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イエス・キリストの本当の生涯・伝記の本ありませんか

神だの 宗教だの 神話だの 罪だの 復活だの 十字架だの 一切誇張のない 普通の伝記はありませんか? どこで誰の子として生まれて 何をして、何を学んで、どこで働いて どこで 何歳で亡くなったか その当時の社会情勢などは書かれていてもいいです お釈迦様はまだ解りやすいですが イエスさんは しんどい

noname#207915
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noname#210968
noname#210968
回答No.2

 はじめまして。  一読して面白いご質問だとおもいました。  答えからいうと、宗教家の「普通の伝記」というのはありません。  あなたがお考えになっているのは、記録としてのドキュメンタリー でしょうが、そうした記録は、比較的近い時代の宗教家でもないとい うほかありません(むしろ近い時代ほどボロがでやすいので無理)。  第一、宗教家以外の政治家や文人の「伝記」でさえ、後世の人々の 願望や主観が相当はいっています。  たとえば、ドイツの童話で有名な「グリム童話」の著作者といえば グリム兄弟です。学者でもあった兄弟は、ドイツ各地の民話を集めて それを本にした、というのは、現在の研究では完全に否定されていま す(童話そのものは編集していますが)。最初から彼らは本の販売に よって研究生活を維持する目的があったといいます(くわしいことは  「グリム童話―メルヘンの深層 (講談社現代新書) 」で、ネットシ ョップのアマゾン検索をするか、以下のリンクで飛んでください)。  http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%A0%E7%AB%A5%E8%A9%B1%E2%80%95%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%B7%B1%E5%B1%A4-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%88%B4%E6%9C%A8-%E6%99%B6/dp/4061490346/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1432438161&sr=8-1&keywords=%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%A0%E7%AB%A5%E8%A9%B1%E2%80%95%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%B7%B1%E5%B1%A4+%28%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8%29  くりかえしますが、どんな歴史上の人物の伝記にも、こうあってほしい という後世の人間の主観や思い入れが、はいっています。  まして、イエス様、お釈迦様と、何千年も昔の宗教家、というか、釈迦、 イエス・キリストのばあいは聖者聖人ですから、神秘的な信仰のベールと オーラにつつまれて実像はわかりません。(たしかに、しんどいといえば、 しんどいです。理由と私見は、あとでのべます)。  イエス。より正確にはヨシュア。西暦紀元少し前に中東のナザレという 街に指し物職人(家具などを作る職人)の子として生まれる。父はヨゼフ、 母はマリアで、中東が古代ローマ帝国に編入された直後に家業を捨て、ユ ダヤ教の教師(ラビ)となる。しかし、その教えはユダヤ教の戒律にとら われない個人対神の信頼関係を根本としたため、伝統的なユダヤ教徒と、 ローマへの絶対的な忠誠を要求する帝国の代官から弾劾され、十字架刑 に処せられる。その後、使徒と名のる弟子たちが、ローマのバチカンその 他の墓所(カタコンベ)で細々とイエスの言葉を言い伝え、次第に救い主 としてあがめられるようになった。生没年は不明(西暦がイエスの生年を 元にしているという確証はありません)。没したのがイスラエルの首都エ ルサレムというのは、刑死説からほぼ確実(ほぼ、というのは、ごくごく 私的には、イエスは処刑されていなくて、聖書にでてくる罪人はバラバと いう盗賊の首領だと推測します。一度死んで生き返ったという聖人は、 どの宗教の伝説を比較しても、イエスしかいないのがその理由です。調べ るのは、ホントしんどかった)。  大体、こんなところでしょうか。  じつは、人間としてのイエス像を追究した作家が日本にいました。   「イエスの生涯」という著作を書いた遠藤周作(故人)なのですが、か なり前の本で、しかも相当の批判もあびた著作ですから、あまりおすす めできません。  しかし、上にのべたキリストのミニ伝記は、この「イエスの生涯」を 下敷きにしたものです。  「キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』 」  講談社の本が続きますが、出版社とは関係のないので念のため。  ニーチェという、百年も前の哲学者は、とにかく神格化された「キリ スト」が嫌いでこんな本を書きました。一応リンクを貼っておきます。 http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E3%81%AF%E9%82%AA%E6%95%99%E3%81%A7%E3%81%99%EF%BC%81-%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3%E3%80%8E%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%80%8F-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE-%CE%B1%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7/dp/4062723123/ref=sr_1_31?s=books&ie=UTF8&qid=1432440671&sr=1-31&keywords=%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7

noname#207915
質問者

お礼

質問に正面から受け止めて頂き 感謝します! 履歴書があれば一番いいんですけどねー 本籍、学歴、職歴、家族構成、趣味・・・ 証明書写真は必要不可欠 (大昔なのであるわけない) 宗教を否定していません 神話も物語も大好きです 日本書紀もイーリアス、オデュッセイア(現代語の読みやすい物) も 若い頃よく読みました 西洋史大好きでバチカンにも旅行で行きました しかし 単刀直入に理解しておきたくなる場合も ありますよね 色々な人が 色々な話題で 色々ところから抜粋して 話したり、書き込みされている現代ですから 本筋というか真実と言うか事実と言うか 嘘や誇張で心外したくない場面が多いので まぁー知らないより 知っておく方が良いかと 思い質問してみました ツァラトゥストラ・・・ は読みました 西尾幹二さんの本も読んでいます 読めば解る 思ってるだけじゃー意味無い ありがとね^^

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noname#207750
noname#207750
回答No.1

イエス本人に聞けば良いだけです・・ 祈りが達したら あなたも イエスと対話出来ますよ・・

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