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王様が文字を読めなくて困ることがある?

チンギスハンがモンゴルを統一するまで、モンゴルには文字がなかったとドキュメンタリーで見ました。 ということは、チンギスハンは文字が読めずに王様をやっていた時期があるということになります。 そこでふと思ったのですが、王様が文字の読み書きができなくて困ることってないのでしょうか?王様にとって文字を読んだり書いたりするってことは大して重要なことではないのでしょうか? 歴史に詳しいかたにこの疑問にお答えしていただけると嬉しいです。

noname#216319
noname#216319
  • 歴史
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みんなの回答

  • zep19
  • ベストアンサー率45% (138/306)
回答No.8

例え字が書けなくとも偉大な王になったケースはあります まずはビザンツ帝国のバシレイオス2世 ビザンツ帝国は東ローマ帝国、中世ローマ帝国の別名がありますが イスラム勃興時に小アジア半島の大半を奪われました またもう一方の領域であったバルカン半島も東方から来たトルコ系遊牧民ブルガール族がスラブ人を臣従させ これまた大半を占領、王国を建国しました(第一次ブルガリア王国…ブルガール族は次第にスラブ化しブルガリア人となりました) しかしビザンツ帝国の王朝が小アジアからマケドニアに移住したアルメニア人貴族のマケドニア朝になると一変、反撃に移りました その王朝の最強の皇帝がバシレイオス2世で 彼は字が書けず、寝床もベットでなく、床に動物の皮を敷き寝るという粗野な皇帝でしたが 武略に長け、ブルガリア王国を破り、数万のブルガリア人捕虜を得ました その際、一人の捕虜を除き他全員の両目をくりぬき、残る一人は片目だけくりぬき その捕虜に先導させ、ブルガリア王の元へ帰しました 当時のブルガリア王シメオンはあまりに残忍な仕打ちを見て失神しそのまま亡くなりました 数年して皇帝はブルガリア王国を滅ぼし、更に小アジア半島からイスラム勢力を駆逐し、南イタリアにも勢力を延ばしました バシレイオス2世はビザンツ帝国の中興の祖と言われています ビザンツ帝国は極度に発達した官僚国家なので、このような武辺者の皇帝でも成り立っていくのです 他に東ゴート王国を建国したテオドリック大王 西ローマ帝国を滅ぼしたというより西のローマ皇帝を廃位したゲルマン人とフン族の混血であるオドアケルを排除し 東ローマ帝国の承認の元、イタリア半島に東ゴート王国を建国します 彼もまた字が書けませんでしたが ローマ人の法や文化の存続を認め、ローマ人の官僚も採用しました ゴート人を中心とするイタリアに移住した東ゲルマン諸族とローマ人を分離した二重支配体制を取り 戦乱続きで荒れたイタリア半島につかぬ間の安泰をもたらしました 彼もまた優れた官僚により補佐をされ、大王の尊称を後に貰えたのです

  • staratras
  • ベストアンサー率40% (1438/3508)
回答No.7

フランス・ギャルというフランスの女性アイドル歌手が、”Sacré Charlemagne”という歌を1964年に歌ってヒットさせました。「シャルルマーニュ(大王さま)が学校というものを始めちゃったおかげで勉強しなくちゃならない」というような、子どもの嘆きの歌です。 なぜこんな歌詞かといえば、シャルルマーニュ(日本ではカール大帝というドイツ名の方に馴染があるかもしれません)がフランスでは学校制度の祖と考えられているからです。回答者が使った(もちろん日本の)高校の世界史の教科書にも「法律を制定し、産業を奨励し、教育制度を定め、学者を宮廷に招いて優遇した。これをカロリング・ルネサンスという」と書かれていました。 ところがこのシャルルマーニュ(カール大帝)自身は文字が読めなかったと言われています。それでも8世紀の後半から9世紀のはじめにかけて、50年近くフランク王国を国王として統治し、ビザンツ帝国に並ぶ強国にできましたので、読み書きができる有能な忠臣がいれば、昔は王様自身が文字を読めなくても、さほど困らなかったのだと思います。もちろん当時のヨーロッパが、例えばすでに高級官僚の登用筆記試験である「科挙」が存在した中国(唐)と比較すれば、社会における文字の比重が小さかったことも確かでしょうけれど。

