悪だと思うのは,教育において会津藩の教えではないですが「だめなものはだめ」と言えない社会になっている点かと思います。どのような性的嗜好や衝動があろうとも,あるラインを越えては絶対にダメ。 具体的に,人を殺してみたいという衝動はあっても,どんな理由があってもダメ。 こんな単純なことを今の親も教師も世間も本当の意味で言えない状況にあるのが,今回の障害者施設の事件にもつながりるように思いました。 「あなたの思っていることは,あなたが何を言ってもだめなんだ。」 という頭ごなしの言葉を誰も彼に言ってあげられなかったのではないでしょうか? やめとけよと説明する。そうすると彼の論理でそれを覆す。 その論理のなかには確かにゲームが入ってきているかも知れませんが,問題はそこでは無いでしょう? そこの部分の規制は主たる衝動に対しての歯止めにはならないと思いませんか? ゲームをやることも,映像をみることも,根底にある絶対犯してはいけない人間としての基本的なルールを動物的な脳の部分にインプットすることが大事で,それを論理的に入れようとすれば,ゲームのような論理体系を無視した領域で制御がかからなくなってしまうのかなと思います。

jipin
質問者

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  • miging
  • ベストアンサー率25% (15/58)
回答No.8

関係無いです。 戦前戦中はもっと「誰でもいいから人を殺してみたい」だとか「通りがかりの見ず知らずの人を理由はないけど殺した」とか、そんな変な事件が数多く起きていました。 規制は必要でも、誤った偏見を前提にした規制は必要ないですね。

jipin
質問者

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  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10466/32908)
回答No.7

もしかしたら、「ゲームで憂さを晴らしたことによって犯罪を犯さずに済んだ人」がいるかもしれませんよ。そういう人はわざわざ「俺は人を殺したかったが、ゲームでゾンビを沢山殺したからやらなくて済んだ」と口にすることはないでしょう。 100人そういう予備軍がいたとして、1人がそういう犯罪を起こし、残りの99人がやらなくて済むのだとしたら、むしろ暴力ゲームが凶悪犯罪を抑制しているということもいえるかもしれません。 その(無理やりの)証拠として、殺人事件の被害者数は年々減少傾向にあるというのがあります。 http://nenji-toukei.com/n/kiji/10042/%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E8%80%85%E6%95%B0 質問者さんがいうように暴力的なゲームが年々増えているならば、その暴力的なゲームによって暴力願望・破壊願望はある程度満たされることで殺人の抑制に役立っているのではないかといえるのではないかと思います。 ゆえに、私は「暴力ゲーム殺人抑止論」を唱えたいと思います。確かに昨今ちょっと凶悪な事件が起きていますが、それはむしろ本来ならもっと起きていたのではないでしょうか。日本で殺人事件のピークだった1950年代には暴力的なゲームなど影も形もありませんでしたから。 蛇足:少なくとも相模原の大量殺人事件に関しては、犯人が暴力的なゲームが好きだったとする話は一切出てきていません。むしろいわゆる「リア充」と呼ばれる階層の人だったようですが。

jipin
質問者

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  • asmasa
  • ベストアンサー率29% (18/62)
回答No.6

>自分で行動を起こすか、ただ見ているだけか。そういう大きい違いがあるので、比較にはなり得ません。 >どうですか? 逆でしょう。 行動を起こす気持ちも無い人に殺人の方法を教えてるんですよ。 しかも小学生向けのアニメまでやってますね 殺すところの場面だけはソフトにしていますが殺す為の手口などは巧妙に説明されています。 こういうのが逆に本当に強いことで、自分が行うことの結果というのがぼかされて伝わるんです。 つまり、人を殺すということがどういう結果に繋がるのか?という結果をぼかして見せないわけです。 なので、ゲーム感覚でそういう怪我をさせるような人が増えているという現実だってあるんですよ。 >ちなみにTVや映画の残虐シーンは次第にソフトになってきてます。年齢制限かかるケースもありますね。お歳が分かりませんが、ずっと昔のTVや映画は今と比較にならないほどの残虐シーンがあったが、今ではそれらに規制がかかってます。 上に書いたような弊害も実際に起こっているのはご存じなかったですか? なんでもソフトにさえすれば良いというのは、現実から目を背けているだけの話で、現実を見れないようにしているという弊害もあるのです。 良識ある大人。と言っている人の多くにも、そういう現実を見せるものじゃ無い。と言っている人がいますが、現実を知らないと本当のことがわからず、生き物が、生きているということすらわからなくなってきてしまっている子供も出てきていますからね。 あなたのようなこの手のことを言う人って、結構昔からいるんですよ。 じゃぁ、コンピューターゲームがなかった時には、「誰でもいいから殺してみたい。」ということで殺人を犯した事件がなかったのでしょうか? その頃から比べて劇的に増えているのでしょうか? となると、返答出来なくなっていくんですよね。 理由は、固定概念の「殺人ゲームは悪い。」と言う所から出てくる話なので、他のところは考える気も無い。と言うところの人が多いんですよ。 (たいてい、何が悪い!と言う人は同じような理論体系から話を持っていきます。) あーあ、これでまた、あなたからブロックされるんだろうなあw。と思いながら書いていますけどねww こういう主張する人は、こういう反論されるのが一番嫌いな傾向があるようですからね。

