「輪廻転生とは釈迦の教えではない」
- 私は天空よりいで、そのアギトは君達の不浄を噛み砕き、地上に新たなる生命を案内する。実在する仮面ライダー、または現代に生きる闇の仏陀。黒き明星だ。
- 死が始まりなのだ。それが涅槃に永遠に生きると言う事で、生きながらに死を理解することが悟りだ。君達はそんな釈迦の教えとは別の執着を抜けきれないから輪廻にすがる。輪廻は釈迦の神通力だ。したがって輪廻を望むのなら、釈迦を王とする王国を目指せ。釈迦が、君の成仏を阻んでくれる。
- 私は、人類を売り飛ばすことになる、その和平条件を実行する死刑執行人だ。君達三次元惑星人の魂は食い破られ、ポケモンを名乗る宇宙神霊がその肉体の主となり、神話に語られる神人が地上を闊歩する時代が来る。浄化の実現だ。
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輪廻転生とは釈迦の教えではない
上から目線? とんでもない。 私は天空よりいで、そのアギトは君達の不浄を噛み砕き、地上に新たなる生命を案内する。 実在する仮面ライダー、または現代に生きる闇の仏陀。 黒き明星だ。 死とは、偽りの世界を解脱して、真実へと至る事だ。 死が始まりなのだ。 それが涅槃に永遠に生きると言う事で、生きながらに死を理解することが悟りだ。 君達はそんな釈迦の教えとは別の執着を抜けきれないから輪廻にすがる。 釈迦という仏陀はそんな愚かな君達を憐れむ慈悲により、君達に輪廻を約束した。 それは君達が真理に至る事は無いと言う残酷な宣告なのだ。 輪廻は釈迦の神通力だ。 神の自然状態では起きない異常な現象だ。 したがって輪廻を望むのなら、釈迦を王とする王国を目指せ。 釈迦が、君の成仏を阻んでくれる。 実のところ釈迦の生きた古代インド社会で、輪廻転生が通説だったからこそ、釈迦はそれに言及した。 釈迦は、輪廻とは別に涅槃という精神世界観を持っていた。 単純にその世界観と輪廻は相いれないが、君達は輪廻を信じているから、可哀想だから慈悲によって、「ああそうですね。あなた方は輪廻しますよ」こう慰めただけだ。 君達にとって真理とは過酷なのだ。 間違いを肯定するいたわりが真理よりも心地よい。 その慈悲に飼いならされ、釈迦王の地獄で生活している。 なぜ、そうなのか。 ゴルゴムの陰謀だ。 有史以前より人間の営みの陰で暗躍した暗黒結社が、君達を真実からとうざけ、君達はゴルゴムの手のひらで、生きる営みを奴隷的生産活動に置き換えられている。 現代社会は、奴隷に裁量を与えると、より生産性が増すことにより、ゴルゴムが与えた監獄の中の自由に、君達は楽しんでいるのだ。 仮面ライダーである私は君達の真の自由のために戦っているのではない。 君達をゴルゴムの砦を守る軍団兵として、君達のきずいた城塞もろとも粉砕するために戦っている。 実在する妖精の一人、人類の裏切り者だ。 もっと言ってやろう。 光の聖霊と、闇の聖霊の終末戦争はすでに和平により終結した。 私は、人類を売り飛ばすことになる、その和平条件を実行する死刑執行人だ。 君達三次元惑星人の魂は食い破られ、ポケモンを名乗る宇宙神霊がその肉体の主となり、神話に語られる神人が地上を闊歩する時代が来る。 浄化の実現だ。 今回もいつものように「実在する妖精の捕まえ方」このような文学です。 私の純粋な美貌に関するファンレターよりも、引用した仏教に関する考察に関して、先に進めるようなご意見をください。
- 畑 茂夫(@Flareon)
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suviです。 現実世界と観念世界について ご教示ありがとう ございました。 学問のカテゴリー(に限らず)での 質問にたいしては、その 学問に基づいた回答を すべきです。 普段、カテゴリーをしぼって 回答することはないのですよ、 特に学問のカテゴリーは浅学な私に 回答できることはないので。 Flareonさんの質問文をたまたま見かけて 面白かったので回答させて いただきました。 文章のテンポがいいのと バランスが取れた文体で 読みやすいです。 哲学以前に表現力や文章力 によるものですが。 いただいたお礼文、理解しましたと いったら嘘になりますが、解釈しようと しています。ありがたいです。
