貴方が大好きな競技になるきっかけとなった選手&エピソード

このQ&Aのポイント
  • 競技に興味を覚えるきっかけとなった選手やエピソードを教えてください。
  • 私は野球ファンで、鉄腕稲尾和久物語が私の大ファンになるきっかけです。
  • 鉄腕稲尾和久は、西鉄ライオンズのエース投手であり、三原修監督の下で活躍しました。彼の偉業は感動的で、父を亡くした悲しみの中でチームを勝利に導いた姿に心を打たれました。
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貴方のその競技のファンに成った選手&エピソード

我が女房は、福原藍ちゃんで卓球に興味を覚え、石川遼選手の活躍でゴルフ中継の視聴者に、錦織圭選手でテニスファンに成ったようです。 そのように、貴方の大好きな競技に興味を覚えたり始める契機と成った選手&エピソードをご紹介お教え願えませんか? ※ちなみに 私の場合は→野球であり、その熱心なファンに成ったきっかけは「鉄腕稲尾和久物語」です。 余談ですが・・・ 私の「lions-123」は 大好きなプロ野球 私の中では史上最強チームであり、 巨人軍監督を非情&無意味な形で追われ、九州の弱小球団の監督と成った、知将三原脩が臥薪嘗胆、田舎の荒削りな選手たちを率いて、力強く伸び伸びとした魅力的な野武士集団<西鉄ライオンズ>に変身させ、宿敵水原巨人軍をエリート球団を破り日本一に、V3<昭和31年・32年・33年の日本一>を成し遂げた感動をネーミングにしております。 今は、悲しく寂しい変遷を経て、埼玉西武ライオンズとなっていますが・・・ lions-123 :西鉄lionsの日本一と成ったS31年の1、32年の2,33年の3と年号の最後の数字、今後も3連覇程度を、あの素晴らしい強さ・伸び伸び野球を何度か繰り返して実現してくれるように祈念したハンドルネームです。 「神様・仏様・稲尾様」がいて、中西・豊田・大下・関口・仰木・高倉・玉造・花井・城戸・田中・和田・滝内・小渕・西村・若生・河村が、三原マジックと共に暴れまくった平和台球場の侍メンバー達を懐かしく偲んで・・・。 私の愛し尊敬するプロ野球選手は「神様仏様稲尾様」 の西鉄ライオンズ故・稲尾和久投手です。 詳細は映画「鉄腕投手・稲尾物語」に描かれた通りですが、野球を覚え一日中、広場でグランドで三角ベースボールで楽しんでいた頃の史上最強軍団「西鉄ライオンズ」のエースであり、名将智将魔術師と言われた三原修監督の下、中西・豊田・大下・仰木・高倉・玉造・城戸・和田や西村・島原ら野武士軍団が居た。 あの稲尾和久投手です。 因みに、私は感動のあまり、その映画(2本立てだった、こまどり姉妹の主演作品の名称は忘れました)を朝から晩まで3回観た記憶があります。 稲尾和久は昭和十二年六月十日、別府北浜の漁師の七人兄妹の末ッ子に生れた。 父の久作は一本気で曲ったことの大嫌いな男だった。和久もこうした負けん気な性格を受けついだ。 十一歳のある日、和久は友達に舟が漕げないだろうとからかわれ、憤然として荒海に乗り出した。 知合いの松源旅館の娘紀子の知らせで、母かめのは久作に救け舟を出すように頼んだが、久作は許さなかった。和久は父の期待通り、無事に舟を漕ぎ通した。 久作の父性愛は和久に不屈の精神を叩き込んだ。 その年、荒巻投手の星野組が全国実業団野球大会に優勝して、別府に凱旋して来た、和久はそれをみて心おどらせた。 前から和久の肩のいいのを知っている松源の源太郎は、自分のチームのキャッチャーになるようすすめた。 貧しい家のことを考えた和久は、一応は断ったが野球の誘惑には勝てなかった。 母は乏しい家計の中から、和久にグローブを買ってくれた。 中学に入って和久は父に内証で野球部に入った、父はそれを知って、やるなら最後までがんばれと、和久を励ました。 県立緑ケ丘高校に進学した和久は、二年の時にピッチャーに転向した、その頃から、和久は父も驚くほどのトレーニングに励んだ。 試合に負けると父に怒鳴られ、キャッチャーの栗原も良き友であり、美しい女学生節子に淡い恋心を抱くなど、和久の高校時代は楽しかった。 彼の才能をプロ球団が見逃すはずはなかった。九州男児の和久は、郷土のチーム西鉄ライオンズに入団した。 開幕第一戦、対大映戦にリリーフとして登板、見事にその責任を果した。 この頃から父は健康を害しはじめた。和久の活躍は自覚しく、その年は二十一勝六敗でパ・リーグ新人王、翌三十二年には最高殊勲選手並びに最優秀投手の栄冠に輝いた。 久しぶりに故郷に帰った和久の心は、父の衰弱ぶりが激しく暗かった。父のために日当りのよい二階家を建ててやろうと決心した。が、キャンプ中に父危篤の電報が届いたのは、それから間もなくであった。駈けつけた和久を、久作は大事な練習を休むなと追いかえした。 父死すの電報を秘めて練習に励む和久、それをみつめる三原監督の目は感動に濡れていた。三十三年、西鉄はシーズン末まで苦戦が続いた。しかし、悪戦苦闘の末三たび首位を獲得して、宿敵巨人と日本選手権を争うことになった。 その第一戦、長島を加えた巨人は見事稲尾攻略に成功した。余勢を買って巨人は三連勝、西鉄を窮地に陥し入れた。が、和久はくじけなかった。 第四戦以後、和久は投げて投げて投げまくった。そして球史始って以来の逆転優勝を成し遂げた。博多の街は西鉄チームの凱旋でわきかえっていた。和久は亡き父のはなむけに優勝の報告をした。そして母を東京見物に誘うのだった。 http://www.ishirohonda.com/works/195903-inao/195

