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日本の英語教育の誤り

"apparently"=”cllearly”と教えている日本人教師が多すぎます。"apparently"は別の意味で使われることが多いのに。教えれれましたか?

  • 英語
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  • ベストアンサー
  • sknuuu
  • ベストアンサー率43% (408/934)
回答No.5

「=」ではないけれど、日本人にとっては意味が通じてしまう そしてそれを理解できる私がいます ほかの人も、実際に会話で使われた場合、間違いを知りながら「ああ、こういう意味を伝えようとしてるのね」と理解することが多いはずです 実際にはどういう問題があっての質問なんでしょうね そもそもそういう間違った英語を使うことが問題なのでしょうか こういう間違いから学ぶということも必要かとは思いますが 生徒にもその間違いに気が付く人は必ずいます 間違いを教える先生は問題ですが、どの先生も100%ネイテイヴの使う英語を教えているでしょうかね ネイテイヴでも間違った英語教える人いますよ 私はネイティヴであっても指摘してあげます 私はもともと、先生というのはすべて完璧な知識を持っているとは思っていません 先生の役目は、生徒が"自分"で学習するのを"助ける"職業だと思ってまいすので、こういう間違いはあまり重要ではないと思っています 辞書に書いてある日本語から同じだと思ってしまうのも理解できますのでしょうがないと思いますし、私もその意味をもとにえかしな英文を作っていた経験がありますから ところでこういう間違いをそのまま覚える生徒がいるとすれば、そちらのほうが問題だと思います そしてそれは100%先生の責任にできないとも思います こういう間違いに疑問すら持たない生徒がいること自体問題と思うべきです つまり英語など特定の科目に限ったことではなく、教育とはどうあるべきかという根本的な話です 伝えられたことをそのまま鵜呑みにして、間違っていた場合はすべて教えた人のせいにするという姿勢です その根本は教育体制が悪いのでしょうかね それとも、日本人という人種の悪癖なんでしょうかね 特に「英語」に関しては、完璧主義でちょっとでも間違ったら「へへーん、間違ってやがんの、はっずかしー」という態度が多いですよね 自分もわかってないくせに もう少し寛容な姿勢がほしいですね

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質問者

お礼

長文の丁寧なご回答ありがとうございます。感謝いたします。

その他の回答 (9)

回答No.10

わたしは、日本の英語教育の誤りは次のように思います。 (1) ともかくネイティヴのように英語が話せるようになりたいと思っている。  (2) 文法や単語を詰め込み、また、その細かな違いばかりを追求する。 (3) 受験英語から派生したものだけにたより、結果、なにも身につかない。 ひとことでいうと、目的が受験英語以外はないのです。 英語をならってなにをするのかと聞いても答えられない人が多いと思います。 ほとんどの日本人は、一生英語に無縁でなんら問題もおきません。 英語など、受験と教養のためだけで、現実は、まったく必要にない。 外国企業と取引の仕事をしている人、ホテルなどで外国人とやりとりをしないといけない人、英語圏の大学等に留学、もしくは外国の企業に就職して、公用語として英語をまなぶしかすべのない人、そのほか、外国人と結婚していて、日常的に英語で意志疎通をするしか方法の無い人。 ようするに「外国人と関係のある人」以外は、英語は不要なので、受験英語と、教養としての英語でしかないわけです。 日本で白人をみつけただけで珍獣です。 じろじろ眺めたり、なかには、「あっ外人」と声に出していう人もいます。 それだけ珍しいのです。 その珍しい人の言葉を習うのが「憧れ」であるわけです。 ただ、白人だと思って話しかけても、英語圏の人でないことのほうが多いです。それに、白人以外の人は、ろこつに差別意識でみるものです。 昨晩も紅白歌合戦をみていましたが、見た目を限りなく白人に近くしている歌手が多いです。 英語のタイトルをつけたり、英語の詞を入れても、ほとんど無意味で、そもそも、日本語もおかしい。 日本語の歌詞を、英語圏の人の日本語発音の癖にまねてうたってみたりしているわけで、「あれが日本人の憧れ」なんです。 なぜなら、彼らは裏で活躍する人を含めて専門家なので、日本で売るには何が必要かわかっていて、それが芸能人を「創る」わけです。 英語教育にしても、それに五十歩百歩だと思います。

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質問者

お礼

御指摘、賛成です。ありがとうございました。

noname#208392
noname#208392
回答No.9

それは英語教育の問題というより、私はたんなる「ありがちな間違い」の一つだと思います。 ありがちな間違いというのは、例えば、よくないこと、合格レベルに達していないものを指して NG とか言っちゃう類の間違いです。これ英語ではそういわないんだよね。 - いや、わたしそれで恥かいたことあるんですよ。いろんな国の人がいて英語で話していたんですが、つい私NGとか言っちゃってね、みんながきょとんとして「なんだそれは?」一人だけ韓国の会社と付き合いがある人が知っていました。たぶん韓国人もNGっていうんだね。 apparent と clear は類義語ですから、その連想でどうしてもapparently と clearly も類義語と思っちゃうわけです。 でも辞書を引けば明らかですが、apparently は「見えるところでは」という意味なんですよね。副詞になると類義語にならないわけです。たぶん、clear は 物の性質のことで何も遮るものがないというような意味の言葉が語源で、apparent は目でそのまま見えるというような意味の言葉が語源になっているんじゃないかなと想像します。そこに見えている事・物というのは確かに明らかなものですからapparent と clear は類義語になったわけです。しかし、副詞は別の点に注目して使う言葉になったんでしょう。日本語でも、火を見るより明らか、というじゃないですか。本当に明らかであることは目で見えることに勝るんです。・・・・・・・但し、正しくは「日を見るより明らか」(朝にお日様が上るってくるより確かなこと、という意味)。 まぁ、英語の先生は知っていてほしいとおもうんですが。 本当にそんな先生がいたんですか? そんなことに義憤を感じるより、こういう豆知識は知っているとちょっと楽しいですよ。こういう場所で人に教えちゃだめです(笑)。クイズみたいなもんですから。 テーマとはずれますが、例えばこんなクイズがあります。 最初の一文字が小文字であるか大文字であるかで意味も発音も変わる単語がある - これは何か? 答え:polish / Polish