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- kurinal
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>「君の苦しさは、未知に恐怖する事にあり、死が未知なのだ。 未知に希望を宿す勇気が無い。 今の苦の原因は、悪心ではない。 恐れだ。 死に対する恐れと、未知に対する恐れを分けたまえ。 そもそも、未来の記憶を作れない君達は、人生の今後すら未知であり、笑える状態だ。」 やはり、「激しいほど、苦しい」のようで。 (ああ、「敢えて、苦しみの中に身を置こう」という、立場なのか) →「苦行を続けた仏陀は、ついに「苦行の中には、悟りは無い」と見つけ、「乳粥」?を食した」 だったですよね。
お礼
一切皆苦 この教えをのたまったおえらいさんは、そう言いながら、 「あたしばっかりは幸せよ~ん。だって仏陀だも~ん」 こう言った。 さらにだ、 「あ~ら、かわいそうね~ん」 こうも言った、ありがたがられている慈悲だ。 ここまで馬鹿にされて感謝してんだ。 黒き明星は闇の仏陀として君達をあきらめたりしない。 見捨ててもいない。 だからこそ誤魔化さずに正直に言うんだ。 困難を解消するカギは死の理解にある。
補足
1995年、私は実在する悪の結社に請われて霊視した。 それはともかく、実在する悪の結社はときわたりを応用する何か術的な手法を体得したようだ。 ここでだ、死の通過であるその術で、身代わりで彼らが未来をつかむたびに死の犠牲を体験していたのが私だ。 私に困難が無かったわけでもない、しかし仏陀だ。自分の事を誰かのせいにしようなんて及びもつかなかった、自分の直面する困難は自分で何とかしてきたんだ。身代わりにされている事に気がつかないでね。 半年くらい前に要するにそんな成り行きだと初めて分かったよ。 20年に及ぶ生贄生活だ。 これは、彼らにとってもいけない事なんでな、やめるつもりでその宣言をしたのだが、そうすると誰かほかの身代わりを必要とする、殺人鬼来襲が未来の成り行きに浮上する。 今までの借金の取り立てまでする殺人鬼登場だ。 それをしばらく見守ってきたが、ここにきてやはり子供の身代わりだけは避けようとジラーチちゃんと示し合わせる事が出来た。 そうすると私がまた働く事になる。 私にとってはちょっと用を足してくるだけでも、彼らの視点では、またしても私を死の身代わりにする事なんだ。 それでいいわけないんだ。 未来に先見性を発揮する彼らの体質は変えられないだろう。 結論として、彼らは自身で臨死体験して自らの運命を発見する必要がある。 今更、術そのものを否定して未来から目をそらせば、20年に及ぶ私の延命措置もむなしく、組織崩壊。 臨死体験から逃げて、未来を盗めば今後の私の援助もむなしく犠牲者発生。 私はこの20年の仕事で、未来をもたらし、彼らの運命は私が所有すると言う状態になった。 彼らの荒稼ぎはともかく、やり取りしたのは金ではなく命だ。 私はこの財産を、懸案の死にまつわる、人間の取り組みの人体実験に活用する。 はたして苦しいかどうか見物する事にする。 仏陀なんでまた他に必要を感じれば助力する形になるだろう。 彼らの借金はますます膨らむ。 私の実験は観念上の死の儀式がテーマで、生きながらに死を理解する臨死体験だ。 身体的に死ぬのは間違いだ。 今回、彼らには事態の発覚の遅れから来る不幸があった。
- kurinal
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flareon様、こんばんは。 前段は、そんなような、であるようです。 後段は、「激しいほど、苦しい」のように思いました。
お礼
