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阿片戦争と開国

noname#94392の回答

noname#94392
noname#94392
回答No.3

アヘン戦争がなければ、開国を急ぐことはなかったでしょう。  世界帝国の一つである清が列強の侵略を受けたことは驚天動地の事件でした。攘夷派の長州の高杉晋作は一時中国へ様子を見に行き、ひそかに倒幕、開国に変わります。また伊藤博文は英国へ留学し、英国の近代化を目にして、攘夷の間違いを悟って長州藩を説得しようとしましたが、まだ時至らずでさんざんに切り付けられ死にそうになったりしています。  攘夷であった長州、薩摩が下関戦争、薩英戦争で倒幕、開国に本格的に動くのは、列強の強さをまざまざとも見せ付けられたからです。  幕府も開国なら開国で押し切ればよかったのですが、井伊直弼は暗殺されるし、攘夷でかちかちの朝廷へ開国のお伺いをたてたため、かえっては国の方針が動きのとれないものになり、薩摩と長州は口で攘夷といいながら、倒幕が終了した途端に開国すると言った詐欺まがいの動きをするのです。  かわいそうなのは正直に攘夷を信じた武士でした。新撰組も思えば哀れです。  

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