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人生を壊す心で出す言葉
僕は心の中で、不本意であったり良くないと解っていながら、言葉を沢山出てしまうことを止めがたく思っています。 心の中の独り言と言うよりは、誰かを意識して伝える欲求が含まれていると思います。(回りに誰もいなくても) 信じない人も多いと思いますが、僕は憑依霊がいて、止めるべきと思っても、憑依霊に伝える欲求を含めて心でことばを出しているところがあり、自制が効き難く、危険なことです。信頼できる方に「その方たちは亡くなった人なので聞かないように」と言っていただきました。関わりを持ってはならないのです。 言いたくない、人の悪口や非難、くだらないたわごと、汚ならしい下品な言葉、ふざける、等溢れてきて、止めることが難しい事が多いです。 瞑想がいいと思い続けてみましたが、普段に戻るとまた言葉が溢れます。油断、習慣だったり、気が付かなかったり、止められず侮ることを止められないでいます。 衝動的にだしてしまいます。 出てしまう雑念や言葉は誰でもありますが、自分の場合それが人よりはるかに多く、自発的にも止め難いのです。 最近それがより悪化したように思います。 気にしないようにとも言われましたが、様々な文献でも心の言葉は人生の大きなマイナスともありますし、そんな本を知る前から 気にしなくても、言葉が出るにしたがって、自分でも、心の言葉が止まらない欲求の加速、傲慢、いいかげん、ふざける(独りで笑う)、不満、悲観、恐怖の感情が大きくなるのがわかります。 心の言葉が多い時には会う人の反応が悪いと見られるときもあります。必ず悪影響になっています。 言葉を多くしすぎて霊的なつながりが深まり、命の危険に何度か会いました。 人として異常になってゆきますし、霊的な崩壊の危機が迫っています。 「気にしないように」ということも必要ですがぼくの場合はともかく言葉を止めることが今緊急に必要です。 「長く付き合いながら治していく」ということではなく、どんなときも(瞑想中以外も)悪化している中、言葉を止める強く継続する意志が必要に思います。 静寂な心が望みです。 そうした意志の鍛練の仕方と止める心のあり方を教えてくだるようお願い致します。 今までの自分の重い困難であり自分の甘さもあり重大な課題でしたが越えられませんでした。緊急な危機感があります。 善いセラピーやカウンセラーなどあったら紹介お願いいたします。 また「心で出す言葉を止める」ために善い書籍があったら紹介お願いいたします。 「思考を止める」、「思考や感情を変えて幸せになる」 、「ヴィパッサーナの瞑想」、哲学、メンタルケア関係の本はよみましたが「心で出す言葉を止める」という僕のケースでの問題にはすぐ役に立つ物ではないとおもえましたのでご遠慮します。 注文が多くて申し訳ありません。 大袈裟でなく人生の一大事ですのでよろしくお願いいたします。
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回答ありがとうございました。 自画像は写真があるならつけるものだという感覚でした。失礼しました。 「内にむかう闇」と言うのは本当です。 信じ難いことですが、僕には憑依霊の他に、昔から僕に注目し続けている(病と思います)隣の主婦の方が居られます。 お話しされるように、僕には会話や仲間や異性との出会いがなく、その隣の主婦の方へ、こちらの、そうした不幸に執着されることの不満から対抗して苦しめてしまい、 相手の方の病を促進させてしまいました。 今は憑依霊とも隣の主婦の方とも意識が繋がり、意識が伝わり合うようになってしまいました。 また、お話しのように昔は不満から、反論を考えて言葉にして反復しなければ気がすまず、 一定行うと満足し、(興奮状態)しばらくするとまた違う不満、不安を思い起こし、心の中で言葉にして確認して満足するということを繰り返すということが日常的な習慣でした。 今はそうした習慣はほとんどありません。 昔はそうした習慣や、隣の主婦の方のこちらへの執着に対抗したり、その様な生活から憑依霊に繋がりが深まってしまったのかもしれません。 最初はそうした習慣も含めて、自分の考えの確認もあって、心の独り言をよく出していました。 その当時はボランティアで出会う人達の反応はとても悪いものでした。 自分の闇が現れていたものと思います。 しかし、お話しされるように仲間や人、異性の繋がりが無く、それを求めての欲求からの行為での心の中での独り言、アフレコ(この解釈でいいのでしょうか)でもあったかもとおもいます。 霊に憑かれてからは、愚かなことですが、心の中で出す言葉は霊に投げかける所が含まれており、止める意志が甘かったところがあり、憑依霊の物理的攻撃に不満をぶつけたり、一時期心の中の言葉を投げかけ楽しんでしまったり(今でも時おりあります。霊の反応もあります。)、以前より投げかけるのは減ったものの、現在の心の中で出す言葉の習慣化を促進させたものと思います。 霊相手の不満や、言葉の欲を含めて、現実での不満や不安、人との繋がりへの欲求、からの心の中での言葉で満足して、興奮するということを繰り返す習慣を生活で行っていました。 そんな生活でつくられた心の闇も関係あるのかもしれませんが、僕の不幸に執着していた隣の主婦の方へ不満から対抗を多く行って、より現状を悪化させてしまいました。 「独り言を止めたいのか」のか「誰かに話しかけているのをやめたいのか」、「相手が居ない気がする」と言われましたが、 僕に心の中で出す言葉を止めたい理由はその両方です。相手にも自分にも放っています。 「頷いてくれる方、聴いてくれる相手」が必要では。とお話し下さいましたが、そうした相手、とくに異性の繋がりは、先ほどの隣の主婦の方を苦しめ、(僕のそうした幸福がつらいのです。)僕もその方の苦しみにより、苦しみ、その方を苦しめないように(他にも)制約を受けざる負えないのです。 僕の心の闇と行いの報いです。 今はその方と憑依霊と意識の繋がりが深まってしまいました。自分の心の闇や言葉が伝わり、相手の方の感情も伝わってきます。 以前からのそうした習慣から、霊に投げかける、「アフレコ」、不安、不満、確認(思考の)のために心の中で言葉を出してしまう事を止めることが難しく、不本意なのですが、止め難く「伝える欲求」を含めて心の中で言葉を出してしまいその方を苦しめてしまい、より現状が悪化していきました。 心の言葉は大袈裟でなく、多かったり、闇の心からのもの(欲、不満)であると、そのひと自身を悪くします。異常なことも起こります。 止めるために「注意して止める意志」と「出てしまったらあるがままに受け流す」と瞑想(思考を止める)と昨日より今日「自己ベスト」を営んでいこうと思います。 でも長年の習慣から大変多く心の言葉を出してしまい(特に不満にあるとき)、問題なのは憑依霊とその隣の主婦の方へ向かって投げかけてしまうことです。 それを止めるための鍛練の仕方や工夫、決定的な心得を求めています。 また、その治療やセラピー等受けられる機関等があったら教えていただけると有り難く思います。 長い、複雑な乱文で申し訳ありません。 許されるならご教示願います。