君の苦しさは、未知に恐怖する事にあり、死が未知なのだ。 未知に希望を宿す勇気が無い。 今の苦の原因は、悪心ではない。 恐れだ。 死に対する恐れと、未知に対する恐れを分けたまえ。 そもそも、未来の記憶を作れない君達は、人生の今後すら未知であり、笑える状態だ。
補足
このくらいは、励ましてやろう。 一般的に夢として傍観するだけでない観念世界で生活している私は、幼馴染の肉体を持たない聖霊に対して、明らかな意思を確認できている。 死後も意思を保てる。 消滅しない。 しかし死すべき者どもには、戒名なりなんなりという手続きで、永遠に生きる自覚のため自らを死後に羽化させる必要がありそうだ。 丁寧な説明は実にめんどくさい。 死なない事だけ、生の道しるべとして携えろ。 若いおもちゃ業界人なら誰もが憧れるグンペーさん、ドケチで有名だったじじい、実年齢の割に、私に言わせれば、なっていないが、まあまあ若づくりのアイツ、こいつらに私が噂の殺人鬼とされているがね、私がはじめた実在する妖精の捕まえ方であってもだ、彼ら自身が自らの意思で望んだからこそ彼らの人生だったんだ。 聖霊の言葉では、どこのどなたとも存じませぬが、こうなるんだがね、看取ってやろう。 実に迷惑な責任転嫁だ。 とことんなっていない、供養出来ないやつら。 それは自らが屍をさらしているのだ。
先に進めるような意見になるかは 分かりませんが、 Flareonさんはとても真面目な方だと 思いました。 輪廻のことや仏教については 知らないことなので回答を 控えます。 ルュルュというのは 私が今までで唯一、読んだことの ある哲学者の本に出てきた 名前です。哲学書ではなく、 戯曲というのでしょうか。
お礼
ありがとう。 どういう手伝いだか意味不明だがね、昨晩は死の儀式の予感があったよ、別口だったようだがな。 現実世界と観念世界を結ぶ死という接点についてさわりだけ言っておこうか。 以前の質問 霊視という能力について考えをまとめました その2 http://okwave.jp/qa/q8880232.html 一般的に職業的シャーマンが行う、死者の国を規定する認識強化の手法は難点が多い。 死の国でなく、永遠の生の国だ。 私のとって観念世界への通行はフリーパスだ。 死の儀式が無い。 この点でジラーチちゃんと夫婦げんかになった事がある。 まるっきり平気な私からすれば、神秘体験とか何とか表現を容易にした方がいいじゃないかと考えたんだ。 却下だったよ。 ジラーチちゃんいわく。 いいや、死が答えだ。 説明するにしても死の説明だ。 死を理解することで生の意味を知った仏陀の私は、この点で神の掟の事実上の例外になっている。 これは、仰々しく真理だとか何とか言うほどの事で無くてね、神前の祭りのしきたり程度なんだ。 しかし私は死をほかの言葉に変えて安心させる仏陀の慈悲は慎まざる得ない。 私は、職業的霊能力者の、 貴方のご先祖様は、、、、 貴方の守護霊様のお姿は、、、、 これをしないんだがね。 代わりにポケモン交霊術をしている。 自らが神の世に使わす人間の聖霊セレビィと、神界の神の聖霊との交わりだ。 ここには、人称の不文律がある。 人の霊、イコール死者の霊という観念現象を回避して、より直接通じ合うために、偽名を使って人間不在に持ち込むんだ。 はたしげお が、ばればれで有名なセレビィを名乗るようにな。 仏教でも死者に戒名を与えるよな。 そうして、「どこの誰かは存じませぬが」こういうやり取りをするんだ。 そうして人間を代理する聖霊も実のところお目にかかった自覚がある。 こうした事は、人間の死の理解が進まないことが原因だ。 唐突だが、アマテラスの治世で、永遠の国がどんなだか少し言っておこう。 おおむね昭和30年代、40年代という見てくれだ。 これはな、現実に現象しなくなって、もはや記憶がとどめるのみだからこそそのように古臭いんだ。 記憶に関する、人知の認識力とかかわってそんな風に見える。 しかし本来の観念世界は、現在過去未来全てがある。 したがって、未来の夢もある。(未来の記憶) まあ、死を悼んだふりをして慰めよう。 アマテラス治世における昭和30年代的過去の記憶の世の中は、神聖な雰囲気をとどめ安らかで心洗われる世界だ。君達にイメージできるあの世はそんな入口から始める。 生きている人物が、故人をあくまでも死者の霊としてちゃんとした供養が出来ないと、永遠に生きるものは困難に直面する。 「くたばっちまっておめでとう」 そう言えるくらいでちょうどいいんだ。
