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人に嫌われない人生

私は、他人に嫌われるタイプの人は自分自身が好きな人が多く、逆に他人に好かれる人は自分が嫌いな(自己嫌悪)人が多いと思うのですが、人に嫌われない人っていますか? 自身も愛し、他人からも愛されるような人。いますか?

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  • hiak123
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回答No.9

自分を愛さない人はいません。愛さない人は愛さないと思惟するからです。 それでも自己を愛しています。 誰からも愛される人は存在しません。たれも彼も思考の自由を持っているからです。 よい人も悪い人も各々に良いと感じる人がいるし、部分的に良いも悪いもあるからです。 これは初級レベルのお話です。

その他の回答 (8)

回答No.8

 こんにちは。  ★ 他人に嫌われる  ☆ というよりも 問題は 《ひとが他人を嫌う》というその意志行為にあります。  嫌いか好きかの感覚は およそ自然に現われます。  けれども その感じを おのれの態度として姿勢としてその相手に対して持ち・持ち続けることは 感性の問題ではなく 理性と意志の問題です。  《感覚だけではなく意志としても 嫌いたければ 嫌えばよい》。  こう思い ときにはこう言ってやればよいのです。  また 自己嫌悪と言いますが 自分がかわいくない人は いません。もてあましたりして 自分をも嫌っていたりするのでしょう。ご勝手にと言ってやれば これも よいはずです。

  • aaadfe
  • ベストアンサー率0% (0/3)
回答No.7

人に好かれる人はいる。人に嫌われる人もいる。すべての人から好かれる人はいない。すべての人から嫌われる人もいない。 自身を愛するとは、自分に甘いということなのか、自分を受け入れているということなのか。前者ならば、他者と利害が対立しやすく、嫌われる傾向にある。後者ならば、そうとも限らない。

  • frau
  • ベストアンサー率28% (56/199)
回答No.6

>他人に好かれる人は自分が嫌いな(自己嫌悪)人が多い 同感です。 人が互いに本音でしか話さないようになれば、嫌われる者同士の関係になるでしょう。そしてそういう関係の大規模なものが「戦争」でしょう。 自分が他者に嫌われないように繕っている部分を好きだという人間からは、確かに好かれ続けるでしょう。 しかし、仮面の下の素顔を知る人間からは、さらに嫌われる理由となります 他人からの好感も嫌悪も、当人がどういう自分を演出するかによって決まるし、演出が逆効果になる場合もあります。 本性や本音を指摘する人の、その動機や、その直観の正解さが己れの「自分に対する素直さ」からであるのなら、それを汲み取った側が、さらに自己嫌悪によってその己れの偽善に気づくか、改めるか、それともないものねだりの反動で、さらに仮面をかぶり続けるか、でしょう。 本当に好かれたい人から好かれたい場合、嫌われても構わない人に嫌われてもよいのなら、仮面を厚くする必要性はありませんし、「自己への本音」から離れていけば、さらに虚構の自分は、外部への虚構を集めます。つまり自分そのときの自分と同じような人間のサークルに居続けることに安堵します。 もちろん、人は社会と対峙する限り、仮面(ペルソナ)は必要です。 でもそれが肥大化すればするほど、本当の自分から乖離していくわけで、それは自分を愛していないという一つの証となる、と思ってます。 そして本当の自分から逃げている人は、他人と自分を比較して、自分を確立しようとします。 それはさらなる欺瞞を生み、自らの不幸を招くでしょう。その不幸というのは、投影によってでしか対象を見られなくなる状態です。それは本当の自分から乖離していくのですから、深層意識では居心地が悪いはずで、その違和感が自他を傷つける結果(現実的な現象)を生みます。 私は「自分を愛さなければ他人を愛せない」ということは真理だと思っております。 現実に、自他共に、私はそういう人間を何人か知っています。 嫌われることを恐れていたが、あるとき吹っ切れて、自然のままの自分をだしていたとたん、人が寄ってきたという人の声もあります。 他人の目を気にしているばかりの自分(かつて嫌いだった自分)を捨てることによってそれまで避け続けていた対象がおのずと接触してきた…とのこと。私はこれを読んだとき、人の心においての、とある反作用が外部に作用を生む(逆もまた然り)現象だとしたら、人智に関しての法則はやはりあるのではないかなと考えました。 >他人に嫌われるタイプの人は自分自身が好きな人が多く 単にこれが「自己中」ということに限らず、上述した理由から、他人に迎合してきたそれまでの自分を捨てた人間の変化を嫌いになった人からみたタイプも含まれる、とも考えられます。 変化以前の人間に迎合してきた人間は、「虚構の自分」同士で維持されてきた関係ですから、相手に自分にないものをみたとき、自分の一部を失ったような気にさせられるでしょう。そのときその人は相手に失望します。でもそれが決別となるのは悪いことではありません。そういう意味においては、人は孤独だと思います。 私は人が成長すれば、その段階に応じた自分と同じまたは、そのときの自分の欠如を気づかせてくれるような人を求めると思っています。そのとき付き合う対象も関係性も変わる・・・というか、変わるべきだと思ってきました。 言い換えれば、そこに愛情がない関係であれば、単なる愛着(病的であれば共依存)であり、執着の段階にとどまっているだけの関係性なのです。それは自分も相手も成長していない証しなのではないかと考えています。

