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第二次大戦末期、日本で戦争志願者が絶えなかった理由

多少の逃亡者はいても大多数は自分から志願して国のために戦ったそうです。 いわゆる回天や特攻隊などの兵器もいやいや参加した人はいなかったらしいのです。 これは国が戦争の悲惨さを隠してさらに小学校に軍人を招いてそういう輝かしい戦績を語らせて聞かせてといった徹底的な情報統制や軍国教育のせいですか。 当時Youtubeがあったら志願者は減ってたでしょうか。 それとも、日本が負けるはずがないという世間の常識が嘘だと気づいていてもそれでもこのままだと生まれ故郷が空襲されるから少しでも犠牲を出さないために頑張りたいと当時の人たちは考えたのですか。 現代人の想像力だとどうも考え方や価値観がわかりません。 当時は戦争に行ったまま親や兄弟が返ってこないのが普通で、男子に生まれた人は人生20年ぐらいのつもりで小学生時代ぐらいから覚悟を決めて一瞬一瞬を大切に生きてたのですか。 当時は小学生の年齢でも全員がイラクへ行く自衛官みたいな死生観だったんですか。 当時を生きた方でも今の方の想像でもどっちでもいいです。私よりは考えが上だと思います。推測を教えてください。

noname#198068
noname#198068
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みんなの回答

  • kuni-chan
  • ベストアンサー率22% (674/3052)
回答No.11

 戦争遂行に反対すると非国民とか国賊とか言われ厳しい差別にあいます。  活動家とか反対する者はいましたが、厳しい弾圧が加えられていました。  反対できない社会になっていたのですから本人の意思ではどうにもなりません。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.10

>現代人の想像力だとどうも考え方や価値観がわかりません 素晴らしい言葉だと思います。 当時の感性は、当事者でなければ、正しくは理解出来ない。 ですので、私も想像で書き込ませて頂きます。 当時の情勢として、奴隷制は「合法」でした。 日本が戦争に負けた場合に、奴隷にならない保証は存在しませんでした。 実際に沖縄の方々は、奴隷とは言いませんが、圧政を経験しています。 ペリリュー島での日米双方の開戦前の手記や記録等を読むと意識の違いが判ります。 日本は「死ぬのが前提」でつづられていますが、米は3日程度で終わる予定で、言い方は悪いですが、「バカンス気分」です。 現代人も戦前の方々も、家族を大事に思う気持ちには一ミリも違いは無い筈です。 馬鹿だから戦争を選んだの? 利口だから戦争を否定する? 本当の馬鹿は誰? という所ですかね・・・

noname#201242
noname#201242
回答No.9

#6です。 >それ以前の時期で青春の時代を過ごした世代はそこそこ平和で自由な時代を知っていて軍国ムードに違和感を持つ人間も少なくなかった、と。 はい。 でも、昭和の戦後~平成育ちの我々とはだいぶキホンが違うと思いますよ・・・。 明治維新、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、ノモンハン事件、日中戦争など、太平洋戦争以前にいろいろあったし、軍隊も兵隊さんも身近だったし。 2.26事件とかもありましたし。 学校教育は大きかったんだろうと思います。小学校は「国民学校」になりました。 戦争末期はですね、それまで召集されなかったような中年男性まで召集されたんだそうです。兵士になる人の数が足りなかったのでしょう。みんな死んでしまうから。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B4%E5%85%B5%E5%88%B6%E5%BA%A6#.E5.A4.A7.E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.B8.9D.E5.9B.BD.E6.86.B2.E6.B3.95.E4.B8.8B.E3.81.AE.E5.BE.B4.E5.85.B5.E5.88.B6 たとえば、35歳で「教育召集」という形で召集された大岡昇平さん(レイテ戦記を書いた人)が有名です。40歳ぐらいで召集された人もいたんだったかな? 「現役」というのが20歳の徴兵検査で合格してすぐ入隊する場合なので、それと比べると年齢がかなり上ですし、当時の35歳は今の35歳よりもっとオジサンです。 ずっと前にここで教えてもらったんですが、「兵隊たちの陸軍史」という本が徴兵制の仕組みについて分かりやすかったですよ。

