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手話における主語について

 どのカテゴリーに入れようか迷ったのですが、ここで質問させていただきます。  以前、手話を習い始めた知人からにわかには信じ難い話しを聞きました。その友人が言うには、「手話には主語がないらしい」と言うのです。主語がないというよりも「主語を明示するシステムがないらしい」とのことです。私は「どういうこと?」と聞き返したのですが、その知人も習い始めたばかりなので「詳しい事は分からないが手話講師の方がそう言っていた」と言いました。  手話も日本語や英語などのいわゆる音声言語と同じように一定の言語体系を確立している一言語であると認識しているのですが、今まで主語が存在しない言語など聞いたことがありません。これは一体どういうことなのでしょうか。この知人の言っていることは本当なんでしょうか。また、点字などではこのあたりのことはどうなっているんでしょうか。どなたか御存知の方、ご回答いただければ幸いです。よろしくお願いします。

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  • pokuda
  • ベストアンサー率55% (29/52)
回答No.4

そもそも手話の文法として、いまだ定説となっているものがなく、いくつかの案が提案され、それがなんとなく、世間に広まっているという現状があります。 あまり詳しく検討したことはないのですが、ほとんどの説は日本語と同じSOV形式であるといっています。 主語に関して言えば、日本語のように主語を省略することはあります。さらに、最後に指さしをすることで主格を強調したり、手の位置により主格を暗黙のうちに示すこともあるので、「主語がない」という話は何かの誤解だと思います。 ただ、他の方も述べられていますが、手話は大きく2つに分類できて、1つはろう者が昔から使ってきた手話、もう1つは日本語に強く影響を受けた日本語対応手話と呼ばれる手話です。現在、これらの手話は話し手や聞き手、状況によりごちゃまぜに使われており、一見しただけではなかなか識別できません。研究者によってはさらに細分化する説を唱える人もいます。そのようなわけで、前述の「日本語のように省略する」のが、日本語の影響なのか、手話本来の言語としての省略現象なのかは、個人的にはまだどちらとも言えないと考えています。語順についても同様な議論があります。 なぜ、「手話に主語がない」というような誤解が出てきたのかを考えると、思い当たることがあります。 ろう者が差別をなくし、一般社会に進出する上で「手話は言語であり、我々は言語障害者ではない。」という理論を掲げてきたという歴史的な経緯があります。その中で、かなりあやしい言語理論が誤解として広まり、それが伝わっている可能性があります。耳が聞こえないことで大学にもいけず、十分な知識のない中では理屈のおかしさに気が付かず、鵜呑みにして教えてしまっている可能性があるわけです。講師に悪気があるわけではないと思いますが、結果として誤解を広めていることはありえます。 もっとも、これは聴覚障害者だけの問題ではなく、健聴者でも、似たような話はあります。古い日本語文法には形容動詞というものがありますが、現代日本語では形容詞の変化系として処理した方が理論としてはすっきりしています。でも、今の日本語で形容動詞を含めて説明しようとする人はいます。これが、正しいことなのか、間違ったことなのか、それとも形容詞で説明する理論が間違っているのか。そのあたりからきちんと理解できて、議論できるだけの知見を持つ人が(日本人で日本語を話す人はたくさんいますが)、それほど数が多いわけではありません。手話でも事情は同様で、あまり、この手の話が得意でもないけど、仕方なく講師として、文法の話をしている人もいたりします。受講する方でも、少し気をつける必要があるかもしれません。 ちなみに点字は日本語の単なる別表現です。文字が点になっているだけですから、文法的に異なるものではありません。ただ、少々特殊な記法がありますので、点字を読むためには、点字の文字を覚えることと、その記法に関する勉強が少々必要です。

参考URL:
http://www.rr.iij4u.or.jp/~tokudama/kataro/
polnareff
質問者

お礼

 丁寧な回答をいただきまして感謝しております。  私は音声言語、手話、記号、古代語、現代語、方言を問わず言語一般に関心を持っているものですから今回このような質問をさせていただきました。  手話の分類がここまで複雑な事情を抱えているとは知りませんでした。大変勉強になりました。  日本における手話が日本語という別の言語の影響を受けてその文法的な性質を変えている、あるいは変えていく可能性があるということも、手話がひとつの独立した言語であるならば自然なことかとも思いますが、とても興味深いものを感じました。  点字に関してはやはり文字を点に代えているだけであって、点字文法として独立した文法を持っているわけではないのですね。

その他の回答 (3)

noname#5222
noname#5222
回答No.3

主語はあります。ただ「私」「あなた」が主語の場合は、省略する場合が多いんです。 あと、1度手話に出てきた「人」や「モノ」は、もっと簡単な表現で代用することが多いです。 たとえば「それ」とか「さっきの」とやって『その人』『さっきの話の人』という風に・・。 polnareffさんは手話が一定の言語体系を確立している外国語のようなものだとわかっていらっしゃいますが、 たいていの人は手話は、言葉を話すように表現している、言葉の直訳のように思っています。 「あなたは何を食べたいですか?」これを手話でやってくださいと言われたら、多くの人は 「貴方」+「何」+「食べる」+「したい」+「です」+「疑問」と表現するはずです。 でも実際には『食べる』+『何』という2つの表現で、済んでしまうのです。 A「私は彼を怒鳴った」B「彼は私を怒鳴った」・・これも言葉通りに手話にすると A「私+怒鳴る+彼」B「彼+怒鳴る+私」となると思いますが、 実際には、A『(わたしは)怒鳴る+彼』、B『(わたしは)怒鳴られた+彼(に)』と 同じ[怒鳴る]という動作でも[怒鳴る][怒鳴られる]と別な表現をするのです。 主語がナイというよりも、主語を表さなくても主語がわかるような表現が多いのです。 それなのに主語をわざわざ付け足すのは蛇足です。 多分、慣れた口語表現をするように、アタマで考えて手話をすると 実際のコミュニケーションでは、まわりくどくて逆に理解しにくいですよ、 ・・「主語は必要ないですよ」と講師の方は言ったのだと思いますけど。。