回答No.5

>私は、他人に嫌われるタイプの人は自分自身が好きな人が多く、逆に他人に好かれる人は自分が嫌いな(自己嫌 >悪)人が多いと思うのですが、人に嫌われない人っていますか? 人が何を思っているなんて分らないです。 「自分が嫌いそうな人で、誰からも好かれている人」と、私からはそう思えても、その本人が本当に自分を嫌っているかは本人にしか分らない。口で「私(その相手)は自分が嫌い」といっても、それが本心かは本人にしか分らない。 心理学者なら分るかもしれませんが、私は素人なので分りません。 分からない事を気にしてもしょうがないので、考えないようにしています。 >自身も愛し、他人からも愛されるような人。いますか? それ、沢山いるんじゃないの?私はあなたと逆の考えで、自分を愛せない人は他人を愛せないと思っています。この根拠は犯罪心理学をちょっとかじった時期があって、そう感じました。 犯罪者って、自分を愛していない人が多いです。その時の突発的な快楽を優先して将来の自分の事をまったく考えません。サイコパスとかは特にそうで、自分をただの肉の乗り物くらいにしか思っていません。そう言う価値観なので他人も、ただの動く肉人間としか思っていません。だからあんな残忍な事を平気で出来るそうです。 本の知識だけでなく、私の経験でも自分の将来とか大事に思っている人は、人間関係の将来性というのも見えている人で、「今は嫌なやつだけど、将来は有力な人脈になるかも」と思うと、人当たりはよくなります。これも自分が好きだし、自分の将来が大事だから、他人に親切になれるのです。 と、思っていますが、実際は他人の心理は良く分りません。あなたの方が正しいかもしれません。素人なので。