noname#225485
noname#225485
回答No.6

自分が読めないなら誰かに読んでもらう事になります。 そうなれば、その読み上げる人物が操作を行う事が出来ます。 ましてや自分が読めないのであればそれが間違ってるのかもわからないでしょう。 それが悪意を持ってなのか、あるいは王様のことを考えてなのかはわからないですが、この王様は真実を知る事が出来ないのです。 これって今の政治家辺りにも言える事なんじゃないかな? 不都合な事は知らせないって。

noname#224207
noname#224207
回答No.5

>モンゴルには文字がなかったとドキュメンタリーで見ました。 おそらく明の時代に成立したとされる「元史」に基づいたものでしょう。 実はこの「元史」は内容が示威的で杜撰だとされてあまり評判が良くありません。 中国の歴史書と言いますのは、現在の王朝が如何に正統で、前の王朝がいかにダメだったかという観点から書かれたものが数多くあります。 天命思想というものに基づいています。 「元史」もこの類とされています。 チンギスハンがいたユーラシア大陸の中北部には古くから契丹文字やウイグル文字と呼ばれるものがあったことが知られています。 現在モンゴル文字と呼ばれているのはこのウイグル文字から派生したものとされています。 漢字のような表意文字ではなくひら仮名のような表音文字です。 元史では漢字を知らなかったことを殊更に文字がなかったと言っているのかも知れません。 チンギスハンは、漢字は知らなくても何らかの文字は知っていたのではないのでしょうか。 前置きはこのぐらいにして「王様が文字を読めなくて困ることがある?」について考えて見たいと思います。 王様は権力をふるう際に一人で考えて一人で決める必要があります。 その際には前の王様がどのように決めたかとか、どんな法律に基づくかということを知る必要があります。 質問者さんも御経験があるかと思いますが、考える際に頭の中だけでやっていたのではなかなか纏まりません。 意見はその時の気分で変わることがよくあります。 議事録などは、後から読み直せば抜けていたことや、後から考えるとおかしなことなどよく出てきます。 キチント記録しておけばその場の雰囲気や気分に流されなくて住みます。 王様はときには家臣の命を奪うことがあります。 うっかりしたことは言えません。 「綸言汗の如し」などと言われるのはこのためです。 何事も家臣が言ってきたことに対して「よきにはからへ」ではなめられてしまいます。 うちの王様は何も考えていないということになってしまいます。 これでは、家臣に利用されてしまいます。 口の達者な家臣に丸め込まれてしまいます。 自分の国などどうでもいいや、といういいかげんな王様ならこれでも良いでしょう。 真面目にやろうとすれば文字が読めないと困ってしまいます。 蛇足 三内丸山遺跡や吉野ヶ里遺跡から文字は見つかっていません。 大概の古墳から文字が発見されていないのを御存知でしょうか。 副葬品の中から見つかっているのはごく僅かです。 この結果誰が何時誰の為に造ったのかが解らず議論されています。 これは日本に限らず、世界中の遺跡で古い時代には文字がなかったことは知られています。 これからしますと、社会構造が簡素な時代には王様が文字を読めなくても何とかなんたのではないか、と言えます。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10446/32863)
回答No.4

イスラム教の教祖ムハンマドは生涯読み書きできなかったそうですから、人の上に立つ人が文字を読めなければならないというわけでもないです。 簡単にいやあ、読み書きができる秘書がいてそいつに全て記録をとらせればいいわけです。西武グループの創始者堤康二郎氏はいつも秘書に「おい、あの件はどうなった?」と突然聞いてきて分からないとそれで俺の秘書が勤まるかと厳しく叱責されたそうですから、秘書は実に大変だったそうです。尤も、その堤氏に気に入られれば出世街道まっしぐらだったそうですけれども。 現代の我々は文字の読み書きができて当たり前なので読み書きができなければさぞや不便だろうと思うところですが、同じ語学である「外国語ができるかどうか」で考えればいいと思います。日本の首相になる人は、本来英語くらいは堪能じゃないと困りますよね。外国の要人に頻繁に会うわけですからね。でも実際は英語ができない人もいるわけで、じゃあどうしているかというと間に通訳が入るわけです。でもいくら通訳がいるからといっても、言葉の微妙なニュアンスを理解するためにはお互いに同じ言語で直接意思疎通したほうがベストですよね。それと同じことだと思います。 ちなみに、世界の言語の90%は文字がなく、その中に日本語も入ります。え?この文章をお前は日本語で書いているだろうって?確かにその通りですが、日本語の文字は漢字、即ち中国語の文字を「輸入している」ということになります。ひらがなもカタカナも漢字を元に作られたので、日本語には固有の文字は存在しない、ということになります。ひらがなは初め「女性専用の文字」として使われていたので、一般的に普及するまでは日本での公式文書はなんと漢文で記録されていました。話し言葉は日本語、書き言葉は中国語だったのです。その影響で「口語」と「文語」に分かれていて、明治時代になるまでは手紙などの文書は話し言葉とは違う調子の文語で書かれていたのです。