  • ssssan
  • ベストアンサー率18% (132/730)
回答No.8

普通に考えれば当たり前ですー分かりませんか? 20で赤紙来て何所何処の海兵団.陸軍連隊に行けの命令よりどうせ軍隊に入るなら2.3年早くても陸海でも志願すれば有る程度融通利きますからー赤紙で徴兵よりは 希望すれば予科練とか.戦車隊訓練科等の道も有ったりで赤紙来てから出は中々そうは行かない。。 ちなみにうちの叔父さんは16歳位で呉だか佐世保海兵団に志願して入隊日直前に広島原爆落ちて一週間位死体処理作業して現地解散に成ったと聞いた事有るなー終戦に成るしで。

noname#198068
質問者

お礼

確かにそうですね。 肝心なところを何で忘れてたんだろう。 どのみち男子のほとんど全員が徴兵される前提の世の中ならば、志願しても運命は同じことで、志願兵のほうがいろいろやりたい軍隊内での役割の希望が通りそうだから得で、徴兵されるのを待つより積極的に志願する方にインセンティブがありますね。 男子全体からすればわずかな割合でしかない自衛隊イラク派遣とは全然違いました。 回答ありがとうございます。

  • koiprin
  • ベストアンサー率23% (72/306)
回答No.7

今も昔も自分の命は大事ですし、当然無駄に死にたくはありません。 しかし、当時の日本人は何のために戦争をしているのか、明確に理解をしていました。日本がそもそも戦争に突入したのは、追い詰められていたからです(ABCD包囲網)し、この戦争に勝てなければ、国もなくなり、家族も奴隷化してしまうという緊張状態の中にいました。 事実、当時はまだ植民地化が正当な行為とされていた時代ですし、植民地化された国がどうなっているかはリアルに知っている世代です。戦争末期は新聞では大本営発表の威勢の良いことが書かれてはいますが、当然戦争帰りの負傷兵などから事実は伝わりますし、戦死の情報は家族に届いています。新聞に単純にあおられるほど頭が回らないわけでもありません。嘘でも国威発揚をしなければならない時でもあったんだろうと思います。 なのでいやいやでも、結局自分が行かなけばもう後がないんだ、という思いと、自分が散っても家族や国が守れるのであれば、という心理状況だと思われます。 これはあくまでも公的な考えであり、そうはいってもやっぱり死ぬのは嫌だという私的な思いも当然あわせもっています。戦後はそういった私的な思いのものだけが流布して、やっぱり戦争は悪だ、という情報操作をGHQなど主導で行われましたが、占領が解かれた後も、なぜかそういう情報を流すアメリカ追従日本人が多くいた結果が今の日本です。 それに戦争当時の日本における教育は、戦後の反日思想を植え付けるものとは違い、日本はよい国であるという国民教育として正しい内容でした(今の中国、韓国ほど極端な内容ではなかったのですが、それすら批判されている有様ですが)ので、日本が嫌いだという人はほとんどいない状況でした。 また、今の自衛隊のように違憲だなんだと命を懸ける仕事でありながらけなされるという異様な状況ではなく、お国を守っていただいているという、今の海外の軍隊のように、国民から(うわべだけでも)尊敬される存在でしたので、胸を張って軍に加わる人が多かったようです。 あまり言われないことですが、当時は朝鮮はすでに日本の領土で、日本の植民地政策は本土と同様に丁寧に行われ、帝国大学が設立され、朝鮮人も日本人と同様に教育を受けられる環境を整えたりしました。こういった植民地政策は他に類を見ないだけでなく、今の朝鮮人は語りたがりませんが、志願して日本軍に入る朝鮮人も多くいましたし、士官となった朝鮮人もいます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B5 wikiによると朝鮮人の日本軍への志願兵は1941年~1943年頃50倍前後と超人気職となっています。こういった事実はほぼ朝鮮では教えていないでしょうし、ぜひ日本では教えてほしいですね。 また軍国主義化したとよく言われていますが、歴史を振り返れば、明治の政府は武士がトップの軍事政権であり、大正に入っても半分は軍人が総理を担っているんです。戦争は外交の一手段であり、それを独立国家を存続するうえで遂行したに過ぎないのですが、GHQ指導の日本人への洗脳、情報操作が今でも明確に影響を与えてしまっていることをしっかり理解したうえで、振り返ることが重要ではないかと思います。