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  • hide6444
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回答No.2

陸上競技➡カールルイスに憧れて陸上部に入り今でも世界陸上などは夜中でも 見てしまいますね。 ラグビー➡伏見工業から同志社大に進学し神戸製鋼ラグビー部の基礎を築いた 平尾誠二さんには男性として今でも憧れますね。ですから今でもラグビーは いろんな所に観戦に行きますね。最近神戸製鋼が弱いのでちょっと不満ですね。 野球➡ 私の中では最高速球を投げていたと今でも信じている江夏豊さんが大好きでした。 登板ごとにダイナミックな投球で三振を獲っていた速球は今でも忘れられません。 ゴルフ➡ 日本ではジャンボ尾崎選手や青木功さんが居ましたが、私のゴルフの基本は トムカイト選手のステディーなゴルフに魅了されて始めました。シーズン中一度も優勝せずに アメリカツアーの賞金王になられたコンスタントに成績を残せる選手でした。

lions-123
質問者

お礼

ご回答を賜りまして誠にありがとうございます。 >陸上競技➡カールルイスに憧れて陸上部に入り今でも世界陸上などは夜中でも 見てしまいますね。 そうでしょうね・・・ 私は自慢じゃないが鈍足で、確かロケットスタートの飯島秀雄選手やでんぐり返しの依田郁子選手を羨望と尊敬の目で当時は見てました。 ラグビー➡伏見工業から同志社大に進学し神戸製鋼ラグビー部の基礎を築いた 平尾誠二さんには男性として今でも憧れますね。 今風に言えばイケメンでプレースタイルも理知的&スピーディな華のある名選手でしたね。 野球➡ 私の中では最高速球を投げていたと今でも信じている江夏豊さんが大好きでした。 確かにやんちゃな不行状は有るが素晴らしい速球投手でした。 また、同年代の私には、野球は凄いがガラの悪さでも超有名な高校生でもありました。 ゴルフ➡ 日本ではジャンボ尾崎選手や青木功さんが居ましたが、私のゴルフの基本は トムカイト選手のステディーなゴルフに魅了されて始めました。シーズン中一度も優勝せずにアメリカツアーの賞金王になられたコンスタントに成績を残せる選手でした。 ニクラウスやワトソン、日本のAOでもなくトムカイトとは渋いファンですね・・・

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  • bardfish
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回答No.4