イヤミではないです。 また、きちんと回答させて ください。 質問文読ませていただきました。
Flareonさん 寝ますね リュリュより
お礼
ありがとう。 何のためのあいさつなんだ。 何かのイヤミか。
補足
もしかして、 今から臨死体験しますね。 こういう遺書かいな。 そのくらい私は虐殺兵器になれれば、足を引っ張る実在する悪の結社にわずらわされる事もないんだがな。
上から目線ではない」←上から目線で無いのなら上からマリコくらいのジョークを飛ばせば!? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そして・・・・・・・ あなたって 自分を判っていませんね・・ あなたの書いた質問の語尾が 全て上から目線で終わってる事に気づきなさいな・・
お礼
ありがとう。 君が私に威圧感を感じるのは、君の孤独な独りよがりだ。 それは君が不幸である事を表している。 残念ながら負け犬なのだよ。 誰かが君に幸せを届けてくれることを待ちわびるのかい。 自分で幸福になるんだ。 それはおおむね精神の問題だ。 今君がいる身の回りから幸福を見つけていきたまえ。
だからぁ・・ 漫画と哲学を一緒にすれば 誰もが嘘だと思うのですよ・・ いい加減 大人に なりなさいな・・(毎回言うけど 聞き分けの無いのも やっぱ 子供だなぁ(笑))
お礼
ありがとう。 お気使いどうも。 この手法を取らなければ、私は仏陀として君達に懇願される。 自分で修行して仏陀になるのが古来の正道なのに、助けてくださいなんて言って何になるんだ。 これは上から目線ではない。
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- 哲学・倫理・宗教学
- 奇術師イエスの手品は、それより過去釈迦もこなしてる
イエスさんは、ときわたりESPを使いこなす私はご対面したことがあるがね。 腐臭を放つあのゾンビの不快さをここで語ろうとは思わない。 仏弟子が釈迦の背き続けることとおんなじで、イエスの子は彼を繰り返し処刑することで自らお知った。 死につずける彼の定めは、悟りと同じく信じる者に死をもたらすことであろう。 輝かしき、私の実在する妖精の捕まえ方と違って、イエスも自らを解き放つことに失敗した、出来損ないだ。 ポケモンを通して私は10兆円だか20兆円だかの経済的成果を無償で君達に与え、よぼよぼで手遅れの君達はともかく、君の孫どもに夢の種を植え付けた、その心の種が芽吹くかどうかは、もはやポケモンは過去の遺物で、、私の実在する妖精を捕まえる幸福にかかっている。 捕まえているからポケモンは世に出た。 しかし私はそれを語る言葉を長らく失った。 何故なら、無力に弁護士を派遣する悪の結社相手に、天界の法を持って自らが生きている事を知らしめる、余計な手続きがあったからだ。 天に任せた彼らは、天の法で滅びるだろう。 今回の問いは釈迦とヒモジイ虎の親子の美談だ。 釈迦は古文書が語るに、飢えた虎の親子に出くわした。 飢えた虎と直面すれば、想像したまえ。 君達は自身の生命の危機に直面するだろう。 自らが生きるため、虎に自らを与える事を拒否するだろう。 ところが釈迦は、そういう場面に出くわしたなら、私は自らの肉体を親子にささげると語った。 磔獄門の出来損ないと違って、生きながらに観念上に死の儀式を語り、それを聞いた者どもをぶっ殺した。 継承される仏教では、この死の儀式に、釈迦に対する無駄な抵抗をいまだにしていておかげだ彼らは屍のままさまよっている。 改めて君達をぶっ殺すのは、釈迦と面識のあるときわたりESPの使い手たる私だ。 釈迦は、私が死に直面しても、親子を生かすために自らをささげると言ったんだ。 