noname#198068
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

noname#201242
noname#201242
回答No.6

他の方への補足を拝見しましたが、 >実戦経験者が戦時の人生観を今振り返ってみて今はこう考える、みたいな考察本はありませんかね。 結構あると思いますよ。回顧録みたいなのは。 兵隊さんだった人が語った本もあるし、復員してから作家になった人たちもいますし。 最近は戦後長いこと時間が経ったので、本音を語る人たちが増えていると思います。NHKスペシャルとかでやってます。 実は行きたくなかったとか、死ぬのは嫌だと言っていたとか。 戦地でひどい経験をしたので、今まで長いこと語りたくなかった人も多いみたいです。 先日テレビでたまたま見たんですが、お茶の裏千家の家元の千玄室さんと、俳優の西村晃さんが同じ部隊だか学校だかにいたんだそうです。西村さんは千さんに「俺は死にたくない」という話をしていたそうです。 大っぴらには言わなくても、内輪では言っている人もいたのでしょう。 大っぴらに言わないで内輪では本音を言う。これは今の日本人も変わらないんじゃないですか。 若い人が「空気を読めよ!」とか軽く言うけれど、空気で戦争に突入したという説もあります。 山本七平の「空気の研究」という本が有名ですが、個人的には猪瀬直樹さんの「空気と戦争」のほうが読みやすかったです。 年齢によっても違いがあったようです。 戦前を知る大人は本心では息子が出征するのを喜んでいなかった人も多かったみたい。 インテリは日本よりアメリカが強いのを知っていたので、日本が勝つと信じていなかった人もいます。 とはいえ、世界的に今よりもっと戦争が多い時代でしたし、日本にも徴兵制もあったし、戦争となったら戦わなきゃしょうがないですから、「そういうものだ」「仕方ない」と思っていたのではないかと思います。 また、何か言えば特高警察にしょっぴかれますしね。 でも、欧米列強に政治的に攻められていた時だったので、真珠湾攻撃は「よくやった!」と気分がスッとした大人も少なくなかったらしいです。 物心ついて戦争時代しか知らない世代だと、軍国少年・軍国少女だった人も多かったようです。本気でお国のために戦いたいと思っていた。全員ではなくて、死ぬのは怖いと思っていた子も中にはいたようですが(例:河合隼雄氏)。 なので、志願していたのは若者が多かったのではないでしょうか。 でもまあ、学徒出陣とかは、行けと言われて行ったんですけれども。 多くの大人は「召集令状が来たから」行ったのですが、国や家族を守るために頑張りたいとは思っていただろうと思います。 ちょっと関心を持って見ていればNHKの番組でも戦争に関する番組がありますし、本屋でも(ネットでも)、探せば第二次大戦に関する本もたくさん出ています。 http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0814/ http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2013/1207.html http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%86%E6%88%A6%E8%A8%98-%E4%B8%8A%E5%B7%BB-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A4%A7%E5%B2%A1-%E6%98%87%E5%B9%B3/dp/4122001323 この「レイテ戦記」は長~いんですが、<この商品を買った人はこんな商品も買っています>にある関連図書を見るともっと読みやすい本があると思います。

noname#198068
質問者

お礼

戦中は全員が軍国少年というわけでもなくてそれ以前の時期で青春の時代を過ごした世代はそこそこ平和で自由な時代を知っていて軍国ムードに違和感を持つ人間も少なくなかった、と。 軍国少年の存在は、当時は特高警察の目が厳しくて親がそういうことを教えてやれなかった結果なのか、それとも学校教育や友達の結束のほうが親の教えより強かったのか不明ですが、参考になりました。 回答ありがとうございました。

