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江戸時代の石灯籠はどうやって作ったか
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石材の切り出し場の時点で、職人技の人間が、適切な結晶方向(木材でいう目)の方向にノミを入れて、そこに鉄のクサビを叩きこめば、あの程度の平面がそのまま得られます。(エジプトでは紀元前にはとっくに直方体に切り出しては川でいかだにのせて建設地に持ってきてたのと同じ) それを、段々細かく作業して、座り込んで作業できるくらいのサイズにしたら、あとは石の粒子を見ながら整えるだけです。 そのくらいできないと、城の石垣や神社の階段などに使える平面ができません。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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お城の工事、石工、橋。 これらは全国横断的職業でした。 一国や一権力にに所属しません。 そうでなければ仕事としては成り立ちません。 メソニックっていうフリーメーソンもそうです。 白川さんも分析叙述していたけど孔子って大勢の弟子を富まないながら遍歴しますね。 お父さんは第一に敵陣に突撃する武士であった、つまり上級ではない武士。 御母さんは全国横断の墓、葬儀の職能団体の方だったと。 そういう職能団体ってあるんですよ。
お礼
横断的職業、いわば、職能集団ですね。なるほど、そのようなプロの集団が特殊な技術を持っていたわけですか。そうですか。参考になりました。ありがとうございました。
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なるほど、そうですか。確かに、お城にもそんな感じの石がありますね。ありがとうございました。