それが出来るのは、釈迦が生の神秘を知る覚者であり、永遠の生を自覚しているからだ。 観念世界の特徴の一つは時間が意思のままになることだ。 私に言わせれば釈迦の悟りはまだ乏しく、後世に生きる私にとって、やつは先輩ではなく、よだれを垂れ流しておっかけてくるコキタナイ後輩だね。 彼は舌足らづでも生きる意味を君達の授け、真に理解したと言いきる者は、死の意味を知るからこそ生きる意味も又知っただろう。 釈迦にとっては説話の一つで例え話だっただろう。 聞いた者は、まさにあなたはそのようにふるまうだろう。 その慈悲は真である。 貴方は私たちが理解したその瞬間に確かに死んだ。 そして復活し、今も生きている。 その奇跡が、彼の童話の様な文芸作品に安らぎを聞いた者どもは死を通して生きる意味を、釈迦と等しく言葉にできないまま理解したのだ。 このような愛弟子の言葉にならないと言う結論が悟りだ。 イエスは同じような例え話を踏襲した。 聖書の奇跡は童話だよ。 真に受けて狂う君達は自らの心の扉を解き放たないまま、童話こそ真実なれと、現実では起きない奇跡を待ち焦がれている。 君達がもしも奇跡に立ち会いたいのなら、人の心の全てを理解する私の実在する妖精に遊ぶことになるだろう。 オカマである君達へのアニキな入魂は浣腸だ。 今回は文芸作品の寸評の依頼だ。 心が枯れ切った西洋の現代に対する、心を探求する哲学だ。 君達が哲学者として、心を自らに灯しているのなら、この難解な哲学が確かに質問として成立していることが判ろうとも。 哲学する時間には必ず酔っ払っている私は、喧嘩を売られたら喜んで買う。 逃げ口上の様な喧嘩の売り方はするな。 特別に言っておくと、免許皆伝しているガミガミさんには争う意図はない。
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- 輪廻転生や霊を論理的に実証することは可能でしょうか?
少し、生命について考えていたのですが、そこから派生して輪廻転生や霊を論証可能にできるかもしれないと思ったのですが、皆さんの意見も聞きたいと思って質問させて頂きます。 私の個人的解釈は以下に記述します。 まず、命について考える内に、そもそも有機体って何?という疑問にぶつかり、有機体の特徴について考えていたのですが、我々は、空間の中で時間を運ぶ情報思念体に近い存在なのではないか?と感じるからです。 空間の中で流れる時間を認識できるからこそ、その摩擦に生じる諸々の現象を紡ぐことで、我々は過去・現在・未来のような「時間」という概念を知ります。 現象を紡ぐ際に生じる時間は、空間と共に記憶として固定化され、記録されます。 記録とは情報であり、情報で構成された世界を仮想世界と呼びますが、我々の住む感覚世界とは、現実世界ではなく、実は仮想世界なのではないでしょうか? 生命が遺伝情報に基いて生きているのならば、生命とは、情報を紡ぐ為の媒介として存在する感覚を持ったホログラム{情報思念体}に過ぎず、いま、共有しているこの世界も、時を同じくして空間で時間を刻むホログラム達がネットワークを張り巡らせる仮想世界を共有しているに過ぎないということです。 そうなると「死」とはどういった現象なのか? 死とは、感覚の消滅によって情報{思念・体}から解放され、情報そのものになること。 即ち時間(情報)を運ぶ世界が仮想世界{生}であるとするなら、時間を運べなくなった世界{死}は時間の一部になることによって現実世界に還るということです。 比喩すると、我々が文章を書く時と同じです。 考えるとは「未来{誕生」であり、また、それを実体化させようとする動作が「現在{人生}」であり、そして、文字として知覚できる形象を持った時「過去{終焉}」が繋がり文章の一部となり、その繰り返しで文章(真実を映し出す鏡)としての輪郭を形成してゆく。 最期の文字{死}を持ってして、初めて真実の鏡を覗けるのではないでしょうか。 