polnareff
質問者

お礼

 回答していただきありがとうございました。  私は手話を解しませんが、例に挙げていただいた「あなたは何を食べたいですか?」を手話に訳すと「『食べる』+『何』」という極簡単な表現方法で済んでしまうという理由は分かる気がします。音声言語の場合は、有限の音声の組み合わせによって無限とも言える表現方法が可能なため、まわりくどい言い方も存在するのだと思いますが、手話は極めて有限である身振り手振りの動作を用いて無限の表現を効率良く可能にするために、できる限りシンプルな表現方法の実現を目指しているという解釈でよろしいのでしょうか。  そう考えますと先ほどの「あなたは何が食べたいですか」が「食べる、何?」となるのは実に合理的ですね。手話にも主語があるということですが、やはりできる限り合理的な表現方法を旨とする手話では主語も必要最低限にということですかね。

回答No.2

1.まず,手話は本人がになをしたいかを表現するものですから,当然,主語はありませんね. 2.文章構成の「主語+目的語+動詞」は日本語の語順に合わせたものです,については.いまは手話が普及してきたのですが,本来は,主語+動詞+目的語という形です。日本語を文字で学ぶので,文章構成は「主語+目的語+動詞」という順番で教えているのです.英語やフランス語のような 「主語+動詞+目的語」が聾唖者同士の手話です.  そして地域によって表現が違うときがあります.「美しい花」は「花 美しい」と表現が本来の表現です,聾唖者同士の手話は健常者と聾唖者が交流するための手話とは違うのです.聾唖者の方にそう聞きました.今は教育で日本語の語順にするような教育していると思いますが,手話自体が正式に学校では聾唖者には教えられずにいたのです.つい最近までは.いまはわたしは手話にを関係にしていませんので,分かりませんが,京都,大阪では、手話も正式ではなかったのですか,教えていたようと聞いています.  3.栃木県の手話関係の方が日本語の語順にかなうように努力されましたと聞いています.

polnareff
質問者

お礼

 searchingboyさん、回答ありがとうございます。  手話にはやはり主語がないんですか。手話の性質、本来の目的を考えるとそういったこともあり得るのかも知れませんね。その言語の性質に合い入れないものは必要がないということなのでしょうか。手話は本人の意思を示すことを第一義的に考えているとすれば納得できます。  主語どころの話しではなく、手話には語順を巡るそんな背景があったとは知りませんでした。また、聾唖者同士の手話と聾唖者対非聾唖者との手話とではその性質が根本的に違うものであるというお話も納得できました。手話はまだ正式な言語体系の確立を模索している途中にある言語と言えるのでしょうか。大変興味深いお話をありがとうございました。

noname#1775
noname#1775
回答No.1

こんにちは、polnareffさん。 たまには、回答者になってみようと思います(*^_^*)。 手話も、基本的には通常の日本語と変わらず、文章構成は「主語+目的語+動詞」という順番だと思います。 「私はリンゴが好きです」と言う場合は、「私+リンゴ+好き」ですね。しかし、例えば、「固い」などの形容詞などを使って、「固いリンゴ」と言いたい場合は、「リンゴ+固い」にしたりしますね。 日本語は、特に、会話では主語が省略されたりしますが、 手話では、「です」という部分で、「私は」と主語を表現する場合が多いと思います。 ひょっとして、的外れな回答かも知れませんが、何かの参考になれば、幸甚です。 残念ながら、点字については門外漢ですので、取り合えずは、手話の回答という事で。

参考URL:
http://133.85.20.2/kamiya/jsl/bunpou.html
polnareff
質問者

お礼

 こんにちは、coyoteさん。回答していただけて大変感謝しています。  coyoteさんのお話からすると、修飾語と被修飾語の語順が日本語と逆だったりするんですね。  また、肝心の主語の件ですが、coyoteさんの回答から何かヒントを得たような気がします。知人が言っていた「手話には主語を明示するシステムがない」というのは日本語式に考えるとただそう思えるだけのようですね。主語の位置を「SOV」あるいは「SVO」とばかり考えていると主語を見失ってしまうのかも知れません。アラビア語やタガログ語のように「VSO」や「VOS」、「OVS」、「OSV」なんていう言語も世界にはあるんですから。  御紹介いただいたサイトの方も大変参考になりました。同じ日本で使われている手話にも何種類かあるようですね。これは初めて知りました。とても興味深いです。  また、何かありましたらご協力下さい。coyoteさんのご質問の方にもまたお邪魔させていただきたいと思います。今回はありがとうございました。

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