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五山十刹と本末制度の違いは、それが整えられた時代だ
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>宗教なども関係していますか? 歴史的に奈良時代に設けられた戒壇院からの連想でのご質問かと思いますが、ご質問の趣旨がよく分かりません。 格付けや制度を決めた際の論拠に宗教的な意味づけがあったのか、ということでしょうか。 五山十刹といいますのは、仏教寺院を格付けたものです。 仏教寺院の名称に「山」がつくのは、仏僧の修行が人里はなれた山間部で行われたことに由来します。 五山というのは元々は中国の南宋時代にインドの5精舎に因んで、中国国内の寺院を格付けしたのが元になっています。 日本では鎌倉時代に、この中国の事例にならって格付けをしたものです。 具体的な寺院は時々の政権の都合で変わっていました。 最終的には現在も京都五山とか鎌倉五山などと地域ごとに残っています。 京都五山のお盆の送り火は観光の名物となっています。 十刹というのは、日本では五山と同じ時期に幕府によって決められたもので主に臨済宗の寺院の格付けとされました。 現在も京都十刹、関東十刹などとして残っています。 古い由緒ある寺院を〇〇地方の名刹などと呼んで呼称として残っています。 いずれも寺院についての事柄ですから宗教に関係していると言えば言えます。 ただ格付けに宗教的な論拠はありません。 本末制度(ほんまつせいど)は、江戸幕府が仏教教団を統制するために設けた制度です。 あくまでも政治的な社会制度です。 寺院に関することですので、宗教に関係があると言えば言えますが、宗教的な論拠はありません。 蛇足 戒壇院というのは、僧侶を正式なものとして認めることができる寺院のことです。 正式な僧侶として認められるのには、一定レベルの修行を終了したとされる受戒という儀式を受ける必要がありました。 これを認める資格のある僧侶が厳密に定められていました。 中国の寺院で正式な僧侶として修行するためには受戒している必要がありました。 当初日本にはありませんでしたので、鑑真が命懸けで来日して日本にも設けました。 現在の大宰府の観世音寺です。 後に東大寺にもその資格が認められました。 遠く離れた関東には下野薬師寺に設けられました。 現在も史跡として残っています 最澄が始めた天台宗は東大寺をはじめとする所謂南都六宗とは別な宗派でしたので、天台宗の僧侶が中国へ渡っても受戒していないとされて受け入れられませんでした。 これを打破するために最澄が努力して天台宗でも受戒ができるようにしました。 戒壇院という制度は仏教の教義に基づいていますので、宗教に関係があると言えます。 仏教では出家といって世俗世界から離脱することが求められました。 世俗世界から離脱しますので租税や軍役などから免れました。 この為に、修行も何もせずに勝手に出家を名乗る私度僧というものが現れました。 これを規制するために受戒という儀式が定められました。
整えられた時代」←整えられて無いから起きた事だという事まで理解出来なきゃ 話にならない・・
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