回答No.4

こんにちは。 ☆私は、他人に嫌われるタイプの人は自分自身が好きな人が多く、逆に他人に好かれる人は自分が嫌いな(自己嫌悪)人が多いと思うのですが、 ◇まず一言、 自分より他人が好きな人なんていやしませんがな。 そして、正直に「自分が好きです」と口にすると、叩かれる。 なぜなら、誰もが自分が一番好きだから。そして、自分が誰よりも優先されるべき存在だと信じて疑っていないから。 「自分が好きです」、つまり、「わたしは、あなたよりもわたしを優先します」という発言を、 聞き手は許せないわけなんですよ。聞き手の誰もが「自分が一番かわいい」から。そして、自分の価値が他者によって否定されることが許せない。 だから、叩かれる。 ☆人に嫌われない人っていますか? ◇イエスは磔にされていますね~。 ゴータマさんは、従兄弟のデーヴァダッタに殺されそうになりますね~。 神の子や仏さまでさえ、他人(ひと)に嫌われます。 万人に好かれる人なんていませんよ。 いるとしたら、 その人は、まわりの人たちにとって、毒にも薬にもならない人だと思います。 マザーテレサにだって悪評や批判はあるんですよ。 実際、彼女は、カトリック(バチカン)の内部から、かなり厳しい批判にされされていた。 たとえば、こちら。 http://news.livedoor.com/article/detail/7496788/ ☆自身も愛し、他人からも愛されるような人。いますか? ◇他人の数によるでしょうね。 過去の人になってしまったけれど、 ホリエモンなんかがもっともいい例ではないですか。 敵や彼を毛嫌いする人はもっと多かったけれど。 そして、誰よりも、 ヒトラー!! 当時のドイツ国民の多くは熱狂的にヒトラーを愛していたんですよ。 特に、若い女性が…。 イエスの再来の如くに…。 ヒトじゃないけれど、 「自分が好きで好きでたまらない」わたしのことを、わたしのペットであるインコは愛してくれていた(に違いない。 多分そうだ。 絶対にそうだ!!)。 そして、「自分(インコです)が好きで好きでたまらない」このインコをとても愛していた。 自分を愛するということと他者を愛するということは、「誰もが自分をもっとも愛している」と思えば、もしくは知れば、両立できるんですよ。 まっ、そういうことで。

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.3

>人に嫌われない人っていますか? 厳密に言えば、いないと思います。 その人の人となりや内面ではなく、多くの人に愛されていると言うことだけで 今までその存在さえ知らない人を嫌う人が、世の中には居るからです。 >自身も愛し、他人からも愛されるような人。いますか? いますね。 書けないけど、何人か知っています。 有名な所では、ガンジーやキング牧師 ネルソン・マンデラなどの諸氏がそうじゃないかと思います。

回答No.2

#1の者です。 >では自己嫌悪に苛まれ、さらに人の役に立つ才能も >ない人間を回答者様はどう思いますか? 障碍者でない限り、人間の能力は五十歩百歩だ。 「人の役に立つ才能もない人間」などいない。 たまたま学校の点取り競争や社会の金儲け争いの 中で、0歩百歩に強調されているだけだ。 そして「社会に貢献する」という観点からは、人との 相対的な比較より、どんな小さな一歩でも確実な プラスであり、逆にどんなに能力があっても私利私 欲にはしっては、それより悪いマイナスでしかない。 『人に勝ちたい』『自尊心を満足させたい』という、 自己チューな欲望において、『自分にはできない』 という挫折感が生じるのだ。 人と競うのではなく、人の役に立とうとする時、「役に 立たない」「能力がない」などという判断は、他人への 甘え、あるいは自己の怠惰を押し通しているだけだ。 私自身は、劣等生で普通高校に進学させてもらえず、 工芸高校という勉強する事を期待されない学校で、 さらにクラスでビリから1ケタというドン底だったので、 そこまで落ちるのにどれだけ自分を甘やかすか、 そこからどれだけ上がるのにどれだけ努力すれば いいのか、身をもって理解した。 努力できない人に頑張れとは言わないが、他人の せいにせず、自分が短期的に楽をした結果だと自覚 すべきだ。

回答No.1

自分が好きだろうが嫌いだろうが、他人(社会)の 役に立つ人間は、ひとに好かれる。 自己愛の強い芸術家や研究者は多く知られている。 そうした人の役に立つ才能もなく、ただ私利私欲や 自己顕示欲しかない人間が「自分大好き」なら、 それは社会の役に立たないばかりか不快感を与える。

rakurakutokeru
質問者

補足

ご回答頂きありがとうございます。 では自己嫌悪に苛まれ、さらに人の役に立つ才能もない人間を回答者様はどう思いますか?

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