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阿片戦争と開国

okarinsenpaiの回答

回答No.1

 鎖国中、長崎出島に滞在していたオランダ商館長は毎年、江戸幕府に対して国際情勢を記した「オランダ風説書」の提出が義務づけられていました。そのため、江戸幕府の要人は「オランダ風説書」を通して世界で何が起きているのか知ることが出来ました。当然、アヘン戦争についても江戸幕府の要人は把握していたはずです。アヘン戦争によって中国がどのような状態になったかを知っていた江戸幕府の要人がペリーの来航に際して、中国(当時は清)のようにならないためにも開国やむなしという考えに至ったということは十分考えられます。  アヘン戦争後の中国の惨状については開国直後の日本ではよく知られていたらしく、フランスに派遣された江戸幕府の使者が中国に寄った際、イギリス相手に奮戦した中国の将軍を偲んだという話を聞いたことがあります。アヘン戦争が開国に何らかの影響を与えたのかどうかははっきりしたことはわかりませんが、日本の知識人に「このままでは中国のように欧米に侵略される」という意識を植え付け、後の明治維新の原動力になったことは確かです。  もし、アヘン戦争がなかったら江戸幕府は相手の力がわからなかったはずですから、ペリーの艦隊に対して無謀な攻撃を試み、アメリカと戦争になった可能性があります。もちろん、当時の技術力で日本は勝てるわけはありませんから、日本は戦争に負け、中国のように欧米列強の半植民地あるいは植民地になっていたのではないでしょうか。

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