ちょっと違った視点から・・・ 私の場合は好きになる切っ掛けよりも嫌いになる切っ掛けのほうが多いです。 嫌いになるのは、その競技の愛好家とかファンという人の押し付けがましいところが嫌で競技そのものを嫌いになることが多いです。 そして金に対する意地汚さが見え隠れした時点で軽蔑の目で見てしまうことも多い。 今はディスクゴルフというものをやっていますが、きっかけは大会の様子を写真にとってくれと依頼されたから。 その後も何回か撮影させてもらっていたのですが、実際に競技用ディスクを投げてみると結構気持ちよく飛ぶんです。 それから自分でもディスクを購入してやるようになり、今では日本選手権にも出場するくらいになりました。 競技人口はまだまだ少ないですが、日本中の競技愛好家と知り合いになりSNSで交流もしています。 海外ではメジャーな競技で、ヨーロッパの人にグループへの参加に招待されたり、台湾や韓国の競技者から友達申請が来たりします。 YouTubeにはボールのゴルフとフライングディスクのゴルフを同じ場所(ゴルフ場)で同じパーティーでプレイしてスコアを競うという動画もあります。 飛距離の世界記録は約260m。私も100mくらいなら飛ばせます。日本記録は170m位だったかな? で、元々登山もしていたのですが、登山って頻繁には行かないじゃないですか。 ディスクゴルフだとパーティーで回ると18ホールでだいたい1~2時間歩くことになるし、コースにょっては高低差が50m以上ある山岳コース?みたいなところもあります(笑) 先日も一日中プレイしていたのですが、ラウンド中に歩いた距離が約12Km。1ラウンド(18ホール)で6Kmくらいのコースです。 道具もそんなに高くなく、ディスク1枚が高くても2500円。安物のゴルフクラブを最低限のセットを揃えるお金があれば結構良いディスクとバックを揃えることができます。 コースそのものの設置費用も安いもんで、整地したり芝を植えたりする必要がなく、ゴールを置いてティーに目印を置くだけ。後は自然にあるものが障害物となり面白さにつながります。

lions-123
質問者

お礼

ご回答を賜りまして誠にありがとうございます。 >私の場合は好きになる切っ掛けよりも嫌いになる切っ掛けのほうが多いです。 嫌いになるのは、その競技の愛好家とかファンという人の押し付けがましいところが嫌で競技そのものを嫌いになることが多いです。 そして金に対する意地汚さが見え隠れした時点で軽蔑の目で見てしまうことも多い。 そうですね・・・ 例えばプロ野球が大好きな私ですが、押し付けがましく煩く喧しい、肝心のゲームやファインプレーをプロの技を楽しくみれない応援団、試合後のターミナル駅での騒がしさには閉口、すっかり球場へは足を運ばなくなりました。 でも、テレビ観戦は今でも大好きですが・・・ >今はディスクゴルフというものをやっていますが、きっかけは大会の様子を写真にとってくれと依頼されたから。 その後も何回か撮影させてもらっていたのですが、実際に競技用ディスクを投げてみると結構気持ちよく飛ぶんです。 ディスクゴルフ知りませんでした、貴重な情報や面白さ・醍醐味・競技の概要をお教え頂きありがとうございました。 今後、老若男女に親しまれ普及して行くんでしょうね。

noname#209009
noname#209009
回答No.3

獅子様、今回は力作ですね。 リンクは跳べませんでした。 http://www.ishirohonda.com/works/195903-inao/195903-inao.shtml こちらでしょうか? 質問とはズレてしまいますが、私が野球を見出したのは「巨人の星」きっかけだと思います。

lions-123
質問者

お礼

ご回答を賜りまして誠にありがとうございます。 >私が野球を見出したのは「巨人の星」きっかけだと思います。 なるほど、非常に好きなアニメでした。 それは単なるスポ根マンガやホームドラマとか浪花節的な人情談を 超えた感動ドラマでしたね・・・ 家族から、漫画で泣くなんて・・・と、からかわれてもハンカチを片手に視聴してました。

  • 33521474
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回答No.1

おはようございます。 わたしの場合ですが、幼少の頃から何故かアンチ巨人で20年ほど前までわたしにとって巨人は悪でした(笑)。 しかしふとTVを目にすると松井秀喜さんが焼肉のタレのCMに。 そのときのあまり趣味の良い(スポンサーの意向でしょうが)とはいえない服装に垢抜けなさというか身近さを感じて、すっかり松井さんの虜になりました。 現在でもいまはなき近鉄ファンですが。 蛇足ですが、西武は強過ぎて憎らしかったですね~。 個人的にテリーと郭タイゲン(字が思い出せず申し訳ありません)さんは今でも大好きですが。

lions-123
質問者

お礼

楽しく懐かしい思い出や選手名をご紹介頂き誠にありがとうございます。 近鉄パールスやバッファローズ時代の藤井寺球場を知っておりますが、確かに何とかしてやりたいと応援したくなるチームでしたね。 そして故・西本さんの熱血指導で頭角を現し強くなりましたね。 それが企業の都合で身売り、球団名が消えフランチャイズの移動は、同じパリーグファン同じ経験を持つファンとして残念な事でした。 個人的には西鉄ライオンズも昭和38年(プロ野球黒い霧事件)以降の辛い低迷時期と身売りを経験し、「出来の悪い子ほど・・・」ではないでしょうが、現在は孫を見るような心境で応援、一層のライオンズファンになっております。

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