  • teppou
  • ベストアンサー率46% (356/766)
回答No.5

 第一には、他の方も書いていますが、志願は形式で事実上強制であったようです。  例えば、特攻の初めのころの志願者を募るやり方は、皆を横一列に並ばされて、「志願者は一歩前に出ろ」と言われ、ほとんどの人は前に出るのですが、中には出ない人もいたそうです。  そういう人は別室に呼ばれ、「貴様は命が惜しいのか」とか「故郷の家族は肩身の狭い思いをするのではないか」などと言われ、結局志願をするということになったようです。  こういう話が他の部隊などに伝わると、「要するに強制か」ということになり、みな黙って志願したようです。  こういう話の背景には、当時の社会が今では考えられないくらいに制約が多く、地方では事実上の身分制度があり、特攻に志願しなかったというような話が故郷に伝わると、故郷の家族は生活しにくくなるかもしれないという恐れがあったりしたためもあります。  このような状況は、言葉で説明してもおそらく分かってもらえないと思います。(私がよく分かっているというわけでもありませんが)  特攻とは関係ありませんが、子供のこれに見た映画の中で、主人公が故郷を捨てて新天地に向かうシーンがあったのですが、そのシーンは、主人公(男性)が何も持たずに先頭を歩き、その後ろから母親と奥さんが大きな荷物を背負って従うというものでした。  戦後生まれの私にはこのシーンの意味が分からず、母に聞いたのですが「戦前はそういうものだった」と言うだけで、納得できなかったことを覚えています。  もうひとつ、戦前は家長と言う人がいてその一家族(10~20人ほど)のすべての財産を管理し、決定権を持っていました。法的には、主婦の日常の買い物も家長の許可の上でなされているという建前になっており、女性の個人的契約は法的には無効でした。  現在の戦前をテーマとしたテレビドラマなどの日常生活風景などはほとんど嘘だと思った方がよいのかもしれません。  このような社会状況で行われて以下ことを、現在の立場で理解することは大変難しいと思います。  もし興味がおありでしたら、戦前の文学作品を読んでみるとか、戦後早いころに作られた、戦前をテーマにした文芸映画を見るとかしてみるのもよいかもしれません。

noname#198068
質問者

お礼

女性の契約が法的に無効というのは知りませんでした。 荷物の話も、今の価値観だと男性が半分持つのが常識的だと思いますが、なんか同じ日本でも世の中の前提が全然違いそうです。 心情を理解するのはその時代の制度や文化を知っておかないと不可能みたいでややこしそうです。 回答ありがとうございました。

  • plokij75
  • ベストアンサー率45% (716/1567)
回答No.4

徴兵された人の中には、嫌々だったり、泣く泣くだったりの人も居たでしょう。 でも、志願兵を始めとした日本兵の多くの人は、家族愛や愛国心があったからではないかと思います。 後発国の日本が、豊かで平和になって、皆幸せになって欲しいという気持ちもあったでしょう。 ひ弱な日本、貧しい日本が、良くなる為に、自分達が捨て石になるという考えもあったのではないでしょうか。 ただ、小学生の時に、予科練崩れの先生から聞いた話では、規則破りや上官の命令を聞かないと、鉄拳制裁を受けるというような話を聞いた事がありますので、厳しい状況の下にあったのでないかと思います。 また、終戦の時に、基地の将校だった人が、補給物資を持ち逃げしてひと儲けしていたという噂を子供の時に聞いた事もありますので、中には下劣な人もいたのではないでしょうか。 何処の国でも、何時の時代でも、時の権力者の見識とリーダシップやマネジメント能力が問われているのではないかと思います。

noname#198068
質問者

お礼

ありがとうございます。 軍に反抗的だとみなされると鉄拳制裁みたいな明白なもの以外にも何か不利益がありそうで怖いですね。

  • cubetaro
  • ベストアンサー率24% (1290/5172)
回答No.3

 そういう感じ(雰囲気)だったのではないかと思います。  あと、元特攻隊の証言という記事で、志願の前にアンケートのようなモノを書くのですが、ドコに丸をしても、結局「特攻志願」という事になったというような事が書いてありました。  -----  現在でも、大手の会社の地方(海外)転勤の辞令などで、「お前が行かないと、他の誰かが行く事になるんだゾ」と自己犠牲を強要してたりもするので、今も本質は変わってないのかなとも思います。

noname#198068
質問者

お礼

ありがとうございました。 それが日本の伝統で日本人には帰ることのできない価値観や風習で、戦後も変わってないんですね。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2589/17101)
回答No.2

教育と群集心理です。自爆テロに喜んで志願する中東のイスラムゲリラと一緒で、中心になる人はいないけど、誰もが、「皆そうなのに自分は違う」とは考えるのは普通はできません。自分で判断しないで周囲に流されるのが一番楽なのです。

noname#198068
質問者

お礼

ありがとうございます。 外国の紛争の処刑映像で、チャンスはちらほらあるのに誰も抵抗しないから抵抗しない、結果処刑されるみたいなものなんですかね。 でも自分が死ぬ可能性が極めて高いのにみんながそうしてるから積極的に戦地に出られる心理というのがよくわかりません。 流されて自分も同じく自暴自棄になってもはっと冷静になる瞬間は来ると思います。

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