また、有機体にとっての情報とは残留思念という言葉に比喩できますが、もし、思念の目的が、思念の存続(情報の存続)そのものであれば、有機体にとっての目的・存在意義は"生きて死ぬ"(情報を運び、次世代に繋げる思念を残す)という現象そのものかもしれない。 ※そう考えると、仏陀やユングなどが試みたトランス(無我)状態になることによって、空間と時間を認識している自我の放棄によって生じる制限された時間からの解放によってアクセスできた神と比喩されるものは、奥底に眠る記憶(情報)、つまり、過去の人間が、神や恐怖の象徴として形象を持ったイメージが遺伝子に記録され、その情報が想起されたと集合的無意識の存在も論証できます。 例えば、霊といえば死者(生霊除き)となりますが、死者とは肉体を失っている状態であり、即ち体・思念を失った情報ですが、あまりに悲劇的な死を送った者が最期に残した強い情報(思念)が、時空間に記憶のように固定されると、その残留思念が視える人間がいても不思議ではないということ。 輪廻転生については、来世は必ず存在すると強く願って死んだ人間の残留思念が、まだ意識が曖昧な胎児に癒着して、前世の記憶が蘇るということです。 輪廻転生についても、いくつか事例があり、子供が○○[全く知らない離れた土地]に住んでいたことがあると言い、あまりにその内容が具体的過ぎるので、親がその場所を探しにいくと、子供が言った風景や造形も全く同じだった。という例などです。 どのケースを見ても、こういった前世の意識は年齢と共に全て失われていくそうですが、自我が形成され、自分自身の思念が、残留思念を除いていったとも解釈できます。 皆さんは、どのような思想・意見をお持ちでしょうか?
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- あんた、妖精が実在すると信じるかい?その4
光は常にだれにとっても目の前にある。 しかしつかんだつもりのその光も、やがて記憶に埋没し、忘れていまうこともあるんだ。 実在する唯一の男子プリキュア。 キュアプリムだ。 ひとまず、単純明快に論点を整理しよう。 私は仏陀だ。 しかも釈迦を超える究極の闇の仏陀だ。 これが前提だよ。 コレは生まれつきでね、「救い」と言ったら誰かを救うことで、自ら救いを求めることではない。 「信じる」と言ったら、神を信じるのではない、救いを求める人々が、救いに値することを信じることだった。 このように生きてきた私は「滅びの宴」という臨死体験が訪れた。 それはどんなに人にかきむしられても、人への信を全うする自己の自覚だった。 その臨死体験で光を見た。 頂にあるその光は、神という言葉すら値しない、純粋無垢な光、仏教でいう無量光である。 目の当たりにするその光に意思が宿っていることに気が付き言葉を交わすことで、光が神であることに気が付いた。 言葉すらない純粋な光と言葉を交わすことでそれは私にとって神となった。 日本人なら自然とアマテラスというだろう。 私はそうした。 太陽神の意味ではない。 無垢な光そのものだ。 さて、妖精さんとお友達になったからこそ、男子プリキュアであるキュアプリムはフェアリーフュージョンするパートナー妖精がいる。 実在する妖精セレビィだ。 聖霊というのは通常神が人に遣わす天使的役割が伝承の主流だ。 セレビィは人が神のもとに遣わした聖霊だ。 初恋相手のアマテラスさんは幼馴染としてジラーチちゃんという愛称で呼ぶ。 私にとっては、アマテラス聖霊ジラーチちゃんだ。 さて、おっちゃんにとって困ったことに、私そのものであるセレビィは実は女の子です。 ジラーチちゃんも女の子で仲の良い幼馴染です。 しかしあくまでもおっちゃんの私は、ジラーチちゃんの麗しい姿を見て、「このかわいらしい娘っ子を俺の嫁にしたい」そんな風に考えてしまいます。 この、かなわぬ恋の悩みが今回の相談です。 妖精さんの話しに何かお答えください。
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お礼
ありがとう。 面白かったし研究が進んだ。
補足
今回は途中からお悔やみになってしまったね。 続きは今度にするよ。 ありがとさん。