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論文の謝辞に書いてもらうことの意義

学術論文における謝辞は重要なものである、 と、インターネットでも検索すると沢山ヒットします。 そう思って、自分が論文を書くときには、 感謝すべき人の名前を忘れることのないよう、気をつけて書いてきました。 もしくは、ある種の箔をつけるものだから、 お世話になっている大物研究者の名前を忘れてはならないとも言われてきました。 自分が書くときはそれで間違いがないと思っているのですが、 自分の名前を謝辞に入れてもらうとなったとき、 はて、謝辞に入れてもらったらどんな意義があるのだろう、 と疑問に感じてしまいました。 なんとなく嬉しい気はしますが、それが業績にできるわけでもなし、 もしかしたら書いている側の自己満足なのではないかと思ってしまいました。 自分の名前を謝辞に書いてもらった場合、 ふつうはどんな反応をするものなのでしょうか?

みんなの回答

  • mitomito
  • ベストアンサー率40% (165/406)
回答No.3

>自分の名前を謝辞に書いてもらった場合、 >ふつうはどんな反応をするものなのでしょうか? その分野で、とても偉い先生に、 「先生のお名前が、謝辞にありますが、すごいですね」と言ったら、 「単なる社交辞令だから」と言われました。 あとで、まあまあまの業績の先生に話を聴くと、 「謝辞じゃなく、権威あるジャーナルに論文が載るか、自分の書いた論文の引用件数が多いかで、学者・研究者は自分の仕事を評価されるから、その先生の社交辞令という説明は当たっているよ」というようなことを言われました。 そんなもんみたいですよ。

hiro2pzbt
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 やはり最低でも共著者でなければ業績としては扱われませんよね。 深い意味をもっているわけではないけれど、 表面的には上手く付き合っていかなくてはならない、 という意味で社交辞令と呼ぶのに相応しいのかなと感じました。

回答No.2

「あなたはこの研究に一切関与していないが、あなたがいなかったらこの仕事を思いつきもしなかった」 「あなたは「技官」として不可欠だった、頭は使って貰って居ないけど、ありがとう」 「この研究が壁にぶつかったときあなたのひと言は先を照らしてくれた、飲み会の席だったから連名にしないけど一生忘れない」 なんてとこかな。

hiro2pzbt
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 謝辞は、研究生活に限らず、人付き合いを円滑にするための機会だということでしょうか。

  • stringf35
  • ベストアンサー率66% (69/104)
回答No.1

口頭発表なんかでも、謝辞をぱぱっと飛ばして軽視するような人は、共同研究者を大事にしないのかな、と思います。逆に、冒頭謝辞から始めるような人は、ちょっとやりすぎだけど悪い人じゃなさそう、と思います。そんな感じで、謝辞をきちんと書くのは当然でありプラスの効果はあまりないと思いますが、きちんと書かなかったときに悪い印象を与えるのではないでしょうか。 「謝辞に書かせてもらいました」と言われたら、「それは光栄です、ありがとう」とかが普通なのでは。

hiro2pzbt
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 > 謝辞をぱぱっと飛ばして軽視するような人は、共同研究者を大事にしないのかな、と思います。 > 逆に、冒頭謝辞から始めるような人は、ちょっとやりすぎだけど悪い人じゃなさそう 面白いですね。 僕なんかは、あんまり丁寧に謝辞を言う人を見たら、 媚びを売ろうとしてるんじゃないかなと邪推してしまう気がします。 分野や業界あるいは研究テーマによって共同研究者の重みや形も変わってくるんでしょうが。 > 当然でありプラスの効果はあまりない 謝辞は加点法ではなく減点法だということですよね。納得です。

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