動詞の連用形が名詞化する理由や条件について

このQ&Aのポイント
  • 動詞の連用形が名詞化する理由や条件について調査しています。古語辞典を参考にすると、例えば「おち-あし(落ち足)」や「よみ-びと(詠み人)」など、動詞の連用形が名詞として使われる例が多数あります。このような名詞化は、古代日本語や古文の文法的な特徴の一つとされています。具体的な理由や条件、そして動詞の連用形が名詞に接続する場合との違いについても知りたいです。
  • 「し」は古文の連体形にあたるようですが、一方で「こしかた-ゆくすゑ(来し方行く末)」のような名詞の成り立ちも解説されています。古文辞書によると、この表現はカ変動詞「来(く)」の未然形+過去の助動詞「き」の連体形+名詞「かた」+名詞「ゆくすゑ」となっています。しかし、「動詞の連用形」が名詞化、もしくは名詞の一部となる場合と、動詞の連体形が名詞に接続する場合との違いについては、詳しく知りたいと思っています。なぜなら、動詞の連用形は一般的にも名詞にも接続するため、その違いや背景が気になるからです。
  • 質問者は、動詞の連用形が名詞化する理由や条件について知りたいと述べています。また、「古語辞典で検索すると、例えば「おち-あし(落ち足)」や「よみ-びと(詠み人)」など、多くの例が存在するようです。そのため、それらの具体的な理由や条件、さらには動詞の連用形が名詞に接続する場合との違いについても調査しています。また、動詞の連用形が通常的に名詞にも接続するものなのかについても気になっています。
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食べ方、落ち葉、など動詞の連用形の名詞化について

1)食べ方、死に方、落ち葉、焼き芋、読み書き、などの、 元・動詞の部分についての質問です。 動詞の連用形が名詞化している、あるいは、動詞が名詞化するときには連用形の形をとる、 との解説をネットなどで読みました。 2)一方、 こしかた-ゆくすゑ 【来し方行く末】の成り立ちは、古文辞書では、 カ変動詞「来(く)」の未然形+過去の助動詞「き」の連体形+名詞「かた」+名詞「ゆくすゑ」 とあり、「し」は連体形のようです。 となると、1)のような、名詞の成り立ちは、古い時代にはなかったのだろうか? と思い、ネットの古語辞典で検索してみると 例えば、おち-あし 【落ち足】、よみ-びと 【詠み人】など、たくさんあるようです。 1)のような、「動詞の連用形」が名詞化、もしくは、名詞の一部となることの、 理由(根拠)、条件、歴史、動詞の連体形が名詞に接続する場合との違い、などを知りたいです。 また、そもそも、動詞の連用形は、通常的に名詞にも接続したものなのでしょうか? よろしくお願いします。

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  • kine-ore
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回答No.2

動詞において、その見た目だけの語形変化から見ると、もっとも多様な「死ぬ」「去ぬ」で6種の違った形をとることから、六つの活用形を上げていますが、それは果たす機能の全てを含んだものではありません。 連用形と呼ばれる語形にも、その名が示す用言に連なる機能のほかに、中止形(言い止(さ)す)、完了形(「たり」「た」に連なる)、過去形(「き・けり」「た」に連なる)、丁寧形(「ます」に連なる)などがあります。 そして、この中止形にもまた、次のような様々なパターンがあり、その場合には後位の用言に連なる機能はまさに「中止」して保留・羅列・同列化した、いわゆる「並列・同位」型となって、連なるべき関係構成力が無実化し、したがって素材化を強めたことで、体言化してしまっているとみなせるでしょう。 そこでは、語形は連用形という命名枠に入れられていても、実は様々な素材化機能を果たしていると言えます。 1)動作の推移・連続:結んで、開いて、手を打って…。 2)畳語:泣き泣き。怒り怒り。 3)並列:走り、進む。 4)対比:泣き笑う。 5)後位重点:うっちゃる(打ち遣る)。とっぱずす(取り外す) 6)前位重点:走ってく(走り行く)。わらってる(笑い(て)いる) これは連用形に限らず、語形が異なるものでも、構文の中で素材化されるならば名詞化されることがわかります。 負けるが勝ち。 勝てば官軍。 飲むなら乗るな、乗るなら飲むな。 泣かず飛ばず。 ですから、用言といえども、その構文において素材化表現に組み込んで体言化させることができるということではないでしょうか。 ちなみに、挙げられた幾つかの例に触れておきます。 食べ方:食べるの言い止し形+接尾語(し方) 死に方:死ぬの言い止し形+名詞(方法) 読み書き:並列形 生き死に:対比形 来(こ)し方・越し方:「来(き)にし方」⇒「来(き)んじ方」の略形「来(き)し方」の未然形読み。

greenteachoco
質問者

お礼

kine-ore 様 >用言に連なる機能はまさに「中止」して保留・羅列・同列化した、いわゆる「並列・同位」>型となって、連なるべき関係構成力が無実化し、したがって素材化を強めたことで、体言化>してしまっているとみなせる >(中止形として)様々な素材化機能を果たしている >(いろいろな語が)素材化されるならば名詞化される >用言といえども、その構文において素材化表現に組み込んで体言化させることができる 私にとっては極めて、斬新かつ興味深いご教示です。 まだ十分には理解できておりませんが、ご教示の内容には言葉のダイナミズムと説得力を感じます。 今後さらに勉強してみます。 たいへんありがとうございした。

その他の回答 (2)

  • kine-ore
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回答No.3

#2です。 >今後さらに勉強してみます。  : このような課題については、まずは「語構成論」の分野に当たることになります。 その分野の基礎を築いたとされる坂倉篤義の論旨には時枝学説がベースとなっています。 坂倉篤義「改稿日本文法の話」(教育出版) 一方で、教科文法は橋本学説がベースとなっていますから、学校で学んだ知識のままではいわゆる文節論の色が濃すぎて、今回のような語の構成や語の形態については不分明に至りやすい問題があります。 「岩波国語辞典」の付録には「語構成概説」欄が設けられており、品詞ごとに「転成」「派生」「複合」などに区分けした解説があって便利です。 今回のように、用言であっても中止法のように関係構成の力を一時的に放置され切り離された姿では独立素材を示す形にともなっている、といった視点については渡辺実「国語文法論」(笠間書院)を参照しています。 ともあれ、国文法の全体的な流れを学ぶには、例えば小池清治「現代日本語文法入門」(ちくま学芸文庫)などが便利です。

greenteachoco
質問者

お礼

kine-ore様 国文法、奥深いのですね。 自分が学校で習った知識(しかもうろ覚え・・)だけで考えてはいけませんね。 重ねてのご教授、ありがとうございました。

回答No.1

動詞が名詞化する状況の意味を誤解している。まず、「食べ方」は動詞ではないので、質問タイトル自体間違いですね。 具体的に、動詞の名詞化とは、例えば、「動き」とか、「泳ぎ」であって、これは「動きが良い」とか、「泳ぎが上手」などと遣えて、つまり、「動き」、「泳ぎ」が主語(名詞=体言)に成り得るということ。主語になっていることを指して、それを活用語の「名詞化」と言っているということ。 そして、+助動詞の用言についての連用形の名詞化は全くの別問題。複合語と単体での活用語は違う。

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