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質問者

お礼

御意見ありがとうございます。よく考えさせていただきます。

  • wy1
  • ベストアンサー率23% (331/1391)
回答No.8

要するに英語は私にとって単なる外国語(非日常語)ですから、100%所謂ネイティーヴのようには使えなくて 当たり前ですね。別に日本における英語教育の欠陥によるものではありませんよ。

  • nolaneco
  • ベストアンサー率62% (322/512)
回答No.7

一つ注目すべきは、同義語学習はボキャブラリーを 増やすのには効果的という点。この効能は否定できないと思います。 完全に同じ単語や熟語なんてないわけです。完全に同じなら 一つ存在すればいいんですから。『母さん』『お袋』なんてのも 意味は同じでも用法やニュアンスが変わってくる。 ただ外国語学び初めでは、そういう違いには目をつむって、 『お母さん』=『母さん』=『お袋』=『母上』=『おっかあ』 なんて教えても良いんじゃないかと思っています。 いちいちニュアンスの違い説明したら、情報量パンクして混乱させますから。 日本人が小学生の時に、似てる単語を探しましょうなんて のを国語でやったようなきがします。英語についても = の 教え方は、単純に語彙力アップの手法と割り切ってもいいかも知れません。 =じゃない部分は将来英語を使うようになったら、自分で 気づいて直していけばいいのではないかと。 must と have to の違いなんかも日本語なら しなきゃ と しなければ の違いみたいなもんだと思ってますが、 (昔巨泉のテレビでそんな感じのこと言ってたような) 学校で先生や生徒に微妙なニュアンスの違い要求するのは酷かなと。 自分も高校時代は、所謂受験英語に反発して細かいこと にケチつけてた気がしますが、今考えるとニュアンスを含めた 教え方は難しいと思います。日本語と英語が完璧なバイリンガルなら 可能でしょうが、そういう人は英語分からない人の気持ちが分からず、 教師としてはダメだったり。 英語教育は、なにを教えるかより、なにを省くか。 その選択が難しいですね。

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質問者

お礼

ありがとうございます。そもそも英語を学ぶ動機が多様ですからね。

回答No.6

この2語に限らず、違う語句を = で結びつける学習法には感心しないという立場を取っています。 例えば日本語で「冬」という単語でも、北海道、東京、沖縄の人とでは、思い浮かべる情景が違うと思います。同じ地方に住む人でも、年齢や性別、生活経験の差によって違うということは、簡単に想像できると思います。 このように考えると apparently も人によって捉え方が違うでしょうし、ましてや clearly と = で結びつけてしまうのは、あまりに乱暴な覚え方だと思います。 ただ、学生時代に単語を一つでも多く頭に詰め込むのも、通らなければならない道だと思います。その時でも、上に書いたようなことを弁えた上で、狭い余白に書き込む時に = を使ことはあり得ると思います。 私が気になっている語句では、 will = be going to must = have to という暗記方法です。英語の上級者でも、この違いを理解できていない人が多いようです。残念ながら、分かっていない英語の先生が多いことが原因だと言わざるを得ません。

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質問者

お礼

おっしゃるとおりですね。基本的な誤りをおかす教員もいますね。ありがとうございます。

回答No.4

>"apparently"=”cllearly”と教えている日本人教師が多すぎます。 そりゃあ問題だな。Lは一つでいいんだからね。 しかし、多すぎるってほど多くは無いんじゃないかね。

  • nolaneco
  • ベストアンサー率62% (322/512)
回答No.3

こんにちは。 質問者さんは、帰国子女か外国人の方ですか? apparently は、『明らかに』と『のようだ』の意味がありますが、 自分の高校時代は15年以上前ですが、両方習いましたよ。 ただ、apparently = clearly と習ったかは記憶にありません。 学校英語は初学者のために簡略化して教えることもあるので、 単語の意味を全ては網羅できません。その結果、質問者さんのように 不満を持つ人も出てきます。ただこの例は、それほど罪のある部類 ではないと思います。完全に間違っているわけではないので。

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質問者

お礼

『あきらかに』と『みたところ』とはキチンと訳し分けるひつようがあります。

  • nacci2014
  • ベストアンサー率35% (200/569)
回答No.2

通じればいいんだよ。 相手が日本語話さないからこちらが英語使っているのだから

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質問者

お礼

通じればそれでいいのですか?

  • Macpapa10
  • ベストアンサー率9% (127/1288)
回答No.1

>教えれれましたか? 日本語教育にも問題があると感じますが・・・

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質問者

お礼

そうですね。

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