jipin
質問者

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ありがとうございます。

  • SPROCKETER
  • ベストアンサー率26% (2014/7517)
回答No.5

 性暴力殺人のような異常性欲が絡む殺人ゲームは、どこの国でも規制がかかっているはずです。  たとえば、ローマ帝国ではありませんが、街や村を襲って、男は皆殺し、女は裸にして強姦や輪姦というゲームは許可が下りないはずです。  しかし、そういうゲームを作っている人間がいないとは断言出来ないわけで、密かに作ってインターネットで流布している裏ゲームが無いとは言い切れません。  理不尽なゲームと言えば、他にも、猟奇殺人のように女の子を裸にして料理するゲームとか、性暴力をテーマにしたゲームとか、許可が下りないゲームはたくさんあるはずです。  今の規制で十分だと思いますし、下手に規制強化すると、インターネットで流布される裏ゲーム市場が形成される動機になる危険もあります。  西部劇や時代劇のように大量殺戮が見せ場のゲームは規制対象になっていないわけで、特に規制強化する理由があるとは思いません。必要無いと思います。

jipin
質問者

お礼

私が特に問題に思っているのは、オンラインゲームで他のユーザーを独善的不条理に殺害する楽しみを供給するゲームが多すぎる点です。 日本では殆ど全てのそれらゲームに年齢制限がかかってません。 あなたが言うような女の子を裸にして殺して楽しむゲームがたとえあったとしても、それは実在の人間を裸にして殺すわけではありませんよね。 ですが本当に実在の人間(ゲームの他プレイヤー)を裸にして殺すゲームがあればどうですか。それをプレイする若年者への悪影響は甚だ大きい。 そしてそういうゲームが実際にあるのです。実在するプレイヤーを殺すゲームです。 この種の質問は関係ゲームに属する人たちから沢山の反論が来そうですが、ゲーム参加者は不条理気まぐれ殺人を楽しんでやっているので厄介です。 どうもありがとうございました。

回答No.4

  ゲームだけでなく、TVドラマも、映画も規制しましょう。 それから、殺人に限らず人を傷つける犯行のニュースも禁止しましょう、真似る奴が出てくるかも知れない もちろん、海外のテロもニュース禁止だ!!  

jipin
質問者

お礼

すいませんが、No1の人へのお礼を読んでください。 それと全く同じです。

回答No.3

あなたの主張が正しいことを証明するには 3つの統計データが必要です。 1) 「誰でもいいから人を殺してみたい」だとか 「通りがかりの見ず知らずの人を理由はないけど殺した」と いう事件が増えていること 2) 昔の日本のゲームは殺すにしても害虫とかモンスターとかを 対象にしていたが 今では不条理殺人が当たり前のゲームばかりになっていること。 3)不条理殺人の犯人がそれらのゲームに影響を受けていること 相模原の大量殺人も秋葉原の事件も池田小の事件も 明確な動悸に基づく犯行でしたが。 むしろ戦前の方が。津山36人殺し等 「戦前の凶悪犯罪」で検索するとたくさんでてきますよ。

jipin
質問者

お礼

No2への方へのお礼にするため下書きしたのですが、No3の人へのお礼にも少しばかり関連しますので、ここに書いておきますね。 ゲームの暴力規制については私もその頃から知ってます。今を時めくヒラリーも当時から規制推進でしたね。 しかし、残念ながらそれらは「暴力表現の規制」がメインと思われ、ゲーム内の「他人への不条理な暴力行動の規制」にかかわる部分は少ないのでは? 血を見せない等の暴力映像を緩和させるだとかがメインだったと思います。 私がここで問題にしてるのは、それら「不快表現」ではなく「他者への暴力行動」の規制です。 その場合、「他者」というのが実在しているネットゲームもあるし、非実在のオフラインゲームがありますが、前者の悪影響は計り知れないが、後者も少なからず規制が必要かもしれません。 No3の人、どうもありがとう。

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