  • 4017B
  • ベストアンサー率73% (1303/1774)
回答No.3

もちろん困りますよ。国土を治めるための重要な武器の1つを持っていないんですから。 チンギスの例で言えば、本当に読み書き能力が国土運営に影響しないのであれば、彼は一生涯文盲のままで過ごしたでしょう。しかしながら質問者自身が述べている通り、チンギスも中国統一に乗り出してからは読み書きを覚えました。それが必要であり有用と判断したからです。 確かに王様の様な専制君主であれば絶対的な権力が有り、従って側に物知り博士的な賢者を常に従えて置けば良い!~等と言うナイーブな考えはあくまでも現代人の発想です。支配者は常に周囲から注目され、ある意味監視されています。何か国政の1つ決める毎に、自分では何も言えずお付の人に伺いを立てる…その様な人物は古代社会では "暗愚で仕えるに値しない人物" と見做されます。その日の内に手下のはずの将軍や、或いは隣国の王から攻め込まれ王は処刑されるでしょう。 専制君主の時代の王は武のみならず、知も他を圧倒していると周囲に思われていなければ、あっと言う間に反乱が起きて国は治める事など出来ようも無いのです。もちろん人払いをしてこっそりと知恵を授かる事は可能ですが、モノには限度が有りますので。政治の常識や近隣諸国の外交的知識くらいは当然持っていないと安定した王国運営は難しいのです。 P.S. 童話や時代小説(三国志など)、或いは大河ドラマなどで、良き君主は部下に常に意見を求めるもの~的な描写がされますが。あれは歴史的には100%嘘八百で、少なくとも19世紀になるまでは先に述べた様に "君主はスーパーマンであるべき" と言うのが長く信じられて来ました。従って会議の場などで王が大臣に意見を求める事など無いのです。何故なら下の者に意見を求める王は弱い王と見なされるからです。 20世紀になってようやく人は民主主義を再発明し、スーパーマン君主では無く、官僚制度や法治主義によって国を治めて行く事を理解し、政治も専門家で分業するスタイルになって行ったのです。その教えを広く庶民階級にも啓蒙するため、あたかも大昔の有名で偉大な王様達もその様な知見が有ったかの様に創作されていったのです。

noname#228965
noname#228965
回答No.2

「歴史に詳しいかた」に該当いたしません<(_ _)>が、感じたことを。 「文字がなかった」のであれば、「読める」必要もありませんし、文字がないのですから、そもそも「読める、読めない」以前の問題だと思います。 王様が文字の読み書きができなくて困ることってないのでしょうか?……少なくとも、文字のない国内で、王様が、文字で困ることはないと思います。それと、文字に限らず、「その国内では「困ること」がないのが、そもそも「王様」というものではないでしょうか? 王様にとって文字を読んだり書いたりするってことは大して重要なことではないのでしょうか?……同じ言語を使用する国内の問題に関しては重要ではなかったと思います。人の歴史において「文字が生まれた」ということは、「文字」というものが、王様に限らず、「人間同士の伝達手段、言葉の違う国や民族同士の伝達手段」として必要かつ重要なものだったのだと思います。外国から、人が来たり、文書が来た場合には、その言語を理解し、文字が読めるか、その言語や文字の意図するところを理解できるか、ということは、王様や、特にその家臣にとっては重要なことだったと想像します。

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.1

信用できる人間が歴史や情報を暗記して、必要なときに会話で教えてくれれば構わないのです。 それが嘘だとわかったら、その人間を処分して、新しく信用できる「歩く辞書」を任命するだけですから。

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